「ミキィ、ねぇ」
「……………」
彼が帰ってこなくなって3日経った。
幹夫は、もう限界だった。
幹夫は後ろから抱きついてくる明彦を無言で引きはがすと、ベットから立ちあがった。
捜しに行かねば。
どこに居るかはわからないが、こうして家でジッとしていても何も状況は変わらない。
そう思い立ちあがったつもりだったが、それはベットの上から幹夫の腕をひっぱてきた明彦に、見事阻まれてしまった。
すると、遅い成長期が来たとはいえ、まだまだ幹夫は明彦の胸の中にすっぽりと収まってしまう。これが発展途上と、先んじて成長を終えた人間の差である。
あぁ、もう面倒な。
幹夫は分かりやすく舌打ちをした。
「明彦、離せ」
「やーだ、ねぇ。あっきーならすぐ帰ってくるって」
「いや、分かんないだろ。そんなの」
「分かるよー。俺、あっきーと付き合い長いし、あっきーはこんな事で怒ってどっかに行ったりするようなヤツじゃないよ。大丈夫、大丈夫」
そのまますぐに俺に覆いかぶさってきた明彦に、幹夫は怒りの琴線に勢いよく触れてくるのを感じた。
「何だソレ、付き合い長いからあっきーのやる事なす事全て理解できますって自慢?明彦さ、あっきーとの付き合い短い俺に対してマウント取ってる?」
「ミキどしたの?俺、何か気に障る事でもいった?」
幹夫の言う事が一切理解できません、という表情で物理的なマウントポジションを抑える明彦に、幹夫の怒りは更に煽られた。
「お前みたいに、自分の事しか見えてないヤツに、あっきーの何が分かるんだよ!あっきーは俺とお前のせいで、傷ついて、此処から出ていっちゃったのかもしれないんだぞ!」
「??ミキ、あっきーはあんな事くらいで、いちいち出ていったりしないよ?それにココがあっきーの家なのに、なんであっきーが出ていくんだ?」
俺達が追い出されるならともかくさ。
と、何でもない顔で言ってのける明彦に、お前そこは理解していたのか、と幹夫は地味に驚きを覚えた。
いや、至極当たり前の事なのだが、この明彦という男の彼への普段の理不尽さからみるに、その根底を理解していないのかもと思っても仕方ないではないか。
そう何の気ない表情で、圧倒的事実を突きつけてくる明彦に、幹夫は、ならばどうして理解できないのかと、心底ともどかしくなった。
「お、ま、え!あっきーを過信し過ぎだ!」
「ミキこそ、あっきーを深読みし過ぎだよ。あっきーは感情の切り替えが早いんだ。あんまり一つの事に固執したりしない。小学生の頃だってそうだったよ。あの時だって…」
「ナニソレ!付き合いの長さを思い出話で見せつけてくるタイプの自慢!?ムカツクんですけど!」
「ええええ?なんでこんなのが自慢になるんだよ。ミキどうしたの?」
これは、まさにどこかで聞いたようなセリフである。
『何でこんなのが自慢になるんだよ』
そう、幹夫が彼に対して嫉妬で怒り狂った時、彼も今の明彦と同じように言った。
二人が長い事一緒に居たのも事実。
彼が長い事明彦の面倒を見てきたのも事実。
そう、どれもこれも事実であって二人にとっては自慢ではないのだ。
どれだけ二人の関係性が、歪で不公平で不安定で傍から見て可笑しなものであったとしても、確かにそこには二人で築き上げてきた10年以上の月日があるのだ。
明彦は全てを分かった上で、あそこまで全身全霊で彼を頼り、彼も全て分かった上で明彦の行い全てを許しているのかもしれない。
そう思えば思う程、幹夫にとっては全くもって面白くなかった。
「明彦、どけよ」
「嫌だ。セックスしてれば、そのうちあっきーは絶対に帰ってくるし。ね?」
ね?じゃない。
幹夫は頭の中で糸がプッツンと切れる音を感じると、その瞬間、明彦の頭を鷲掴みにした。まだそれほどまでに手は大きい訳ではないが、普通に力だけなら自信があるのが幹夫という少年だった。
「だだだだだ、なになに!ミキ!痛い!ギブ!」
「どけ、そして正座して待機してろ。あっきーを見つけ出したら、俺がお前に一般的な道徳心を叩きこんでやる」
「なになに、なにが始まるの!?そして痛いから!ミキ先輩痛いです!ごめんなさい!」
ミキ先輩。
付き合い始めてから余り聞く事のなかった"ミキ先輩"という、幹夫にとって、この家で聞くには少し違和感を覚える呼び名。
それは明彦自身もそうであったようで、思わず“先輩”と呼んでしまった自身に多少の驚きの色を浮かべていた。
そう、二人の関係の始まりであり、全ての起点がその呼び名に詰まっている。
元々、二人同じ学校組織に属する上下関係の中に居た。
生徒会執行部という、学校運営の中枢。
そこで10月の終わり、幹夫は明彦へ生徒会長のバトンを渡した。
前生徒会長である幹夫。
そして、現生徒会長が明彦だ。
「先輩、すみませんでした!正座します!正座しますから!」
「まず、どけ」
「はい!」
家の中での二人の顔と、学校での二人の顔は一切異なる。
どちらの顔が二人の本質に近いのかは、正直二人自身も分かっていない部分が多いところではあるのだが、学校の人間は二人が付き合っている事はもちろん、裏でこのような表情を見せる人間だとは思ってもみない事だろう。
逆に言えば、ここの家主である彼もまた、二人の学校の様子は一切知るとこではない。
所以、二人に共通して言える事は、尋常ならざる外面の良さであり、二人にとってこの家は圧倒的に"内"なのであった。
明彦は幹夫に言われた通り、幹夫の上から素早く離れると、言われた通りベッドの上で正座をした。正座とは言え、足元はフワフワしてあまり足が痛くないのが幸いといえる。
「床に座れ」
「は、はい」
見透かされたようなタイミングだった。
明彦は腕を組み仁王立ちする幹夫を前に、いそいそと床に正座しなおした。
床なので、それはもう普通に足に負担だった。
「いいか、明彦。これが俺のお前の恋人として最後の愛だと思え」
「え?最後……?」
そう、幹夫の言葉に明彦は一切理解できずにポカンとした表情を浮かべるだけだった。
事実上の最後通告。
別れの言葉。
「俺はまず、あっきーを探す」
「ミキ先輩、まさか」
「悪いな、明彦」
そう言って少しだけバツの悪そうな表情を浮かべた幹夫に、明彦はやっと理解した。
「俺、あっきーが好きみたい」
明彦はその瞬間、泣いた。
ブワッと音が聞こえてくるようだったと、後の幹夫は語る。
そして時を同じくして、この家の家主である彼がアパートの扉に手をかけた。
「ただいまー」