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ゲームには、必ず終わりがある。
人生も、それは同じだ。
ただゲームと違い、現実世界に「セーブデータ」は存在しない。
時は巻いては戻せない。リトライなんか存在しない。
「イーサの戴冠式は、明日か……」
俺は金貨の入った袋を懐に仕舞うと、宿舎の自室から飛び出した。
〇
ヴィタリック王の喪が明けて数日が経った。
エルフ達は悲しみを抱えながらも、いつもの生活へと戻っていく。そりゃあそうだ。一人の偉大な王が死んだとしても、遺された者の日々は続く。いくら悲しみに暮れたとしても、時は足を止めたりしないのだ。
「サトシ、良かったの?僕の眼鏡を買うのになんか付き合って。今、凄く忙しいんじゃない?」
「何言ってんだよ。エーイチ」
そう、買い物で賑わう喧騒の中、顔を覗き込んできたエーイチに対し俺は軽く肩をすくめた。昼の市場は、どこも盛況だ。あちこちの店から商いに勤しむ商人たちの声が響き渡ってくる。それは、俺が何も知らずに、全額カネをぼったくられた、あの時と何ら変わらない。
そう昔の事ではない筈なのに、今では随分懐かしい。
「別に。俺は一介の兵士なんだから。国のアレコレで忙しいのは、俺には関係ねぇよ」
「いや、そうは言ってもイーサ王は……」
「いいから!ほら、エーイチ。どの眼鏡にする?俺、こないだちゃんとお使いが出来たからって、たくさんお金を貰ったんだよ!だから、値段なんか気にせず選んでいいからな!」
そう、イーサの戴冠式を目前に控えたこの日。
俺は約束通り、ヒビの入ったエーイチの眼鏡を弁償すべく市に下りて来ていた。懐にはマティックから貰った金貨の入った袋がある。
「……サトシ?まだまだ若造のキミに、僕はまたしても苦言を呈さねばならないようだね」
「ほら、こっちの眼鏡なんかいいんじゃないか?」
「サートーシ?聞きなさい」
いいや、聞かない。俺はエーイチの言葉を無視して眼鏡を選び続ける。
「エーイチは小顔で目が大きいから、こういうフレームの丸い眼鏡も似合うって」
「サトシ、お願いだから自分に貰ったお金を、ポンポン他人に使うのはやめてって。それ、いくらすると思ってるの?モノの価値は坑道で教えたよね?ねぇ!ちょっと、何買おうとしてんの!?」
隣で喚くエーイチなど気にせず、俺は眼鏡を店主へと手渡した。自分で言うのも何だか、良い眼鏡が選べた気がする。
フレームが縦幅に広く、角が丸い。色はべっこう色。うん、凄くお洒落だ。でも、絶対に似合う。試着なんかしなくても分かる。俺は確信していた。
「はい、おじさん」
「あいよ」
俺は隣で喚くエーイチを無視し、金貨を一枚店主に手渡した。そして、店主が何かを言う前に俺はすかさず「おつりはいいから、しっかり作って」と伝える。
「ちょっ!は!?サトシ、何言ってんの!?度ナシの眼鏡に金貨一枚なんてあり得ないからね!」
「うん」
「うんじゃなくてね!?」
分かってる。もう、あの時のモノの価値を分かっていない俺ではない。分かった上で、俺は金を出すのだ。
「おじさん、俺が人間だからってテキトーな仕事すんなよ。プロなら、金貨一枚に見合う仕事をお願いします」
俺から金貨を受け取った店主は、俺の言葉に一瞬大きく目を見開くと、挑むように此方を見下ろしてきた。その目を、俺は真正面から受け止める。今回は、ぼったくられるんじゃない。俺はこのメガネに金貨一枚の“価値”を要求する、れっきとした“客”だ。
「……分かった」
そんな俺に対し、店主は静かに頷く。その瞬間、俺も理解した。あ、このエルフは“職人”だ、と。テキトーに入っただけだったけど、このメガネ屋を選んで正解だったかもしれない。きっと、このエルフは相手が誰であれ、自分の仕事に手を抜くような事はしないだろう。
「顔に合わせて眼鏡を調整する。人間。お前はコッチに来な」
「いや、ちょっと待って!」
自分の意思など関係なしに進んで行く商談に、エーイチは困ったように俺と店主を交互に見る。なんだよ、エーイチ。タダで良い眼鏡が手に入るんだから、得したって喜べばいいのに。その姿が、いつも以上に可愛く見えて、俺は少しだけ確認してみたくなった。
「おじさん、ちょっとその眼鏡を借りてもいい?」
「ああ、いいぜ」
俺は店主から、まだレンズの入っていないフレームだけの眼鏡を受け取ると、戸惑った表情で此方を見つめるエーイチに向き直った。そして、ヒビの入った眼鏡をスルリとエーイチの顔から抜き取ると、新しい眼鏡をかけてやる。眼鏡をかける時に、キュッと閉じられた目が、恐る恐る開く。
うん、やっぱり俺の見立ては正解だった。
「エーイチ、凄く似合ってるよ」
「……サトシ」
俺の言葉に、エーイチの頬が微かに朱に染まる。やっぱりこうして見ると、エーイチは本当に可愛い顔をしている。マジで何歳なのか。きっと聞いても教えてくれないだろうからもう聞かないが、つい気になってしまう。
「まぁ、いっか」
