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「あ、キミは」
「っ!」
イーサの部屋を出た瞬間、俺は“俺”の声を聴いた。
誰も居ないと思っていた廊下には、まさかのジェロームが居た。ジェロームも寝起きなのか、それともハルヒコが整えてくれなかったからなのか。そりゃあもう、凄まじく前衛的な髪の毛を携え驚いた表情で此方を見ていた。
「サトシ・ナカモト?」
「……」
ジェロームからの問いに、俺は頷いて答える。
しかし、どうしてジェロームが此処に居るのだろう?クリプラントとリーガラントの会談はまだ後日だった筈だ。
そう、目を見開いて息を呑む俺に、ジェロームは気持ちを察してくれたのだろう。軽く小首をかしげながら「少し早めに来たんだ」と、苦笑した。
「クリプラントとの国交再開には、うちの内部でも反対派が多数居るからな。強行して話を進めてしまったせいで、俺の身は少々危険に晒されている」
「……」
そうだったのか。
まぁ、確かにそうかもしれない。今回の件は、全てが急過ぎた。しかし、それは仕方がない。急がなければ、両国に未来はなかったのだから。
「皮肉なモノで、こういう時に最も安全な場所は……敵国だと思っていたクリプラントだ。だから、明後日の正式な会談前に、俺だけ先に此方へ行くようにとハルヒコから提案をされた。移動中が……最も命を狙われやすいからな」
リーガラント本国で身の危険が迫った為クリプラントへ。それを“あの”ハルヒコが提案するのだから、本当にジェロームは危険な立場に置かれてしまっているのだろう。
そして、ジェロームの髪型が前衛的な理由も分かった。
ハルヒコが居ないからだ。
「……」
と、俺はジェロームの踊り狂う髪の毛を前に、そんなしょうもない事を考えていると、突然ジェロームが「なぁ、サトシ」と俺を呼んだ。まるで親しい友人をお茶でも誘うような、そんな軽い口調で。
「……?」
声の出せない俺は「どうした?」と視線だけで答えてみせる。そうやって、互いの視線が交わった瞬間、ジェロームの口から信じられない言葉が飛び出してきた。
「お前はもう帰るのか?」
「っ!」
まるで当たり前の事を聞くみたいに尋ねてくるジェロームに、俺はひゅっと呼吸が乱れるのを感じた。
どうして、ジェロームがそんな事を尋ねてくるのだろう。そもそも、ジェロームはこの俺、“仲本聡志”の事を、どこまで知っているのだろうか。
様々な疑問が、浮かび上がっては消える。しかし、問いかけようにも、俺はその問いを発する声を既に持っていない。
「なぁ、サトシ。知っているか?」
何も言えない俺に対し、ジェロームは気にした風でもなく答える。
「世界に同じ人間は、二人と存在しない。“同じ声”を持つ者もまた同様だ。なぁ、サトシ」
「……」
「君は“この”世界の人間じゃないな?」
俺の声で尋ねられる問いかけ。それは、まるで自問自答のような……ゲームの最後に示される今後の全てを左右する“選択肢”のようなモノだった。
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【ジェローム】
君はどうする?この世界に残るか?それとも、元の世界に戻るか?
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どう答えますか?
