228:相談役

 

 

「愛しているからこそ、自分の思い通りにしたいというのは……なかなか当たり前の事を言うのだなぁ」

 

 ジェロームではない声が、またしてもシンとする授業参観中の教室……いや店内に響いた。もちろんこんな場面で、安穏と口を挟める鋼の精神力を持つ者と言えば、イーサ以外に居ない。まったくアイツはどこまで空気を読まねば気が済まないんだ。と、俺が二人からイーサへと視線を向けた時だ。

 

「ぐふっ」

 

 俺は勢いよく吹き出していた。なんとイーサの隣には、いつの間にか“あも”が居たのである。そりゃあもう、そこに居るのが当たり前だと言わんばかりの様子で。

 一体、イーサはいつの間にあもを出したんだ?魔法か?というか、何故このタイミングであもを出すんだよ!

 

「――っ!」

 

 隣ではエイダが机を勢いよく叩いて腹を抱えている。ただ、声は出ていない。笑い過ぎて、むしろ声になっていないようだ。いや、もうこれは仕方がない。誰がエイダを責められるだろう。

 

「なっ、何だ?それは……?」

 

 ジェロームの上擦った声が、あもへと向けられる。

 国家間の首脳会議だと言われる席で突然目の前に、デカいピンク色のウサギのぬいぐるみが我が物顔で腰かけていたら、突っ込まずにはいられないだろう。

 

「ソレとは失礼な。この子はあもだ。イーサの“相談役”だぞ」

「相談役?」

 

 イーサの返答に、俺は思わず頭を抱えた。

 あぁ、そう言う事だったのか。確かにイーサは、先程ジェロームにハルヒコを「相談役」と紹介された時に、自らの隣にある空いた席を眺めていた。きっとイーサの事だ。自分にも「相談役」が欲しくてあもを置いたのだろう。

 

「そう、お前の隣のソレと同じだ」

「はっ、ハルヒコを“ソレ”などと言うな!それに人に対して指をさすなんて失礼だぞ」

 

 イーサに対して妙な所で突っかかるジェロームのその顔は、本気で心外だと思っているらしく微かに口をとがらせている。やっぱり、こういう所がジェロームを幼く見せる原因だ。イーサもジェロームも、年相応からは程遠い。

 

「このあもはお前の相談役より凄いぞ。なにせ、何があろうともずっと笑っているからな!」

「ハルヒコも凄いぞ。ハルヒコは、幼い頃からずっと俺を助けてくれていた!」

「あもだって、イーサが幼い頃から一緒に寝てくれて、眠れない夜を助けてくれた!」

「ハルヒコだって、俺が眠れないとお話をしてくれた!」

「あもはふわふわしていて手触りがいい!」

「ハルヒコは格好良い!」

「あもは可愛い!」

 

 何だコレ。一体何の勝負が始まっているのだろうか。

 何やら園児が互いの宝物を差し出して競い合っているような状況に、隣に座るエイダは今にも窒息死せん勢いだ。最早、とおの昔に正常な呼吸を捨てている。

 

「お前の相談役は、お前を撃ったんだろ?あもはイーサを撃ったりしないぞ!」

「っ!」

 

 完全に痛い所を平気な顔で突いてくるイーサに、ハルヒコはビクリと肩を揺らした。そんな自身の相談役の様子に、それまで押され気味だったジェロームが激しくイーサに食ってかかった。

 

「ハルヒコは俺の父だ!兄だ!友だ!敵だ!恋人だ!全部だ!お前の、そんなぬいぐるみと一緒にするな!俺はハルヒコが居ないと……生きていけないというのに!」

 

 “俺の声”が店中に高らかに響き渡った。「父で、兄で、友で、敵で、恋人で、全部」凄い台詞があったモンだ。勢いあまって立ち上がって叫ぶジェロームに、それまで俯いていたハルヒコがゆっくりと顔を上げた。

 

「ジェローム……」

「ハルヒコ、俺は言っただろう。これまでの人生で、何度も何度も伝えてきた!それを、お前は忘れたのか!?」

 

 いつの間にかジェロームの食ってかかる相手がイーサからハルヒコへと変わっている。そうだ。この台詞はイーサに伝えるべきものではない。

 

「っお、俺にはお前しか、居ないのに!なぜっ、俺の目の届かない場所に行こうとするんだっ。あ、あ……愛してるなら」

 

 肩を揺らし、声を張る為に自然と合間に挟まる呼吸が深くなる。発声の構造上、それは仕方のない事だ。にも関わらず、ジェロームの気持ちが“声”を追い越してしまっているのだろう。呼吸の合間を縫って喉の奥から微かに声が漏れる様子は、決して“良い声”とは言えない。むしろ妙に震えて素人っぽくもある。

 

 それなのにどうしてだろう。

 

「お、俺を、ひと、一人にしないでくれ……」

 

 その不格好な声の全てが、ジェロームの心を余すところなく伝えていた。

 

「そっか、こういうのもアリなんだ」

 

 その瞬間、腹に落ちる。下手で拙いからこそ、伝わるモノがある。表現というのは、これだから難しい。上手く、巧みに、技巧を凝らして。そうやって、前に進む為に“技術”ばかりを追い求めると、“表現”の本質を置き忘れてしまうのだから。

 

「ジェローム、悪かった」

「席につけ、ハルヒコ!今度ばかりは俺の声を無視する事は許さない!」

「……ああ」

 

 最後には泣きそうな声で放たれた言葉が、やっと“ハルヒコ”本人に届いた。そんなジェロームに対し、ハルヒコは力無く下ろしていた片腕をゆっくりと持ち上げた。そして、真っ直ぐに自分の事を見つめるジェロームの頭へと手を伸ばす。

 

「まったく、ジェローム。お前ときたら」

「……」

 

 頭でも撫でてやるのだろうか。

 俺が思わず首を傾げながらハルヒコの手を目で追うと、その手は当たり前のように彼の後頭部に触れた。そこには、ひょこりと跳ねたジェロームの後ろ髪がある。そして、二、三度繰り返すように跳ねた髪の束を撫でつけると、少しだけ泣きそうな声で言った。

 

「俺が居ないと、本当にダメだな」

 

 それまで、好き勝手に跳ねていたジェロームの後ろ髪は、ハルヒコに撫でられ、まるで満足したように身を潜めた。良かった。その後ろ髪のハネは、俺もずっと気になっていたのだ。

 そんなハルヒコに、ジェロームは微かに首を傾げ、にへと蕩けたように笑ってみせる。

 

「帰ったら、髪を梳いてくれ」

「ああ、もちろんさ」

 

 どうやら、仲直りは済んだらしい。

 そう、俺が安堵に胸を等下ろした時だった。

 

 

「サトシサトシ!来い!俺の頭も撫でろ!あもを喋らせろ!俺にも全部しろ!」

 

 

 あぁ、授業参観中に「お母さん」を呼ぶんじゃない!