修行5:たくさん発散しろ

 

 

 テレビから、懐かしいゲームのタイトルが聞こえてきた。

 

 

≪十年前、悲惨な通り魔事件の被害の渦中に置かれた【ソードクエスト】。その最新作が、今日、十年の月日を経て発売となります。店の前にはファンの列が~≫

 

 日本のロールプレイングゲームの中で最も歴史が古く、そして、最も売れている【ソードクエスト】シリーズ。

 “その日”は、最新作の発売日だった。

 

『ソードクエストの新作、今日発売なんだってなー』

 

 俺はテレビ画面に映る長蛇の列を眺めながら、目の前を通り過ぎる人影に声をかけた。

 

『十年ぶりだってさ。なぁ、兄ちゃんが買って来てやろっか?』

『うっせぇ、黙れ』

 

 制服を着崩し、髪の毛を金色に染め上げた弟が、思春期特有のすげない返事を寄越してくる。

 中学二年。早生まれのせいで、まだ十三歳。俺の六個下の弟は、思春期の幕開けとともに華麗にグレてしまっていた。

 

『昔よく一緒に遊んだよなー。久々に一緒にやろうぜ』

『うっせぇっつてんだろ!』

 

 罪もないリビングの壁が弟によって激しく蹴られる。可哀想に。

 

『やめろよ。カベ君が可哀想だろー。謝りなさい』

『うるせぇっ!』

 

 六個も年が離れていたお陰で、小学生の頃までは「兄ちゃん兄ちゃん」と完全に俺の後ろを付いて来てくれたのに、今やこの有様だ。最近はまともな会話をした記憶が一切ない。

 やっぱ今日もダメか、と俺がスマホに再び目を落とした時だ。

 

『……予約もしてねぇのに、買えるワケねぇだろ』

『っ!』

 

 久しぶりに弟から罵声以外の言葉を聞いた。その返事に、俺は思った。

 コイツ、やりてぇんだなって。

 

『そっかー、無理かー』

 

 俺は座っていたソファから立ち上がると、スマホをポケットに仕舞った。大学の授業は午後からだ。今から店を覗いてみるのも悪くない。

 

『なぁ、もし兄ちゃんがゲーム買って来れたら、一緒にやろうぜ』

『はぁ?』

『今日、学校終わったら家に帰って来いよ。絶対夜遊びすんなよ』

『おいっ!勝手言ってんじゃねぇっ!』

 

 叫ぶ弟を無視し、俺は財布と鞄を持ってリビングを飛び出した。最後に弟とゲームをしたのはいつだろうか。

 

『買って来てやるから、絶対に家に居ろよ!あ、あとお前金髪マジで似合ってないから染め直した方がいいぞー』

『うっせぇ!死ね!』

『憧れの先輩の真似も程々になぁ』

『違ぇっつってんだろ!?殺すぞ!』

 

 玄関に走ってきた弟が俺に向かって凄まじい怒声を放ってくる。

 だって本当の事なのだから仕方がない。なんでそんな後から黒歴史になりそうな金にしたんだよ。後から卒業写真を見て泣く羽目になるぞ。

 

『二度と帰ってくんな!バァァカ!』

『おいっ!兄ちゃんに死亡フラグ立てんな!お前が主人公なら兄ちゃん確実に死ぬだろうが!』

『死んで来い!』

『俺は死にませーん!今日はお前と一緒にゲームすんの!』

 

 俺はそれだけ言うと勢いよく玄関を飛び出した。

 中学に入って、何故かグレ散らかしてしまった弟。でも、昔は可愛かった弟。久々にゲームが出来るかもしれない。そう思うと、少しだけワクワクした……のだが!