【この世界に残る】
【元の世界に戻る】
まったく。昨日のイーサといい、本当に粋な計らいをしてくれる。この問いかけを、俺自身の声で問うてくるのだから。そう、俺が軽く息を吐いた瞬間、ヒュッと乱れていた呼吸が突然「声」の振動を含ませた。
「……まったく、ここだけは“俺の声”で答えさせるのかよ」
自らの声で問いかけ、自らの声で答える。まさに自問自答。
選択肢を前に突然戻ってきた声。
さて、どう答える。俺に選択肢は無いと思っていたが、どうやら世界は俺に問うているらしい。俺自身の望みを。選べと、目の前に提示された。
「この世界には……同じ声の人間は二人と居ない、か」
「ああ、そうだ」
ジェロームは短く答えると、壁の上部にはめ込まれている小窓へと視線をやった。そして、安穏とした声で「今日は良い天気だなぁ」などと言う。
「……ジェローム。お前の声、格好良いよな」
「ん?そうか」
小窓を見ていたジェロームの視線がふわりと戻ってくる。少し嬉しそうだ。
「でも、まだ“足りない”。完成してない」
「そうなのか?」
「うん。まだ半分。だって俺の半分はアイツが持ってるから」
少し俯く。アイツ。山吹 金弥。
そう、ジェロームのこの声はまだ完成してない。そして、それはイーサもまた同じだ。俺が居ないとアイツも完成しない。本当に格好良い王様にはなれない。だって、そうだ。
「キンは俺に格好良い所を見せようと頑張る時、一番良い声を出すから」
それは俺だって同じだ。金弥に不甲斐ない姿を見せたくないと踏ん張る時、俺はいつも一番良い演技が出来るのだ。
もう、ずっとそうだ。俺の声は半分、金弥に預けてある。そして、金弥の声の半分も俺が預かってる。
「だから、俺がこの世界に居たら未完成になっちまう。だから」
「未完成ではいけないのか?未完成だからこそ輝く作品も、この世にはある」
ジェロームが間髪入れずに俺の弱い心を突いてくる。それも、俺と同じ声で。あの温もりと離れたくないんだろう?ずっと傍に居たいだろう?と。その瞬間、俺は腹の底から湧き上がってきた感情のままに答えた。
「バカにするな。俺はプロだぞ」
これが、俺の選んだ答えだ。いや、これは選んだんじゃない。ずっと腹の底に抱えていた俺の夢に対する自負だ。俺は、そろそろ前へ進まなければならない。置いて行かれるワケにはいかないんだ。
「俺は、お前達を中途半端なままの世界に放り出すワケにはいかない。この世界は、俺が“声を吹き込んで”初めて完成するんだ……だから、ジェローム」
俺は、しっかりと前を向いた。顎を引き、背筋を伸ばし、ジェロームに向かって歩み寄る。
「一つだけ頼まれてくれないか」
俺の問いかけに、ジェロームは目を細めた。これは、ジェロームにしか頼めない。ただ、これさえ彼に託す事が出来れば、この俺の中に燻ぶる心残りを消す事が出来る。俺の心残り、それはいつだって――
「イーサに伝言を頼む」
「イーサ王に?」
イーサしかない。アイツは、俺が心の底から成りたいと望んだ者であり、俺の大好きな声を持つ者であり、俺を“ここまで”連れて来てくれた男だ。
物言わぬあもは、言葉を話さぬ代わりにアイツの傍に居続ける。傍に居れない俺がアイツに残せるのは……言葉しかないのだ。
「うん。これはお前にしか頼めない」
「俺にしか、か……」
「ああ。出来るだけ俺っぽく言って欲しい。……アイツが戴冠式のスピーチを終えた後に、俺の代わりに伝えて欲しいんだ」
出来るだけ感情を表に出さないよう静かに言う。すると、ジェロームはもう一度窓の外へと目をやり。再びゆっくりと俺に目を合わせ……言った。
「そうか。それがサトシの答えか」
「ん」
「承ろう。ジェローム・ボルカー。リーガラント国の元帥が、その名を持って必ずお前の声を王に伝える」
ボサボサの髪でなに格好付けてんだよ。
俺は仰々しい台詞と身なりのギャップに吹き出しそうになるのを耐えながら、ボサボサの髪の毛へと手を伸ばした。そして、楽しそうに踊る柔らかい髪の毛を整える傍ら、届けたい言葉をジェロームへと託した。
言い方、声の調子、どんな気持ちで伝えて欲しいか。全部、全部、全部。
ジェロームに伝えた。伝えきった。
「よろしくな、ジェローム」
「あぁ、分かった。全部分かった。俺を信じろ、サトシ」
どこかアニメの主人公みたいな台詞で答えるジェロームに、俺は天井を仰ぎ見ながら深く息を吐いた。
あぁ、また声が出なくなった。
そんな俺に、ジェロームは再び窓の外へと目をやると、安穏とした口調で言った。
「俺の声もよろしく頼むよ。サトシ」
俺は聴き馴染みのある自身に深く頷くと、そのまま黙ってジェロームと別れた。俺には向かう場所がある。
『サトシ!戴冠式のスピーチの時は、イーサの傍に居ろ!絶対だ!これは勅命だからな!』
あぁ、分かってるよ。
王様の命令は、絶対なんだから。