5:巣立ち

 

 

 ゲルマン・フランシスは、大国アルベルの皇太子としてこの世に生を受けた。

 

 

『ゲルマン。お前は将来この国の王になる者だ。身を正せ。甘えは許されない。常に皆を愛し、そして皆を疑え』

『はい、国王陛下』

 

 皆を愛し、皆を疑う。

 王になる者として生まれた以上、その思考は常に頭の片隅に置いておかなければならなかった。

 

 王たるもの、博愛でなければならない。王の心は、誰にも渡してはならぬのだ。一人を寵愛すれば視界が狭まり、国は内側から傾く。過去の長い歴史を振り返ってみれば明白だ。

 それと同時に王たるもの、常に猜疑心を持っていなければならない。周囲に居るのは優しい笑顔の仮面を被った権力の亡者だらけだ。寸分も心を開いてはならない。

 

 国と己の命を守る為に、俺は博愛し、そして全てを疑い続ける。相反するその思考は、幼い俺の心の奥深くまで擦り込まれていた。

 

 少しでも甘い顔を見せてれば、容赦なく鞭が飛んでくるのだ。

 

『っう、く』

『ゲルマン、甘えるな。その甘えが命取りになるぞ。お前は国を滅ぼしたいのか』

『っい、いえ。もうしわけ、ございませんっ。国王陛下』

 

 そうやって、何度体に鞭を打たれた事だろう。ジワリと熱を帯びる背中に、次いで訪れるヒリヒリとした痺れるような痛み。

 父は常に厳しい人だった。いや、俺は生まれてこのかた、あの男を“父親”だなどとは思った事がなかった。父と呼ぶには、彼はあまりにも厳しく、そして何より“遠かった”。

 

 玉座は安泰ではない。常に他者に狙われている。そして、玉座が脅かされるという事は、命が脅かされるのと同義だ。俺の人生は常に命を狙われ続ける、修羅の道だった。

 誰にも甘える事なく歩んできた人生。それが当たり前だった。

 

 

 それなのに、

 

『ゲルマン、生まれて来てくれて本当にありがとう。キミに会えて本当に良かった』

『っ!』

 

 マルセル。キミは何て目で俺を見るんだ。

 

 マルセル・ギネス。

 彼は王家の側近であるギネス家の長子だった。たまたま、俺と生まれた日が近く、血筋的にも申し分のない事から、幼い頃から俺の傍に置かれていた。

 しかし、それは決してマルセルだけに限った話ではない。マルセルの他にも、有力貴族の子息達は、こぞって俺の傍に置かれていた。それもそうだ。俺は未来の王。皇太子なのだから。

 

 そう、マルセルはその中の一人に過ぎない。何か秀でた芸を持つワケでも、突出した才覚があるワケでも、美しい美貌を持つワケでもない。ただの、平凡な貴族のぼっちゃんに過ぎなかった。

 

 俺は父からの教えの通り、周囲の皆を愛し、そして同時に猜疑の眼差しを向けながら過ごしていた。その中で、そんな俺の生き方を見透かしたように微笑むのが、マルセル。キミだった。

 

『ゲルマン。俺はお前の親友じゃないか』

『ゲルマン、お前は立派な王になれるさ』

『ゲルマン、彼女の事……マドレーヌの事、どう思ってる?』

 

 ゲルマン、ゲルマン、ゲルマン、ゲルマン。

 

『ゲルマン、俺はお前が憎らしくてたまらなかった!ずっとお前なんか死ねばいいと思っていた!殺してやりたいと……何度も思った』

 

 嘘つけ、マルセル。

 彼は、口では様々な事を言いながら、全てをその瞳で語っていた。マルセルは言葉よりも雄弁に俺に語りかける。

 

——–ゲルマン。俺はキミを愛しているよ。何があっても。世界中が敵になろうとも、俺はキミの味方だ。

 

 あぁっ、マルセル。どうしてキミはそんな“無償の愛”を俺に向ける?