 

『……ぅっ』

 

 周囲から悲鳴と、遠くから救急車の音が聞こえる。どうやら、俺は車に轢かれたらしい。

 俺は薄れゆく意識の中、【ソードクエスト】を抱える腕に力を込めた。

 新作は、もちろん買えなかった。でも、どうしても弟と一緒にゲームがしたくて最後に一緒にやった、三世代前の【ソードクエスト】を買った。

 

 あーぁ。死にたくねぇ。

 また弟とゲームがしたかった。また兄ちゃん風吹かせて格好付けたかった。

 

 いつの間にか。身長も力も、更に言えば顔面偏差値も、何もかも弟に抜かされた。もう俺なんか格好良くないかもしれないけどさ。

 たまには、憧れの先輩とじゃなくて「兄ちゃん」とも遊んでくれよ。

 

 そこまで考えて、俺の思考は闇に落ちた。そして気付いたら、俺は【ソードクエスト】の世界に居たのだった。

 

 ただの、剣士として。

 

 

 

————

——–

—-

 

 

 

 この世界には「レベル30の俺」と、「レベル5以下のその他」。そして、「レベル100の魔王」しか居ない……というのは今や昔の話だ。

 この世界には「レベル30の俺」と「レベル5以下のその他」。更に「レベル100の魔王」が居て……。

 

 そして、日々レベルを上げ成長し続ける「ホンモノの勇者」が居る。

 

 

「師匠!今の俺、どうだった!?」

「どうって言うか……」

 

 そう、俺の目の前で満面の笑みを浮かべてくる弟子を前に、俺はヒクりと表情を引き攣らせた。

 

——

名前:シモン  Lv:85

クラス:師の意思を継ぐ勇者

HP:8450   MP:897

攻撃力:684  防御力:451

素早さ:211   幸運:48

——

 

 我が弟子、シモン。

 そのレベル、今や85。

 先程まで俺達の周囲を取り囲んでいたモンスターの群れを一撃で薙ぎ倒した相手に、俺が何か言うとしたら……。

 

「あぁ、うん。最高最高。言う事ないわ」

 

 うん、本当にない。全然、ないわ。

 

 シモンと出会って三年。

 最初はレベル6だったシモンも、今やこの世界で魔王に次ぐ実力の持ち主となっていた。しかも、成長期に俺が死ぬ程「食事(主にパン)」と「睡眠(昼寝も含む)」を取らせた事が功を奏したのか、十六歳にして今やシモンの身長は俺の頭一つ分より高い位置にある。

 

「何も無い……?」

「うん、言う事ない。文句なしの満点です」

 

 更に言えば、その顔は精悍も精悍。

 出会った当初は、ゴロツキ達から「変態貴族の相手には丁度良いかもな」なんてバカにされていたのが嘘のように、今や素晴らしい程の美丈夫に成長していた。最早、シモンを下ネタでバカに出来る奴など、この世界にはどこにも居ないだろう。

 

「そんな筈ないだろ?指摘する事が沢山あって、言うのが面倒だからってテキトーに流すなよ、師匠。検討会やろうよ!」

「えぇぇ……」

 

 どうやら俺の答えが気に食わなかったのか、シモンは不満げな様子を一切隠さずに言ってのけた。少し口を突き出す仕草なんかは、その精悍な顔つきの中に幼さが垣間見えて可愛いくもある。母性本能が擽られるタイプの可愛さ。

 

 うん、確かに可愛い。可愛いのだが!!

 

「俺なんて、師匠に比べたらまだまだなんだからさ!」

「ぐふっ」

 

 あ゛ーー!つれぇっ!

 居たたまれねぇっ!穴があったら入りてぇっ!

 

「師匠、どうしたの?」

「あ、いや……何でも」

 

 十六歳になったシモンは、今やそのレベルも、その体つきも、顔面偏差値すらも俺の遥か高みを行っているにも関わらず、未だに俺の事を心から「師」と仰いでいた。

 レベル30の、シモンからすれば「雑魚」同然の俺を。

 

 一番多感な時期に、少しばかり強い所を見せつけて「師匠」なんて呼ばせてしまったせいで、シモンの「俺」への見え方が、思い出補正によりかなり偏ってしまった。

 少し前にやった、シモンへのインタビュー結果が此方。

 

『この世で一番強い奴?そんなの師匠に決まってんじゃん!最強じゃん!』

 

 や・め・ろ!

