2:回想幕

 

 

≪回想幕≫

〇金平亭・店内左奥のソファー席(夜)

 

◇渡された脚本を手に眉を顰めるクライアント(24)。

◇あたりには深みのあるコーヒーの香りに混じり、バーボンウイスキーの匂いが立ち込める。

 

 

『今時、こんな物語は流行らない』

『何だと?』

『この悪役、ルマセル?でしたっけ。この役柄の人間性も客ウケが良くない。変えてください』

 

◇クライアントの言葉に、怒髪冠を衝きそうになる俺。こと、吉川一義(59)。

 

 そりゃあそうだ。可愛い我が子の名を間違えられた挙句、物語という名の人生まで否定された。そんな事をされて黙っていられる“親”がどこに居るだろうか。

 

 いや、いない。

 

 

        〇

 

 

 この俺、吉川一義は舞台の脚本家である。

 脚本家名義の時は≪ヨシカワイチギ≫とカタカナの表記で活動している。なにせ、漢字で活動していると必ず「かずよし」と呼び間違えられてしまうからだ。訂正が面倒なので、途中でカタカナ表記に変更した。

 

 名義を変更した瞬間、何故か俺は売れ始めた。

 そのせいで、友人達からは「凄腕の改名判断でも受けたのか?」と酒の席に着く度に笑いのネタにされる。失礼な。全部俺の実力だ。

 

『あぁ、今回も素晴らしい出来だ』

 

 これまで、それなりの数の舞台脚本を世に送り出して来た。メディアに取り上げられ、一時期は天才脚本家と持て囃されテレビの密着取材を受けた程だ。そんな俺に大衆が付けた呼び名はこうだ。

 

≪人で無しの巨匠、ヨシカワイチギ≫

 

 なんとも聞き捨てならない呼び名だ。初めて聞く者が耳にすれば「ヨシカワイチギなる人物は、とんでもない人で無しなのだろう」と思う事だろう。誹謗中傷も良いところだ。

 

 変に誤解されたままなのは我慢ならない為、一応注釈をつけておく。その呼び名の本来の意味はこうだ。

 

 俺の描く悪役が、とにもかくにも容赦がない事で有名だからである。故に、俺の名を世間に轟かせてくれたのは、「凄腕の改名師」ではなく「凄腕の悪役達」なのである。

 

 ただ、俺は「人で無し」を描いているつもりなど毛頭ない。主人公達から見たら「悪役」なだけで、彼らも一人の人間だ。一己の明確な意思を持った、ただの「人でしかない」。

 

 そう、俺は思う。

 “特別なんかではない、ただの人でしかない者達”がこの世で最も面白いのだ、と。

 

 

———

悪役をどれだけ“普通の人間”として描けるか。それこそが、物語の生き死にを左右すると私は思っています。その為には、彼らを丁寧に描く必要がある。そう、彼らの人生をなぞるように、丁寧に、丁寧に。

———-

インタビュー記事【ヨシカワイチギの仮面の裏側に迫る】より

 

 

 今より大分と若造の頃のインタビュー記事なので、鼻に付く感じが拭えないが、中身は否定しない。それが四十年の作家人生の中で、腹の奥に据えてきた信条だ。

 それは、俺の人生における全てで証明している筈だったのに。

 

 “時代”はそれを許さなかった。

 

 

        〇

 

 

『視聴者は、長々と物語を追ってくれはしない。貴方のように序盤に間延びした日常芝居ばかりが続くと観客は席を立ってしまう。しかも、その後に続くのは主人公にとって辛い展開ばかりときている』

『しかし、それは終盤の展開には必要なモノで……』

『途中で席を立たれては元も子もないでしょう』

『立ちたいヤツは立たせておけばいい!』

『っはぁ、先生?SNSによる口コミとリピーター。これが今の舞台に必要な全てなんですよ?今や広告宣伝の殆どは観客のSNSによる所が大きい。貴方は考えが古過ぎます』

『っく』

 

 腹の底から沸々と燃え滾る怒りのせいで、俺は頭がおかしくなりそうだった。落ち着け。相手はクライアントだ。それに、ここは行きつけの気に入りの店じゃないか。俺の心のオアシスである。迷惑をかける訳にはいかない。

 

 台本にしろ。ト書きにして冷静になれ。

 そうだ、ここは舞台だ。そして俺はその舞台の客だ。演者ではない。落ち着け、落ち着け。読んで字の如く。現状を“客”観視しろ。

 

 

≪回想幕≫

〇金平亭・いつもの左奥のソファー席(夜)

 

◇渡した台本をテーブルに投げ置く年若いクライアント(24)。

◇テーブルの下で拳を握りしめる、壮年の脚本家ヨシカワイチギ(59)

