修行6:たくさん使い過ぎた

 

 

「……とうとうこの時が来たか」

 

 

 俺はいつもの日課である朝食のパンを焼きながら、深い溜息を吐いた。俺の手には質の良い一枚の紙。

 それは聖王家の紋の記された、国王からの正式な勅命書であった。

 

「はい、お疲れさん」

 

 俺は大空を舞う一匹の鷹に一言声を掛けると、持っていたパンを勢いよく空中へと放り投げた。その瞬間、パンは一瞬にして俺の目の前から消えて無くなる。

 

「……やっぱスゲェな」

 

 この鷹とも長い付き合いだ。かれこれ、三年……いや、もうすぐ四年になるか。パンを咥え大空を飛び去って行くその後ろ姿に、俺は小さく独り言ちた。

 魔王討伐の旅に出てから、あの鷹はずっと俺と王家を繋ぐ伝書鳩のような役割を担ってくれていた。

 

 再び手紙に目を落とす。

 そこには事務的に綴られた登城命令が、整った文字で淡々と記されていた。ただ、事務的で感情など読み取れない文章ながらも、ハッキリと感じ取れる。

 

 この手紙を寄越した相手が「怒っている」という事が。

 

「……最近、全くお金も貰えてなかったからなぁ」

 

 そうなのだ。

 俺がこの世界に呼び出され、勇者だ何だと祀り上げられた結果、魔王討伐を命じられてから早四年。俺は何の結果も出せないまま、ただ無為に金の無心ばかりを王家に対して行ってきた。

 

「まぁ、そりゃ王様もそろそろ怒るよなぁ。でも……でもさぁ」

 

 仕方がないだろ!?

 ホンモノの勇者を育てあげる為には、それなりに入用だったのだ。食費や日用品、武器や装備品の類などなど。ただ、その中で最も重い比重を占めたのは食費だ。

 

 なにせ十一人分の育ちざかりの食費だぞ!?ある程度は仕方が無いだろうが!

 そんなワケで、ともかく俺は国民の税金を私利私欲の為に使っていたワケではない。それだけは誓って言える。

 

「でも、そんなん向こうには分かんないだろうしなぁ」

 

 ともかく一度、城に来いという旨が、チクチクとした嫌味と共に書かれていた。

 

「行くしか……ないかぁ?」

 

 そう、俺が軽く呟いた時だった。

 

「師匠?」

「っ!」

 

 いつの間にか、俺の真後ろにはシモンが立っていた。気配を消されて近づかれていたせいで、本当に全く気付けなかった。

 

「どうしたの?ソレ、手紙?誰から?見せて」

 

 シモンが矢継ぎ早に質問をしながら、流れるような動作で俺から手紙を取り上げようとしてくる。いや、さすがに、こんなガチガチに叱られてる手紙をシモンに見せるワケにはいかない。

 

「なんでもないよ。そんな事より腹減ったろ?もう焼き上がるから一緒にパンでも食おうぜ。何個食いたい?」

「……」

 

 竈からパンを盗り出しながら尋ねる俺に、シモンはムスリとした表情のまま何も答えない。未だにその目は俺のポケットの中にある手紙へと向けられている。そんなシモンの視線に、俺はひたすら気付かないフリを決め込む。

 

「シモン、何個食いたい?」

「……六個」

「んー、じゃあ七個食え。七は縁起の良い数字だからなー」

「そうなの?」

「そうだよ」

 

 俺は、焼きたてのパンを次々とシモンの腕の中へと乗せていく。さすがに七個ともなると、けっこうな量なのでシモンの腕はフワフワのパンでいっぱいになっていた。

 

「シモン。お前は昔からすぐ遠慮するけどさ、ほんと最初から食いたい数を素直に言っていいんだって」

 

 そう、シモンは俺が食べ物を「いくつ食べたい?」と尋ねると、いつも少し遠慮して答える癖が付いている。なので、俺は昔から何か適当な理由をつけては、シモンには少し多目に食べ物を渡すようにしていた。

 

「でも、師匠。最近お金、足りてないんでしょ」

「……足りてるよ」

 

 何て事ない風を装いつつ言葉を返しながら、俺は心臓が跳ねるのを止められなかった。まさか、金の事がシモンにバレていたとは。

 ここ最近になって、王家から毎月運ばれてきていた金が全く届けられなくなった。なので、確かにちょーっと家計は火の車だったりしていたのだが。それでも、気付かれないようにやりくりしていた筈なのに。

