242:イーサの背中

 

 

 

 遠くに、サトシの声が聞こえる。

 

 

 

——–そういえば、イーサ。お前、明日の戴冠式のスピーチ、何を話すつもりなんだ?

 

 戴冠式での新王のスピーチ。

 初勅とも呼ばれるソレは、新しい王が今後この国をどのように導きたいのかを国民に知らせる為の言葉だ。

 

 偉大な前王を無くした国民は今、新しい王の言葉を求めている。

 

 でも、そんなの未だに俺も分からない。

 戴冠式で何を言うかなんて、俺はちっとも考えていなかった。

 

 なぁ、サトシ。イーサは一体何を言えばいい?

 

 

        〇

 

「はぁっ」

 

 大きな窓から差し込む陽光が、バルコニーへと続く広い部屋を照らし出す。今日は天気が良い。壁や柱は金の飾りで飾られ、それら全てが太陽の光に反射してキラキラと輝いている。その光景に、俺はどこか頭がぼんやりするのを感じた。

 

「イーサ王、本当に何を言うのか事前に教えてはくださらないんですか」

「マティック、それ以上言ったら俺はここで癇癪を起こすが……いいか?」

「まったく、もう勘弁してくださいよ」

 

 疲れたように肩を竦めるマティックの姿に、ソレはコッチの台詞だと言いたかった。朝からサトシとの時間を邪魔された挙句、堅苦しい王衣を纏わされ、ひっきりなしに貴族達からの挨拶を受けさせられた。心にもない形式だけの祝辞など、子守歌にもならない。

 まるで、引きこもっていた百年分の仕事を、今日一日に詰め込まれているようだ。

 

「サトシは?」

「イーサ王。今だけはサトシの事は頭から消してください」

 

 俺の問いは、にべもなくマティックから一蹴された。何を言ってるんだ。サトシを消せるワケない。サトシはどこだ。あれほど傍に居るように言ったのに。

 そう、俺はチラチラと周囲を見渡した。しかし、サトシは、どこにも見当たらない。一体どこに居るのだろう。

 

「さぁ、イーサ様。バルコニーへ。民が貴方の事を心待ちにしていますよ」

「でも、サトシが」

「あ、お待ち下さい。襟が……」

「む」

 

 俺の言葉など一切無視して、カナニが襟元へ手を伸ばす。ちぇっ、どうせならサトシにやってもらいたかったのに。襟を整えながら、カナニは淡々と言った。

 

「貴方の声は、前を向いて話すだけでクリプラント中の民に届きます。最初の王の言葉です。気を引き締めて。大丈夫。貴方はヴィタリックの子です。自信を持ってください」

 

 まったく的外れなカナニからの激励に、俺は心底ウンザリした。ヴィタリックの子だからと、何故俺が自信を持てると言うのだろうか。そんな事より、サトシは?サトシはどこに居るんだ?

 

「お兄様。あまりキョロキョロなさらないで。みっともないわ」

「ソラナ、おい。押すな!」

「お兄様は全てが遅いのです!さぁ、早くしてください!でないと、私が代わりにスピーチを行いますよ!」

 

 ソラナの声が、バルコニーに向かうよう俺の背中を押してくる。まったく、昔からコイツは俺の扱いが乱暴でならない。兄だから我慢してやっているだけだと言う事を、ちゃんと分かっているのだろうか。

 

「まったく。皆して俺を何だと思ってるんだ。イーサは王様なのに……それにサトシはどこに居るんだ。傍に居る約束ではなかったのか」

 

 俺はブツブツと不満を漏らしながら、光の差す方へとゆっくりと歩を進めた。その瞬間、騒がしかった周囲が一気に静寂に包まれる。俺の歩みを追うように、両脇に控える家臣たちの視線を直に感じた。その中に、俺の求める視線は無い。

 

 急ぐことなく、ゆっくりと歩を進める。別に、威厳を示す為に敢えてゆっくりと歩いているワケではない。一目で良い。サトシを視界の中に留めておきたかったのだ。

 

「あ」

 

 すると、控える者達の中に唯一家臣ではない人物が目に入った。

 

「……ジェローム?」

 

 昨日、クリプラントに到着したリーガラント国の最高指導者だ。この男だけは唯一、俺と対等の立場を持つ。

 

「おや」

 

 昨日まではボサボサだった髪の毛が、今日はきちんと整っている。さすがに誰かに整えてもらったのだろう。アレは身なりに頓着のない俺ですら、あんまりだと思った。

 

「っふう」

 

 気を取り直して一歩一歩、ゆっくりと歩を進める。しかし、目につくのは家臣と無駄に荘厳な王宮を飾る装飾品ばかり。バルコニーへと続く道には、俺の歩むべき道を指し示すが如く、真っ赤な絨毯が敷かれている。

 バルコニーから漏れる光が、目前に迫る。一陣の風が、俺の髪と肌に触れた。少し肌寒い。

 

「……サトシ。イーサは、サトシに話すんだぞ」

 

 だから、サトシ。お前が聞いていないと、中身のない空虚な言葉を口にする事になってしまう。

 気付けば、既にバルコニーに出ていた。太陽の光が眩しく俺を照らす。あぁ、マナが光によって体中に満たされる感覚だ。けれど、結局目当ての人物を映す事は出来なかった。体は満たされているのに、反対に心は空虚だった。

 

 サトシの嘘吐き。

 サトシのバカ。

 

 サトシ、サトシ、サトシ、サトシ!