 くそっ、これは完全に思い出補正と言う名の乱視が入っちゃってるよ。もう完全にその名の通り乱れ切ってるよ、俺への見え方!

 

 思い出補正怖過ぎか!

 

「うーん、そうだな……強いて挙げるとすれば」

 

 本当に指摘する事など皆無なのだが、何か言わなければシモンも納得しない。シモンが納得しなければ、夜のモンスター討伐の修行も終わる事が出来ない。

 昔、俺がシモンとやった一騎打ちで初めて一太刀を浴びせられて以降、修行の後は必ず「師匠の検討会タイム」が無ければ、シモンは納得してくれなくなった。

 

 俺は顎に手を添えると、先程のシモンの戦闘を必死に脳内でリプレイした。

 

「……さっきのは、奥のヤツから倒した方が、お前も攻撃を受けずに済んで良かったんじゃないか?」

「そう?」

 

 そう、小首を傾げてくるシモンに、俺は「そうだよ」と無理やり頷いた。

 最早、シモン程の実力になれば、どんな相手でも物理で薙ぎ倒す事が可能なので、倒す順番などはあまり気にする必要はない。

 

 なので、この検討会で俺の言う内容は「もし、俺がこの戦闘をやった場合どうしたか」を口にするしかないのだ。つまり、弱者の戦い方だ。こんなアドバイス、今のシモンには全く必要のないモノだろうに。

 

 そう、俺が無理やり言葉を絞り出していると、シモンの腕から赤い血が滴るのが見えた。

 

「シモン、ちょっと腕見せてみろ」

「腕?」

「なんか、血ぃ出てるぞ」

 

 差し出された腕を見てみれば、そこには結構ハッキリとした切り傷が、シモンの腕に浮かんでいる。攻撃の合間に、いつの間にかモンスターの牙でも触れていたのだろうか。そんな場面はなかったように思うが。

 

「……ん、ほんとだ。やっぱり師匠の言う通りにしてないから怪我したんだ」

「おいおい。なに怪我した癖に嬉しそうな顔してんだよ。ほら、腕貸せ」

 

 傷を見てみると、切り口の周囲に青紫色に変色しかかった皮膚が見えた。

 

「毒か」

 

 このダンジョンのモンスターは毒を持つモノは居なかったと思うのだが。

 

「あぁ、クソ。解毒剤持って来てねぇわ」

 

 最近はシモンが怪我もなくモンスターを掃討してしまうので、荷物は最低限にしていた。

 

「まぁ、そこまでヤバイのじゃないでしょ。ほっといていいよ」

「おい、そういう油断がダメなんだよ。皮膚が壊死したらどうすんだ」

 

 俺は腰に付けた道具袋から水を取り出すと、傷口へとゆっくりかけた。本当はこういう野生っぽい事はしたくないのだが、まぁ、今回は仕方がない。

 

「シモン。俺が毒を吸うから、ちょっと嫌かもしれないけど……我慢しろよ」

「別に、師匠なら全然嫌じゃないよ」

「……ナラヨカッタ」

 

 本当は自分でやって欲しいんだけど。

 なんて、やって貰う気満々で腕を差し出してくるシモンに言えるワケもなく……。俺は静かに腰を折ると、患部に唇を押し当て血液を一気に吸い上げた。

 

「っ」

 

 頭の上でシモンの息を呑む声が聞こえる。同時に、舌の上にはシモンの血の味が広がった。

 

 あぁ、これが勇者の血の味か。なんて、ちょっと気色悪い事を考えてしまった思考を消すべく、俺は毒を吸い上げる行為に没頭した。

 吸っては吐き、吸っては吐き。それを数度繰り返した所で、最後に自分の口を水でゆすいだ。

 

「こんなモンでいいだろ。痛かったか?」

「ちょっと」

「あいあい、よく我慢しました」

 