 

「師匠。俺もそろそろ働くよ」

「お前、子供の癖に何心配してんの。お前は修行してろよ。お前の仕事は強くなる事だろうが」

 

 俺はシモンの肩をポンポンと軽く叩くと、すぐ脇に表示されるステータス画面を見た。

 

——

名前:シモン  Lv:90

クラス:夜の勇者

HP:9152   MP:925

攻撃力:724  防御力:587

素早さ:256   幸運:58

——

 

 シモンはこれまでの修行の末、レベル90という所まで到達していた。でももう少し。もう少し欲しい。シモンの最大レベルが何かは分からないが、ここまで来たら魔王と同じレベル100までは到達して貰いたい。

 

 魔王には「頼れる仲間」が居る。でも、シモンにはソレがない。なにせ、この世界にはレベル30の中途半端な俺と、レベル5以下の最弱モブしか存在していないのだから。

 レベルは上げておくに越した事はない。

 

「金ならちゃんとあるから心配すんな。アイツらが大きくなるまでの食費くらい、どうって事ねぇよ。お前との“約束”は、ちゃんと守るから安心しろ」

「いや、そうじゃなくて……」

「おら、パンを食え。これも修行のうちだからな」

 

 まだ何か言いたげなシモンを無視し、俺は竈から取り出したパンを籠に移し替えていく。そろそろ腹を空かせた子供達が匂いにつられて目覚める頃だろう。

 俺は火種をチラつかせる竈を横目に見ると、ポケットに入れていた王家からの手紙をその中へと放り投げた。手紙が一瞬にして灰になる。

 

「食べたら素振りしとけよー」

「……うん」

 

 不満そうな様子を隠しもしないシモンの返事に、俺は小さく息を吐いた。

 王家からの登城命令。

 

 さすがに無視するワケにはいくまい。

 

 

◇◆◇

 

 

「え、聖王国に行く?なんで?」

 

 その夜、俺はいつものダンジョン攻略の帰り、シモンに聖王国へ行く事を告げた。

 

「ちょっとアッチじゃないと買えない武器があってさ」

「じゃあ、俺も一緒に行く」

「ダメだ。子供達はどうするんだよ。危ないだろうが」

「アイツら、もうその辺のゴロツキにも負けないよ」

 

 シモンから返された言葉に、俺は「確かに」と内心苦虫を噛み潰したような気分になった。そうなのだ。教会に居る、シモン以外の十一人の子供達は、いつの間にかシモンの手によって鍛え直され、子供ながらに皆「レベル5」にされてしまっていた。

 

 レベル5。

 

 確かに、数字だけ見ると大した事はないが、相対的に見れば決してそうではない。なにせ、名将と呼ばれる国の兵士ですら最大レベルが5のこの世界だ。子供ながらに皆、一流の兵士と同じレベルに仕上がってしまっていたのである。

 さすが、ホンモノの勇者は鍛える力も凄いらしい。

 

「特にヤコブが一番強いかもね」

「……そ、そうか」

 

 シモンがドヤ顔で俺を見下ろしてくる。確かに、シモンと子供達が手合わせをしている所を何度も見てきたが、一番年下の筈のヤコブが最も実力が付いていた。

 最初に出会った頃は「しよー」と、師匠すらまともに発音出来ていなかったヤコブは、今や見る影もない。

 

 まぁ、未だに性格はボヤボヤだが。

 

「ヤコブは、お前に一番憧れてるからなぁ」

「そう?」

「そうだよ」

 

 やはり、強さの原動力は「憧れ」だ。まさに、シモン自身が身をもってそれを証明してくれた。

 

「ま、そういうワケだから。俺も師匠と一緒に聖王国に……」

「ダ、ダメダメダメ!聖王国には俺一人で行くから!」

「はぁ!?なんで、そんなに一人で行きたがるんだよ!師匠、もしかして俺以外にも弟子を作る気じゃないだろうな!?」

 

 なんだ、この浮気を疑う嫉妬深い彼女みたいな言い草は……!

 

「作らねぇよ!俺にはお前しか居ないっていつも言ってるだろ!?」

 

 そして、俺の返事も何だ!これはバカップルの会話ですか?いいえ、これは師弟の会話です!