 そう、心の中でその名を呼んだ瞬間、眼下に広がる群衆が沸いた。彼らの興奮の声が風に乗って押し寄せてくる。

 

「……ぁ」

 

 壮絶だ。

 これが、王の見る景色か。想像よりずっと“重い”。これが、国。これから、俺はこの者達の全ての先頭を歩くのだ。俺の前には誰もおらず、手を引いてくれる者など皆無。

 

「……はぁっ」

 

 重い。苦しい。

 何を、言ったらいい?声が、出ない。怖い。

 

 バルコニーに立って、数泊の無言。皆、王の言葉が始まるのだと、沸き立っていた歓声がピタリと止んだ。

 まだ国民も臣下も、俺の異常に気付いていない。そういう“間”だと思われているだろう。しかし、あと数拍したら“異常”が知れる。この国のトップが、民に伝えるべき言葉を持たぬ“声無き王”だとバレてしまう。

 

「はぁ、っはぁ」

 

 サトシ、サトシ、サトシ、さとし。

 どこに居る。俺は、サトシが居ないと……お喋りもまともに出来ないんだ。だって、そうだっただろう。サトシがノックして、根気強く話しかけて、お話をしてくれたから……イーサはお喋りできたんだ。

 

 サトシが自己紹介をしてくれたから、よろしくって言ってくれたから。

 

『俺の名前は、仲本 聡志。イーサ。これからよろしくな』

 

 サトシが居たから喋れた。声を出そうと思った。

 

『やっと、返事した。無視すんなよ。寂しいだろ』

 

 本当は黙っていたかったけど、サトシと喋りたくて声を出した。頑張ったんだ。イーサは。だから、声を出した。サトシに伝えた。

 

(ずっと、かんがえていた。さとしが、とおくに、行かなくても、すむ、方法)

 

 ずっと、ずっと考えていた。

 それは今もそう。サトシが不思議な存在なのは、出会った時から分かっていた。キンって言う名前を聞く度に不安になったのも、それが原因で。

 イーサは、ずっとずっと分かってた。

 

(サトシが、いつかとおくに行ってしまう事を)

 

「はぁっ、はぁっ、っく」

 

 これは、本当に危ない。喋るどころか、呼吸すらままならなくなってきた。もうスピーチなんか出来ない。サトシに格好良い所なんて見せられない。だって、サトシはどこにも居ないじゃないか。

 

 サトシが居なきゃ、イーサは何も喋れない。

 

「っ!」

 

 その瞬間、宮殿内が急に騒がしくなった。一向に喋り出さない俺に、皆が異常を感じ始めたのだろう。もう、ダメだ。誤魔化せない。そう、思った時だ。

 

(……イーサ)

 

 声が、聞こえた気がした。

 

「さとし?」

 

 次いで、俺の背中に“何か”が触れた感触がする。温かい。カタチからして、どうやらソレはサトシの掌のようだった。再び、フワリと風が俺の頬を撫でた。バルコニーを出た時に感じた肌寒さを、何故だか今は欠片も感じない。

 

(此処に居るよ。大丈夫だ。お前がスピーチを終えるまで此処に居てやる)

「サトシ、さとし……」

(ほら、前を向け。フラフラすんな)

 

 どうやら、背後で騒がしかったのは俺が喋らないからではなく、サトシのせいだったようだ。そりゃあそうだろう。戴冠の儀、就任のスピーチを前にした王の傍に人間が寄りそうなど前代未聞だ。

 ちょうど俺の影に隠れ、サトシの姿は国民からは見えないだろう。ただ、ギリギリだ。俺が少しでも揺らごうものなら、サトシの姿が衆目に晒される。

 

(イーサ、なぁ。イーサ。俺に格好良い所を見せてくれよ)

 

 そんな事は、絶対にさせられない。俺は、サトシに格好良い所を見せるんだ。

 

(全部忘れて、俺に話せ)

「……」

(お前に、最高の声をくれてやるから)

 

 背中をポンと叩かれる感触に、俺は弾かれるように前を見た。眼前に広がる大観衆。皆、王の言葉を待っている。ヴィタリックではない、新しい王の……俺の言葉を。

 

 背中に感じる温かさに、俺は深く、息を吸い込んだ。

 

 

 この瞬間、俺の声はほどけた。