 俺が少しばかり揶揄うようにシモンの頭を撫でてやると、どうやら揶揄われているとは露程も思っていないシモンが、更に自分から頭を差し出してきた。

 他人の目がある時は決して見る事の出来ないシモンの子犬のような姿が、修行の時ばかりはナイトパレードの如く目白押しとなる。

 

「今度は包帯巻くから、もう一回腕を出せ」

「うん!」

 

 俺はシモンに差し出されたガシリとした太い腕に、ぼんやりと思った。

 

「大きくなったなぁ、シモン」

「そうかな?」

「そうだよ。腕もこんな太くなって。今度はもう少し刀身の太い剣の方が、今のお前には向いてるかもな」

「うん、師匠が言うならそうだと思う」

「……お前はどうなんだ?」

「別に。師匠が言うのがいい」

「あいあい」

 

 シモンのレベルも85になった。もう少し強くなったら魔王にも追いつけるだろう。でも、まだだ。

 

「シモン、勝てば良いんじゃなくて、ダメージは最低限に抑えて勝てるようにしろよ。魔王は力押しだけで勝てるような奴じゃないからな」

「うん、師匠が言うならそうする」

 

 向こうに居るのは「魔王」だけじゃない。その手下も相当な強さだった。本当はシモンにもパーティを作ってやれれば良いのだが、如何せんこの世界の人間は皆レベル5以下。唯一その壁を越えた俺も、たったのレベル30ときたもんだ。

 

 俺はシモンに包帯を巻いてやりながら、チラと自らのステータス画面へと目をやった。

 

——

名前:キトリス  Lv:30

クラス:剣士

HP:2541   MP:453

攻撃力:158  防御力:98

素早さ:68   幸運:24

次のレベルまで、あと  0

——

 

 シモンは三年でこんなに成長したのに、俺ときたらあの頃と何も変わっちゃいない。「一緒に魔王を倒そう」とは言ったものの、多分、俺が一緒だと足手まといになるのは目に見えてる。

 

「シモン、お前さ……」

「ん?」

 

 もう、一人でも大丈夫じゃないか。

 包帯を巻いてやりながら、喉まで出かかった言葉を俺はゴクリと飲み込んだ。いや、コレは言わない方が良い。

 

「なに、新しい技でも教えてくれんの?」

「前も言っただろ?技を自分で考えんのも修行だって。サボんな」

「はーい」

 

 レベル30の俺が、レベル85のお前に教えられる技なんて、もう何も無い。

 素直に頷くシモンを前に、俺は巻き終わった包帯の上からポンと手ではたいた。

 

「よし、そろそろ帰るか」

「えー、もう少し奥まで行こうよ。師匠」

「あんまり奥まで行くと、帰る頃には朝になっちまうだろうが」

「いいじゃん。皆もそこまでガキじゃないし、朝飯くらい自分で食べるよ」

「……俺は眠いんだよ」

「じゃあ、ちょっと此処で休んでから行こう!ね、お願い!」

 

 パン!と俺の目の前で両手を合わせるシモンに、俺は深く息を吐いた。

 

「分かったよ。あと少しだけだからな」

「やった!俺、新しい技覚えたんだ!見てよ!」

「あいあい」

 

 あぁ、シモンは素直で真っ直ぐだ。

 何を言っても「うるせぇ!」と叫び散らかしていたあの頃は、今や幻だったのではとさえ思える。

 

「ねぇ、師匠。俺、師匠の弟子の中で何番目に強い?」

「……俺には、お前しか弟子は居ないよ」

 

 俺の言葉に、シモンはその整った顔にゆっくりと深い笑みを浮かべた。その手は、先程俺が巻いた包帯をゆったりとした手つきで撫でている。

 

「じゃあ、師匠の弟子の中で俺が“一番”強いって事だもんな?」

「うん、お前が一番だよ」

「そっか!」

 

 もう、何度目になるか分からないこのやり取り。

 