 

「じゃあいいじゃん!俺も連れて行ってよ!」

「だーかーらっ!」

 

 しかし、いつもの一撃必殺「お前だけしか居ないよ」を使っても、シモンは未だに納得した様子は見られない。そんなシモンの姿に、俺は作戦を変える事にした。最近はどちらかと言えば“こちら”の方がシモンにはよく利く。

 

「シモン、頼むよ。いくら強くなったって、まだ皆子供だ。お前が、アイツらと一緒に居てくれると思うから、俺も一人で安心して出かけられる……」

 

——お前だけが、頼りなんだよ。

 

 その俺の言葉にシモンの目が大きく見開かれる。そして、その表情は徐々に隠し切れない程の喜色に満ち、そして――。

 

「俺だけ?」

「そうだよ。アイツらだけじゃ、何かあったんじゃないかって心配になるんだよ。シモンが居てくれるから、俺も安心して出かけられる」

「……ふーん」

 

 満更でもなさそうなシモンの顔。シモンは昔から真っ直ぐで単純だ。

 もう十七歳になるシモンからすれば「師匠から頼りにして貰える」というのは、そりゃあもう嬉しいらしい。

 

「それに、聖王国に行くのはお前の新しい武器を買う為でもあるから」

「新しい武器?」

「そうそう。帰って少ししたら、そろそろ二人で魔王討伐の旅に出ようかと思ってるんだよ。今回の聖王国行きはその準備でもある」

「っ!」

 

 息を呑むシモンに、俺は横目に「レベル90」というシモンのステータスを見た。うん、この調子なら、後一年……いや、もしかするとここ数か月の間に、シモンのレベルは魔王と同じ「レベル100」に到達するだろう。

 

「……師匠と二人だけで旅?ほんとに?二人だけで?」

「さすがに子供達は連れてけねーよ」

「っしゃ!」

「おう、お前にピッタリの武器を買って来てやるから、お前はしっかり修行してろ!」

「やったーー!」

 

 大きな体で、幼い子供のように飛び上がるシモンに俺は、内心「可愛い奴め」と遥か高見にあるその頭を、めいっぱい腕を伸ばして撫でてやった。シモンのヤツ、また身長が伸びた気がする。

 

「師匠と二人で旅。やっとだ……」

「おうおう、楽しみだな」

 

 さて、ひとまずシモンという出発前のラスボスはどうにか出来た。

 次は、本チャンのラスボス。国王様をどう説得して機嫌を直して貰うかが問題だ。どうにかしてあと少しは魔王討伐を待ってもらわなければ。

 

 そう、俺が頭の片隅で色々と作戦を練っている時だった。

 

「ねぇ、師匠」

 

 俺に頭をグリグリと押し付けていたシモンがなんとも嬉しそうな顔で俺に言った。

 

「師匠が帰ってきたらさ……もう俺、成人だし。一緒にお酒飲もうよ」

「へ?」

「ね、お願い。俺、師匠と酒が飲みたい」

「あ、あぁ」

 

 言いながら、シモンは俺の手を流れるように動作で掴むと、そのまま手の甲に小さく口付けを落とした。

 

「早く、帰って来てね」

 

 まるで、王子様のような優雅さを纏いながらそんな事を言うシモンに、俺は照れるより先に、何故か前世の弟の言葉を思い出してしまっていた。

 

——二度と帰ってくんな!バァァカ!

 

 それは、俺が弟から送られた最後の言葉だ。その言葉に、俺はあの時同様、思ってしまった。

 

「なんか……死亡フラグ立った気がする」

 

 まるで真逆の言葉の筈なのに、ゲームや物語上ではこの手の台詞はご法度だ。特に「主人公目線」で放たれる死亡フラグの強制力ときたら……。

 

「あぁ。師匠、早く帰って来て」

 

 いや、俺。まだ目の前に居るんですけど。

 そう、まるで俺が居なくなった後のモノローグのようなセリフを口にし始めたシモンに対し、俺はふと目にしたシモンのステータス画面に息を呑んだ。

 

——

名前:シモン  Lv:90

クラス:勇者

——

 

 シモンの【クラス】から余計な装飾後が消えた。

 あ。なんか、マジで死んだかも。俺。