友達に年齢なんて関係ない。
「エーイチ、可愛いなー」
「もう、やめてってば!」
終いには顔中真っ赤に染め上げたエーイチの姿に、俺はずっと傍で不機嫌そうに立って居たもう一人の人物に向き直った。
「な?エイダもそう思うだろ?」
「……これは宣戦布告か?サトシ」
「え、似合ってない?」
「似合ってるし!スッゲー似合ってる!最高だわ!」
眉間に皺を寄せながらも肯定してくるエイダに、俺は「だろ?」とその肩を叩く。その向こうでは店主が「もう調整に入っていいか?」と尋ねてきた。ちょっと内輪で楽しみ過ぎたようだ。
「はい、お願いします。エーイチ、ちゃんと顔に合わせて貰えよ?」
「……サトシ、お願いだからあんまり無駄遣いしないで」
「おじさん、エーイチの事よろしく」
未だに金についてウダウダ言うエーイチの言葉には答えず、俺はそのまま店主へとエーイチを引き渡した。無駄遣いかどうかは俺が決める。俺は今日、無駄遣いなんか欠片もしちゃいない。全部、大事なモノしか買っていないのだ。
「なぁ、エイダ」
「んだよ」
テントの奥に消えた店主とエーイチを見送ると、残されたのは俺とエイダだった。出会った頃は子供だったのに、今では俺より随分と高い位置にある赤毛に、俺はなんとも言えない気持ちになった。
「大きくなったな、エイダ」
「バーカ。俺は元々お前より大きいんだよ」
「エイダ」
「あ?」
ポンポンと軽く進む会話。そのテンポがいやに心地よくて、最近出会ったばかりの筈のエイダでさえ、なんだか昔馴染みの親友のような気がした。それだけ、エイダとは色々あった。
「ありがとな。ジェロームが撃たれた時、助けてくれようとしてくれて」
「は?急に何だよ」
「お前の事だから、ハーフエルフの自分には関係ないとか言って何もしないのかと思ったのに」
未だに、血まみれのジェロームの姿を見ると、俺は肝が冷える。ジェロームは俺の分身だ。なのに、俺はあの時何も出来なかった。
「別に、結局助けたのは俺じゃねぇし。イーサ王だ」
「それでも、だよ。お前はジェロームを必死に助けようとしてくれた。俺は、全然動けなかったのに」
俺が俯きながら言うと、頭上からいつものエイダの軽い声が聞こえてきた。
「助けるさ。ジェロームは赤ん坊の頃から知ってんだ。アイツは俺の中で“人間”じゃねぇ。“ジェローム”だ。だから助けようとした。それだけだ」
「そうか」
エイダの言葉に、俺の中で何か温かい感情が腹に落ちて来た。エイダにとって、ジェロームもまた、人間で一括りになど出来ない相手だった。ソレは俺とは関係ない筈なのに、何故だかとても嬉しかった。
「なぁ、エイダ?」
「何だよ」
出来るだけジェロームっぽくない声で、エイダを呼ぶ。同じ声だからといって、俺の知らないエイダとジェロームの思い出の間に、割って入りたくはなかった。
「お前にも、一つだけ俺からプレゼントしてやるよ」
「さっきお前が買ってたモンなら要らないからな。俺の趣味じゃねぇし」
「違げぇし、あれはお前に買ったんじゃねーもん」
そう、ここに来るまでに、俺は色々と買い物をした。金はマティックから沢山貰った。リーガラントへの使者の功績に見合う報酬を寄越せと、俺から要求したのだ。あんなに沢山あった金貨も大分減った。でも、別に俺気にしない。金なんて残しても意味がないからだ。
「俺、この後一人でウロウロするから。エーイチとの二人の時間をお前にやるよ」
「……サトシ。お前、分かってんじゃん!」
俺の言葉にエイダは先程までの不機嫌そうな表情を一気に仕舞い込むと、俺の背中を勢いよく叩いた。まったく調子の良いヤツだ。
「じゃ、俺は行くから。エーイチをよろしくな」
「任せろ、エーイチの人生は、この俺が最期まで見届けてやるよ」
「うん」
深い意味があるのか無いのか。エイダは酷く意味深な目で俺を見てきた。人間とエルフの狭間の者だからこそ、エイダにだけは見えているモノがあるのかもしれない。
「サトシ・ナカモト。お前との“ひと時の茶の時間”最高に楽しませて貰ったぜ」
「はいはい、楽しんで頂けたようで何よりだよ」
「じゃ、またな。サトシ・ナカモト」
既に俺の方なんか一切見ずに手だけを振るエイダに、俺は苦笑した。まったく、エイダときたら本当にアッサリし過ぎだ。
「でも、このエイダのスタンスこそが大切なのかもしれない。そう、仲本聡志は思った」
温かい昼下がり。
軽く欠伸をしてみせるエイダの横顔に、俺は微かに呟いた。
「じゃ、またな」そうやって手をふるような感覚で、出会いと別れを繰り返す事が、寿命の異なる生き物同士が共に生きるコツなのかもしれない。それこそ、たまたまお茶の席に同席した程度の感覚で。
これから国を開くクリプラントにとって、きっとエイダの生き方こそがエルフ達のお手本になるのだろう。
「じゃ、またな。エイダ」
だから、俺も見習ってエイダを見ずに手を振った。両手には大量の荷物。良かった。金は無くなっても、会いたい人はたくさんいる。その事実が、俺には酷く嬉しかった。