 シモンは俺に凄まじいまでの憧憬の念を抱いている。

 シモンが見ているのは「俺」であって「俺」ではない。思い出フィルター越しに見ている「俺」は、婉曲と屈折を繰り返し本来は存在しない「最高の師匠」という崇高な存在にされてしまった。

 

「二人で一緒に魔王を倒そうな!」

「……お、おう」

「師匠が居れば、俺、何でも出来そうな気がする!」

「ソダネ」

 

 ただただ勘違いで勇者扱いを受けてきた凡庸な俺が、こうしてホンモノの勇者の前で「天才」を演じなければならないのは、そりゃあもう最高に重い。

 重くて重くて仕方がないのだが……!仕方がない!

 これも魔王を倒す為だ!

 

 でも、いつからだろうか。

 

「ねぇ、師匠……」

 

 いつの間にか、俺の体はシモンの大きな体にすっぽりと抱きしめられていた。

 

「シ、シモン?」

「……ちょっとだけ、休憩して行こ?」

 

 耳元で響く、熱を帯びた深い吐息。ピタリと密着する体。ハッキリと熱を主張するシモンの下半身。

 

「ししょう、コレどうしたらいい?」

「シモン……ソレは、自分で」

「できない」

 

 そうやって、甘えきった大型犬のように俺に擦り寄ってくるシモンは、包帯の巻かれた腕でスルリと俺の腕を取った。

 

「ねぇ、ししょう」

「ぅ、ぁ」

 

 シモンの腕に導かれたその先には、俺がシモンの傷口に口を付けた時からずっと主張し続けていた強靭な猛りの源があった。

 

「シて」

 

—-

——–

————

 

 

 今から二年程前の話だ。

 

『なぁ、シモン。一人でも魔王を倒してくれるか?』

 

 そう、俺がシモンに言った事があった。

 

 確かあの日はダンジョン修行から戻った後で、シモンは凄まじい成長期の真っ最中だった。その為、シモンは毎日のように体に走る成長痛のせいで、眠れない日を送っていた。

 

『師匠、体が痛い……』

『よしよし。大丈夫大丈夫』

 

 そんなシモンを無視して自分だけ眠れるワケもなく。俺は毎晩シモンの体を撫でながら話し相手になるという事を続けていた。

 俺達の居る場所は子供達が眠る大聖堂ではない。その脇にある個室。元は懺悔室として使われていた場所だ。

 

『俺、こんなに体が痛くて……死ぬのかな』

『大丈夫だよ、成長痛で死んだ奴なんて聞いた事もない』

『ほんとに?』

『ほんと、ほんと』

 

 不安そうな顔で此方を見上げるシモンは、まるで親に甘え切る幼子のような表情をしていた。まぁ、体がガチガチで俺よりデカくなりつつあるんだけども。

 

『……師匠、ここも痛い』

『あいあい』

 

 『俺にはたくさん甘えていい』と言ったあの日を境に、シモンは俺に素直に甘えるようになった。でも、それは夜だけ。俺と二人きりの時だけだ。

 シモンは昼間と夜で、違う顔を見せる。

 

 昼間、俺以外の人間と居る時は「頼れる皆の兄貴」であり、少しずつ肉体的な成長を見せるようになってからは、街の人間からも一目置かれるようになっていた。

 有り体に言うと、凄まじくモテ始めた。

 

 街に出た時の、あの女の子からの取り囲まれ方はヤバい。ドラマでしか見た事ないヤツだ。

 

『シモン、こないだ街の女の子と話してたよな?え、彼女?付き合ってんのー?』

『は、女?もう居過ぎて誰の事言ってんのか分かんないんだけど……』

『……そーですかぁ』

 

 揶揄ってやるつもりが、完全にマウントを取られてしまった。いや、多分シモンにマウントを取っているつもりなど全くないのだろうが。

 俺なんて、自分が“勇者”だと勘違いして吹聴している時こそ多少モテていたが、此方に来てその身分を隠すようになってからは一切モテなくなった。

 