 

『やはり、マルセルが犯人か』

 

 俺は腐っても皇太子だ。

 全てを愛し、全てを疑う者だ。マルセルの企てなど、最初から全てお見通しだった。小手先の演技など、この俺には通用しない。

 

『……まったく、マルセル。キミは昔からイタズラが過ぎる』

 

 まぁ、さすがに最初は本当に俺を憎んでいるのかと思ったりもした。そうでなければ、辻褄が合わない程、マルセルの俺に対する暗殺計画は緻密で凄まじかったからだ。

 

 でも、俺は騙されない。

 

『ゲルマン、生まれて来てくれて本当にありがとう。キミに会えて本当に良かった』

 

 マルセルの俺へと向ける瞳は常に“深い愛”で満ちていた。その瞳の与えてくる温もりと愛の、なんと甘美な事だろう!俺には一生与えられないと思っていた愛を、キミは当たり前のように与えてくれる!

 

——ゲルマン。可愛い可愛い俺のゲルマン

——あぁ、素晴らしい。さすがだ、ゲルマン

——ゲルマン、何があっても俺はお前の味方だ

——好きだよ、ゲルマン

 

 そんな目で俺を見る者は、この世でキミ以外居ないよ。

 周囲の友人達は、俺を出世のコマとしてしか見ていない。あぁ、もちろん実の父親からも母親からもそうだ。彼らは俺を、生まれた時から“王位を継ぐ者”としか見ていないのだから。

 

 俺は、全ての“愛”をマルセルから教えられた!

 

『ゲルマン、君が居てくれて良かった』

 

 そう、マルセルだけ。

 マルセルだけが、当たり前のように俺を深い愛で包み込んだ。その目は、いつだって俺の全てを受け入れてくれるのだから。だから、マルセルから送り込まれる暗殺者も、毒物も、全て彼からの贈り物だと思うようにした。

 

『キミからの毒なら、俺は喜んで受け入れよう』

 

 解毒剤を傍らに、ワザと毒物を口にした事もある。毒に倒れる俺を、マルセルは苦し気な表情で見つめていた。

 

『マルセル、大丈夫。俺は死なない』

 

 きっと、獅子が我が子を崖底に突き落とすようなモノだ。君から与えられる試練と言う名の愛を全て潜り抜けたら、最後はきっと演技などする事なくありのままの姿で俺を愛してくれるのだろう。そう、俺は信じてキミからの全てを受け入れてきた。

 

 でも、一つだけ気に入らない事がある。

 

『マドレーヌ。彼女はとても素敵な子だね』

 

 俺と同じような目で、マドレーヌを見る事だ。キミがそんな目を向ける者は俺以外居なかったから、少し……いや、かなり嫉妬した。ただ、マドレーヌに“あの目”を向けながらも、俺への愛は変わらない。

 それでも嫌だった。我慢ならない。俺と同等にマドレーヌを扱うなど、キミはどうかしている!あり得ない!

 

 俺にはキミしか居ないのに。

 

『マドレーヌ。キミは何て優しい子なんだ。俺は、キミと共にこの国を治めたい』

『ゲルマンっ!』

 

だから、ひとまずマドレーヌは俺の懐に入れておく事にした。だってそうだろう?

 

 俺にはキミしか居ないんだから、キミも俺だけであるべきだ。

 

『マルセル・ギネスを死刑に処する』

 

 マルセルを俺だけのモノにする為には、彼の存在をこの世界から消さなければならない。だから、俺はまるで台本でも読み上げるような気色でその言葉を放った。その場に崩れ落ちるマルセルに、俺は少しの罪悪感と共に思う。

 

 ごめんよ、マルセル。でも、すぐに迎えに行くから、と。

 そう思ったと同時に、小さく肩を震わせていたマルセルが顔を上げた。そして、ハッキリと俺の方を見た。

 

『ぁ』

 

 その時のマルセルの表情に、俺は腹の底から湧き上がってくる歓喜を抑え切れなかった。なにせ、マルセルは死刑を言い渡してきた俺を相手に、またしても雄弁に語ってくれたのだ。

 

——–ゲルマン、よくやった。さすがだ。あぁ、ゲルマン。愛しているよ。

 

 やっぱりそうだった!マルセルは俺を愛してくれている。死を前にしても尚、その気持ちは揺るがない。あぁっ!こんな愛、他に見た事がない!

