エピローグ

 

 

「はぁっ、はぁっ」

 

 

 一人の男が、肩で息をしながら走っていた。

 

 

 走る、走る、走る。

 

 花で埋め尽くされた庭園を走り抜けると、重厚な扉が姿を現す。彼は脇目も振らず、両手で扉を力強く押し開けた。この扉はいつも重く、開けるのに苦労してきた。

 男がスルリと扉の隙間から城の中へと滑り込むと、扉の先には、長い廊下がひろがっていた。城の中心から離れた場所のせいで、普段はほとんど人影がない。唯一訪れるのは、おそらく部屋守くらいのものだろう。

 

 男は、肩で息をしながら廊下を少しだけ足音を緩めて歩く。赤い絨毯が敷かれているので、足音は響かない。天井に設置されている窓から入り込んでくる風が、少し汗ばんで熱を持った体をゆっくりと冷ましてくれる。

 

「はぁっ」

 

 立ち止まった男の前に、大きく荘厳な扉が現れた。見慣れた扉。この扉を何度こうして眺めた事だろう。深く息を吸う。呼吸を何度か整え、自身の喉へ手をやった。

 

 男は思う。

 出来れば、アイツに聞かせる声はいつも凛とありたい、と。なにせ、あんなにも立派なスピーチをやってのけた相手だ。不甲斐ない声など聴かせられないではないか。

 

「……そう、仲本聡志は思った」

 

 仲本聡志は呼吸を整えると、扉に向かって手を掲げた。約束を、果たす時が来たのだ。

 

コンコン

 

「イーサ。俺だよ、サトシ」

 

 扉の向こうからは何の返事も聞こえない。そんな扉の向こうに、仲本聡志は苦笑した。これは完全に拗ねてしまっているようだ。確かに、ゲームのクリアに手間取って、来るのが遅れてしまった。

 

コンコン

 

「イーサ。遅くなってごめん」

 

 返事はない。ふむ、どうしたものか。

 

「ジェロームから聞いただろ?ユメデンワで会いに来るからお前は此処で待ってろって……ちょっと遅れたけどちゃんと会いに来た。なぁ、イーサ」

 

 やはり、返事はない。

 どうやら、相当お冠らしい。これはどうしたものかと思いながらも、仲本聡志は開かない扉を前に再び深く息を吸い込んだ。こうなった彼には、出来るだけ優しく語りかけるしかない。そう、眠る前の子供に語りかけるような声で――。

 

「イーサ、会いたい」

 

 そう、望みの全てをその声に託した時だ。大きな扉がキィと控えめに開いた。

 

「……遅い」

「ごめん、イーサ。でも、ちゃんと守っただろ?」

 

——–会いに来るって。

 

 目の前に現れたイーサは、あの日と変わらず甘えた顔で聡志を見下ろしていた。その顔が余りにも可愛くて、懐かしくて。今にも癇癪を起さんばかりのイーサの体に抱き着くと、太陽の匂いを纏わせるイーサに、聡志はやっと直接伝える事が出来た。

 

 

「イーサ、上手だったよ」

 

 

 

        〇

 

 

 

 これは、決して賢王の話などではない。

 

 この長い長い歴史を持つクリプラントの歴代国王の中で、最も私利私欲を尽くし、最も愚かで、けれど国民、そして家臣から最も愛された、一人の国王の話である。

 

 そして、その長い生涯をかけて、たった一人の人間を愛し切った一人の男の話でもある。

 

 

 

 

おわり