 でも、それは仕方ない。

 俺の顔って、めちゃくちゃ普通だし。金も、育ち盛りの子供達の食費に全ベットしてるせいで殆ど無いし。状況的には子沢山のビッグダディ状態だし。顔も普通だし。あ、顔の事二回言っちゃった。

 

 まぁ。結局、この世界でモテたのは、“俺”ではなく“勇者という肩書き”の方だったというワケだ。ツラ。

 

『師匠、こっちも痛い……』

『あ、ここ?』

『違う、ここ』

 

 しかし、そんなモテモテで頼れる兄貴のシモンも夜になると一変する。

 

『ししょう……いたい』

『よしよし』

 

 きっと、他の子供達や、街の人間からは想像もつかない姿だろう。“あの”シモンが子犬のように体を擦り寄せて甘えている姿など。

 

『最近、お前凄い身長伸びてるもんな。成長痛も酷い筈だよ』

 

 昔は俺の足の間に納まるサイズだったのに、今では体全体を使っても抱えきれないサイズになってしまった。

 

『……はぁ、っぅう』

『少しはマシになったか?』

『いたい』

『眠くなったらいつでも寝ていいからな』

『……全然眠れないし。師匠、先に寝ないでよ』

『分かってるっつーの』

 

 本当は眠いのを堪え、俺はシモンの背中をトントンと叩いてやりながら、ふと目に入ったシモンのステータスをぼんやりと眺めた。

 

——

名前:シモン  Lv:55

クラス:師の意思を継ぐ勇者

HP:6301   MP:678

攻撃力:501  防御力:398

素早さ:178   幸運:41

——

 

 そこには、既に完全に俺のレベルを超えたシモンのステータスが表示されている。今やダンジョン攻略も、俺の手を借りずとも一人で敵を掃討出来るようになった。むしろ、今挑んでいるダンジョンの敵は、俺一人だと厳しいかもしれない。

 

 もう、俺との手合わせでシモンが学べる事は何もない。むしろ、一緒に戦闘の隊列に加わったら足手まといになるレベルだ。

 もし、これで俺がシモンと一緒に魔王の元まで行ったりしたら――。

 

——兄ちゃん。

 

『っ!』

『……師匠?』

 

 久しぶりに、弟の声を聞いた。

 しかも、コレは“あの時”の声だ。

 

——かっこわる。

 

 高三の夏。

 俺が路地裏で不良にボコボコにされた事があった。ほんと、偶然。コンビニで買い物をしてる時に、肩がぶつかったとかぶつからなかったとか。そんな下らない理由で。

 

 まぁ、アイツらには理由なんてどうでも良かった筈だ。ただの憂さ晴らしに使われただけなんだから。サシでも勝てる筈ない相手に、俺は複数人から一方的な暴力を受けた。

 

 だから、俺はあんまり好きじゃない。不均衡なまでの力の差も、それにモノを言わせて好き勝手やる奴も。

 

——兄ちゃん?

 

 その場面を、たまたま弟に見られた。

 殴られた時の痛みよりも、今でも俺が忘れられないのは弟の目だ。

 

 あの目は、完全に俺に失望していた。

 それまでは六歳差という事もあり、俺は随分兄貴風を吹かせてきた。兄ちゃん格好良い!と言われるのが嬉しくて“出来る所”しか見せてこなかった。

 

——クソが、話しかけんな!

 

 あの日を境に『兄ちゃん』と呼んでくれなくなった。しかも、中学に上がった途端、一気にグレた。

 どうやら、学校に居る不良の先輩で憧れの人が出来たらしい。

 

『……なぁ、シモン』

『なに、師匠』

 

 俺はシモンの大きな背中を撫でてやりながら「レベル55」という数字を見つめながら、吐き出すように言った。

 

『シモン。お前は、もう俺より強いよ』

『え?』

『俺がお前に教えられる事は、もう何も無い』

 

 そして、何も考えずに口にしてしまったが『お前に教える事はもうない』って、めちゃくちゃ格好良い台詞を吐いてしまった。コレは、師匠が強くなった弟子に言いたい台詞ナンバーワン過ぎる。