 俺にはキミしか居ない。マルセル、マルセルマルセルマルセルマルセル……

 

 

 

「っはぁ、マルセルッ」

 

 俺はベッドの上で、その真っ白な肌に朱色を散らすマルセルに自身の全てを注ぎ込んだ。もう、これで何度目になるだろうか。既にマルセルは随分前に意識を失ってしまっている。出来れば、先程までのように目を開けていて欲しかった。

 

 残念だ。

 

 俺に突かれて嬌声を上げつつ、全てを受け入れるその目に見つめられながら、俺は果てたかったのに。注ぎ込み過ぎて少しだけ膨れたマルセルの下腹部を撫でながら、俺は自然と湧き上がってくる笑みを抑える事が出来なかった。

 

 遠くに婚儀を祝う、陽気な弦楽器の音が聞こえてくる。そうだ、今日は俺の結婚式の日だ。

 

「マルセル。祝おう。これからはずっと一緒だ」

「……」

 

 返事はない。でも、答えはもう貰っている。彼も、俺の愛を求めている。

 目尻に涙の跡を作る可愛いマルセル相手に、俺は傍らにある酒瓶を手にした。一度開けておいた栓は、指で簡単に開く。ツンとアルコールの匂いが鼻を突いた。

 

「さぁ、ずっと飲みたがっていた酒だ。マルセル」

 

 俺は直接瓶に口を付け、酒を口に含む。アルコール度数の高い酒は、舌の上に乗るだけで体を熱くする。あぁ、マルセルの中にある自身が再び反応し始めた。困ったものだ。マルセルの中が気持ち良いからと、一向に萎えてくれない。

 

「んっ、ふ」

 

 口に含んだ至高の酒を、マルセルの体に注ぎ込む。緩く開いた口の端から、少しだけ酒が零れたが、殆どの酒が彼の喉奥へと消えて行った。無意識に顎を上げ、ちゅっと唇に吸い付いてくる姿が可愛らしくて堪らない。まるで、雛鳥が親から餌を必死で貰うような姿に腹の底が熱くなる。

 

「かわいい、かわいい。俺のマルセル」

「っはぁ」

 

 アルコールのせいか、再びナカを締め付けてきたマルセルに俺は再び腰を振ろうと体をよじった。その時だった。

 

「げる、まん」

「マルセル?」

 

 先程まで、頑なに閉じられていた瞼が微かに開いた。アルコールの酔いが回っているような熱に冒された目。けれど、そこには揺るぎようのない意思があった。

 

「……かわいいこだ」

「っ!」

「こんな、かわいいこは、ほかに。みたことがない。いいこ」

 

 

 そう言って小さく微笑むマルセルに、俺は歓喜に泣いた。そして、やっと心の底から思えたのだ。

 

 生まれて来て良かった、と。

 

 

 

 

 

 

 

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自分の価値がたった一人でいい。他者に認められ、求められた瞬間こそ。人は初めて自分の人生を生きる事が出来る。

 

自分は此処に居て良いのだ、と。

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インタビュー記事【ヨシカワイチギの仮面の裏側に迫る】より

 

 

 

 

 

 

【後書き】

 台本のト書き風に書いてみました。
 この後、品行方正だと思っていたゲルマン(我が子)の持つド変態な性癖に、マルセル(吉川一義)は毎晩「マジで……?」と、ビビリ散らかす予定。
 子供は親の思ったようには育たない!

 

Twitter企画『タイトルシャッフルゲーム』参加作品です。
6名の作家がそれぞれ考えたタイトルをあみだくじで引いて、当たったタイトルで一作作るという企画。
私はかみすさんの考えたタイトル「ブラントン・プルースト」を担当させていただきました!

 

ちなみに、こちらはタイトルシャッフルゲームに参加した参加議事録(ブログ)です◎

※他の方の作品についてや、このお話について色々と語っております。

 

ブラントン:至高のバーボンウイスキー
プルースト現象:匂いが引き金になって、意図せず何かの記憶が呼び起こされる現象。

こんなお洒落なタイトルでお話を書いたのは初めてで緊張しました……!