 

『分かりますか?今はもう年寄りの長話に付き合ってくれる客なんて居ないんです。序盤の展開で視聴者を惹き付け、リズミカルでテンポの良い場面展開。そして、約束されたハッピーエンド。客が求めるのはソレしかない』

 

◇分かったような口を利くケツの穴の青いクソガキ。

◇落ち着く為に、目の前のバーボンウイスキーに手をかけるヨシカワイチギ。

◇怒りに震える手は、ウイスキーの水面を小刻みに揺らす。

 

『犯罪ですが、ファスト映画なんてものに需要が集まる時代ですよ?多種多様なコンテンツが溢れ、指一本で世界の全てにアクセスできるこの現代において求められているモノは何か。限られた時間で楽しめるコストパフォーマンスの良い娯楽です』

 

◇ダラダラとクソの理論をほざき倒す、クソクソクソクソクソクソクソクソ黙れクソガキ。

◇脳内ト書きすらまともにできなくなったヨシカワイチギ(59)。

 

『……それで、俺にどうしろと』

『この悪役、ルマセル?を書き直して頂きたい。あと、ルマセルと主人公の幼少時代も大幅にカットで』

『……黙れ、クソガキ』

『は?』

 

 もう、無理だ。

 

『ふざけるなっ!』

 

 ト書きによる俯瞰と冷静もそれまでだった。いや、そもそも一度も冷静になれてなどいなかったが。

 俺は机に両手を叩きつけると、その衝撃で俺の飲みかけのバーボンウイスキーが勢いよく零れた。強いアルコールの香りが、俺の脳天を痺れさせる。

 

『幼少時代を削るだけでなく、マルセルも書き換えろというのか!』

『そうです』

『お前のような青二才にそんな事を言われる筋合いはないっ!』

『吉川さん、舞台の脚本なんてモノは視聴者のニーズがあってこそ成り立つ商品です。貴方の信念で描いたものが客に求められなければ、それは“脚本”としての意味を持たない』

『分かったような口をきくな!俺は絶対に物語を書き換えたりしないからな!産み落とした我が子を、お前のようなっ』

 

 ここまで叫んだ所で、クライアント……いや青二才の若造は鼻で笑った。

 

『知ってますか?吉川さん。巨匠ぶってはいるがもう貴方は――』

 

オワコンなんですよ?

 

 その後、俺はどうやって家に帰ったのか覚えていない。

 頭に血が上り過ぎていたのだ。手にはクシャクシャの原稿。そこには俺の愛しい子供達が描かれている。

 

 あぁ、ごめんよ。どうやら、俺はお前達を世に出してやる事は出来ないようだ。

 

 

 

≪回想幕≫

〇自宅・書斎(夜)

 

◇大好きなバーボンウイスキーの香りの充満する部屋。

◇床に散らばった原稿と酒瓶の真ん中で横たわるヨシカワイチギ。

 

『……クソが』

 

 俺の意識は酷く朦朧としていた。アルコール度数の高いお気に入りの酒を何本も飲み干したのだ。仕方がない。

 目の前に転がった酒瓶のラベルを見ながら思う。

 

『……まったく、ここぞと言う時の為の酒だったのに』

 

 ブラントン。

 至高のバーボンウイスキー。これは、最高の仕事をやり切った後に飲もうと仕舞っていた“とっておきの酒”だった。

 

『っはは。もう、飲む機会も無いか』

 

 なにせ、俺はもう“オワコン”らしい。その言葉自体がオワコンだろう。なんて鼻で笑いながら天井のシミを数えた。

 確かに、脚本の依頼は年々激減し、今年は先程の青二才が依頼してきた一本だけだった。でも、それも無くなってしまった。しかし、後悔はない。愛する我が子を書き換えろと言われてしまっては、黙ってはいられない。

 

『そうか……時代は、もう俺なんか求めちゃいないんだな』

 

 過去の遺物。オワコン。時代に乗り遅れた頑固おやじ。

 脳裏に浮かぶ言葉を払いのけるように、俺は目を閉じた。目を閉じて、ゆっくりと手を床に這わす。カサリと原稿に当たる感触。ずっと、一人で生きてきた。でも、この中には俺の子供達が居る。

 

 愛しい愛しい我が子よ。

 もう俺が子を産む事はないだろう。産み落とした責任だ。俺だけは最後まで君たちを愛そうじゃないか。

 

『おやすみ』

 

 

≪回想幕≫

 

〇自宅・書斎(真夜中)

 

◇目を閉じる脚本家、ヨシカワイチギ(59)。

◇二度と目覚める事はない。

 

 

と、思っていたのだが。