 

『な、何言ってんだよ。師匠』

 

 突然の俺の言葉に、シモンは戸惑っているようだった。

 でも、そろそろ本当の事を伝えておかなければ。いつまで経っても嘘っぱちの師匠風を吹かせて、あの時のような目に合うのは御免だ。

 

『俺の事も、師匠って呼ばなくていいから』

『な、なんで』

 

 まずは呼び方を戻さないと。この呼び方がシモンの目を曇らせている節がある。

 俺はシモンの背中を撫でる手は止めないまま、ただシモンと目を合わせる事なく話し続けた。

 

『言ったろ?もう、お前は俺が居なくても一人で強くなれる。だから、これからは俺の事も“キトリス”って名前で呼べよ』

『……』

『普通の友達みたいに呼んでくれていいから』

『ふつうの、ともだち……?』

『そう』

 

 まぁ、最初は呼び方も慣れなくて戸惑うだろうが、そういうのは、呼んでいるうちに慣れる。そもそも、レベル30でしかない勘違い勇者の俺が、ホンモノの勇者の師匠をしてる事自体がおかしかったんだ。

 

『お前はホンモノの勇者だ。自信持て』

 

 シモンのレベルも、あと少しで俺の倍になる。この辺りが師匠ごっこの潮時というモノだろう。

 

『なぁ、シモン。一人でも魔王を倒してくれるか?』

 

 そう、俺がシモンの顔を覗き込もうとした時だった。俺はいつの間にか凄まじい力で、床の上に押し倒されていた。

 

『あ、れ?』

『師匠』

 

 突然反転した世界と、俺を見下ろしてくる無感情な金色の目。俺を押し倒す力は、俺がどう体を動かそうともビクともしない。その時、俺は物理的にシモンからマウントを取られていた。

 

『……それって、破門って事?』

『は?いや、そういうワケじゃ……』

『なに、なんで?ていうか、友達ってなに?そんなの、俺以外もいっぱいいるじゃん。ヤだよ、そんなの』

『ちょっと待て、シモン。話を聞け』

『なに、もしかして俺じゃない奴を弟子にすんの?』

『違う違う。そうは言ってないだろ?俺から教えられる事はもう無いから……』

『そんなワケないだろっ!!』

 

 シモンの怒声が狭い懺悔室に響く。

 

『シモン、落ち着け……皆が起きる』

『……皆なんか知るかよ。夜は俺と師匠だけの時間じゃん』

 

 馬乗りになるシモンの体は、どんなに俺が身をよじろうとしてもビクともしない。

 そりゃあそうだ。今の俺は、シモンに敵うモノは何一つない。攻撃力も、防御力も、体の大きさも、何もかも随分前に追い越されてしまったのだから。

 

「っぅ」

 

 肩に食い込むシモンの大きな掌に、思わず声が漏れる。すると、弾かれたようにシモンの手が肩から離れていった。

 

『ししょう……ごめん』

 

 震える声にシモンに、俺がシモンの顔を見上げてみれば、その目にはうっすらと涙の膜が金色の瞳を覆っていた。

 

『俺、何も分かってない。俺、師匠より弱い。知らない事ばっかりだ。俺だけって言ったのに、師匠は、別のやつを弟子にするんだ……友達なんか、いやだ』

『シモン……』

 

 シモンは確かに強くなった。でも、まだたったの十四歳。そんな子供相手に、俺はまったく何て事を言ってしまったのだろう。

 

『ごめん、シモン。冗談だよ』

『……ほんと?』

 

 俺は遥か高見から俺を見下ろしてくるシモンに向かって手を伸ばすと、そのまま悲しそうに歪む顔を両手で挟んだ。泣いてはいない。シモンはいつもそうだ。泣きそうな顔はするけれど、決して泣かない。

 

『うん。お前なんてまだまだなんだから、俺が色々教えてやらないと』

 

 俺は自分のプライドの為に、面倒事を全てシモンに押し付けようとしたのだ。まったく、最低だな。俺は。

 

『ほら、おいで。体が痛いんだろ?撫でてやるよ』

『……うん』

 

 シモンの手が俺の首の後ろに交差するように回された。ピタリと密着し合った体の向こうで、シモンの心臓が早鐘のように鳴り響くのが聞こえる。

 耳元で聞こえるシモンの呼吸は、未だに荒い。

 

『はぁっ、っは』

『シモン……ごめんな』

 

 もう師匠は要らないだろうと言っただけで、まさかシモンがこんな風になるなんて。鼻先がくっ付きそうなほど間近にあるシモンの顔を見つめながら、俺は自分の軽率な発言を恥じた……。

 

 その時だった。

 

『……ねぇ、師匠』

『ん?』

 

 ピタリとくっつく体の向こうに、一際熱いナニかを下半身に感じた。故に、今の『ん?』はシモンの問いかけに対する返事の『ん?』ではない。ゴリゴリと下半身に擦り付けられる、男なら誰もが覚えのある自己主張に対する『ん?』だ。

 

『これ、なに……くるしい』

『……んーー?』

 

 顔を赤らめ、本能のままに俺に主張を擦り付けてくるシモンに俺は頭を抱えたい気分だった。シモンのソレは、完全に勃起していた。

 え?どういうタイミング?なんでここで興奮してるんだ、シモンは。

 

『っはぁ……師匠、これ。どうしたら、いい?』

『あ、えと……』

『おしえて』

 

 瞳に張った薄い涙の膜と、上気する頬。そして、擦り付けられる猛りに猛った下半身。そんな思春期真っただ中な弟子を前に俺は思った。

 

 え?師匠って、ソコまで教えなきゃダメ?

 

————

——–

—-

 

 

「はぁぁっ!スッキリしたー!」

 

 シモンは、まるで良い運動でもした後かのようなスッキリとした表情でグッと背伸びをした。微かに額に滲む汗に前髪が張り付く様子は、十六歳とは思えない程の色気を漂わせている。

 

「……そりゃ、良かったわ」

 

 そんなシモンを前に、俺はすぐ脇にある鞄から水筒を取り出しながらそう答える事しか出来ない。あぁ、早く水が飲みたい。

 そう、俺が水筒を口に付けようとした時だ。

 

「師匠は?」

「……え?」

「師匠はスッキリした?」

 

 つい先程まで背伸びして立っていたシモンが俺の目の前まで来ていた。薄っすらと桃色に色付く唇に笑みを浮かべながら、金色の瞳は戸惑う俺の姿をハッキリと映し出す。

 

「あ、えと」

「師匠、ボタン掛け違えてるよ?やってあげる」

「あ、え。うん……あ、俺、自分で」

「ううん、俺がやる」

 

 戸惑いつつも頷く俺に、シモンは俺のボタンを一つ一つ留め直していく。

 喉が、かわいた。頭の片隅に張り付くその渇きに、俺がゴクリと唾液を呑み下した時だ。

 

「だって、俺が脱がせたんだから」

「っ!」

 

 その言葉に、ハッキリと顔に熱が集まるのを感じた。自分の顔は見えないが、分かる。俺の顔は今、きっと酷い有様だろう。

 

「……照れてる師匠、かわい」

「ぐぅっ!」

 

 その時、シモンの口から紡ぎだされた「師匠」は、「うるせぇ、師匠!」と口先だけで呼ばれていた時の「師匠」呼びと殆ど同じニュアンスを帯びていた。

 クソッ、コイツ!もう絶対、俺の事師匠だって思ってないだろ!?

 

「ね?師匠、キモチ良かった?」

「気持ち良かったです!!!」

 

 

 そう、俺が叫んだ瞬間、シモンはクラスチェンジした。

 

——

名前:シモン  Lv:85

クラス:夜の勇者

——

 

 ド王道のRPGで下ネタやめろ!?