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俺は昼休みになり、週末の「占い師」としての副業が出来なくなってしまった事を思い途方に暮れていた。
今週末も土日共に予約は満席だ。
「……全部ジルさんなんだけど」
——来週もよろしく頼む。手つなぎさん。
そう言われていたのに。俺は耳元で感じる声に、思わず左手を撫でた。
「でも、沖縄じゃ。ジルさんに来てとは言えないし」
ともかく、予約フォームから入力して貰っているジルさんのメールアドレスに、キャンセルの連絡を入れなければ。いつ帰って来れるかハッキリとした目処が立たない以上、予約フォーム自体を閉じる必要があるだろう。
「仕方ないよな」
副業はあくまで「副業」だ。何かあったら「本業」を優先せざるを得ない。
俺は昼食の片手間に、ジルさんに対して予約キャンセルメールを送り終えると、スケジュール帳に「沖縄出張」という文字を書き入れた。
「……沖縄かぁ。今日から準備しないと」
なんだか、気が重い。
しかも課長は「いつまで」とは明確に言わなかった。「沖縄の成績が上がるまで」という、なんともぼんやりとした出張期限。これでは、いつ「副業」を再開できるか分からない。
だとすると、また沖縄でイチから「占い」の副業を始めるか?
あぁ、それも良いかもしれない。今の俺なら、きっと前よりもっと効率的にお客さんを集められるだろう。
「でもなぁ……」
—–値段を上げろ。俺以外の客が入らないようにな。
そう、何度も言われたジルの言葉が鼓膜を揺らす。
「コッチに戻るまで……休むかなぁ」
「お、おい……三久地」
「え?」
同僚から掛けられた声に、俺は再びハッとした。この声で呼ばれると、反射でビビってしまう癖が付いている。もしかして、また会議の時間を忘れているのだろうか、と。
あれ。でも、今は昼休みだったような。
「三久地。と、隣」
「へ?となり?」
どこかこわごわと口にする同僚の声に従い、俺が自分の隣に勢いよく目をやる。その拍子に、メガネが落っこちた。あぁ、もう面倒くさいっ!
「三久地先輩」
「っ、はい!」
メガネを拾う間もなく、相手から声がかけられる。
顔を上げれば、そこにはキラキラとした髪色の男が立っていた。しかも、かなり至近距離に。座る俺の肩に、相手の腰が触れる程、相手と俺の距離は近い。
あれ?この声は、どこかで。
—–手つなぎさん。
何故か過ったジルの声に、思わずひゅっと呼吸のリズムが崩れた気がした。そして、まるで反射のように、俺は自分の左手に触れていた。
「何かあったんですか」
「……え?何が?」
「週末」
憮然とした態度で問われる中、俺は混乱するのを止められなかった。ただ、相手は机の上に広げていた手帳に顔を向けると、勢いよく俺の手帳を掴み取った。
なになに!急になに?
「は!?沖縄、だと?」
「あ、はい!あの……明後日から、沖縄に出張する事になって」
何だっけ。分かった気がする。この勢いのある声は、よく聞く声だ。
「三久地先輩」って。色々と会議が被る。えっと、名前は何だったっけ?
俺は名札を見るべく、落ちたメガネを急いでかけた。
「あれ?」
……かけても見えない。どうやら、このメガネは何の役にも立っていないらしい。
「……まさか、沖縄プロジェクトですか」
「あ、そうです」
「先輩は、こちらでも複数のプロジェクトに所属していましたよね。それは、どうするんですか」
やっぱりそうだ。俺とプロジェクトが被ってる人だ。いや、まぁ被るよね。六個もプロジェクトに所属してたら、そりゃどこかで被るだろう。
しかも、この目立つ髪色だ。概要は思い出せる。帰国子女で、海外事業部の若きホープって呼ばれてて。でも、会議では色々言葉が強くてキツいせいで、波風ばっかり立てる。
そう、確か名前は……あぁ、メガネをかけても、やっぱり名札の文字も見えない!メガネ、早く作り直すんだった。
「三久地君は、こっちのプロジェクトからは全抜きされたんだよ。ウォーレン・城・ジラルド君」
「っ!」
そうそう!ウォーレン・城・ジラルド!
皆、苗字で「城」って呼んでるだけなのに、見た目が完全に海外感のあるせいで「ジョー」って名前感のある!あの!
「……課長、あの」
「三久地君。キミ、沖縄に行ったらメガネを作り直しなさい?」
「は、はい。すみません」
俺はスルリと通り過ぎ様に話に加わってきた課長に感謝した。その顔を見てみると「ちゃんと眼科にも行きなよ?」と畳み掛けられる。どうやら、俺が“見えて”いない事は、課長には完全にバレているようだ。
「……お言葉ですが、此方のプロジェクトにも、彼が必要だと思います」
「いやいや、沖縄の方が凄い状態なんだってさ。それに、これは僕の決定じゃない。所長からの指示だよ。僕達じゃどうにも出来ないんだよ。ジョー君」
ポンとジョーさんの肩を叩きながら、課長は自分の席へと戻って行った。
「……へ?上からの、指示?」
あれ、上からの指示で沖縄出張なんて初耳だけど。もしかしてコレは出張とは名ばかりの「出向」、つまり「左遷人事」なのではないだろうか。
何の成果も上げられない俺を、この東京本部から追い払う為の……。え、嘘?
「クソっ!」
「っあ、え?」
すぐ隣からジョーさんの悪態が聞こえた。なにやら苛ついているようだ。いや、悪態を吐きたいのはこっちなのだが。
「いつまでですか?」
「いや、分からないです。すみません、ジョーさん。どちらかのプロジェクトで、仕事が被ってますよね?行く前に引き継ぎが必要なモノは、ちゃんと……」
「……やはり、気付かないか」
ボソリと、どこか残念そうなジョーさんの声が聞こえる。どうしよう。
何が何だか分からないが、いつも烈火の如くキレ叫んでいるジョーさんから、そんなしおらしい声を出されたら申し訳ない気持ちになる。
それに、この声。やっぱり、何か引っかかるのだが。
「……俺は、いつ気付いて貰えるんだろうな」
ジョーさんはそれだけ言うと、俺の手帳をソッと机の上に置いた。そして、離れると同時に机の上に投げ出していた俺の左手に、スルリと手を重ねてきた。自然に、まるでそうするのが当然であるかのように。
あれ、なんだろう。この感覚。なんか、思い出しそう。
「沖縄か……ならば、まだ」
「え?」
「失礼します」
ジョーさんは俺の戸惑いなど余所に、背を向けて去って行った。さすがアルファだ。彼の動きに合わせて、此方に集まっていた周囲の視線が一気に散っていく。なんだか、張り詰めていた糸が解けた気がした。
「三久地、ジョーさんと仲良かったんだ。まぁ、確か、あの人も殆どの社内プロジェクトに入ってるらしいもんな」
「え?殆ど……そうなの?」
「そうなのって……被ってるだろ?実際」
「あ、わかんない」
俺の要領を得ない返事に、同僚の顔が「信じられない」という驚愕の色に染まっていく。そんな同僚を前に、俺はジワリと残る左手の違和感を右手で撫でた。なんだろう、この感覚。ゾワゾワする。
「三久地、もしかして人の顔とか見えてなかったりする?」
「……う、そうかも」
「マジかよ。お前、メガネ……買い直した方がいいぞ」
「……そうだね」
同僚の言葉を聞きながら、俺は思った。俺は、どうやら目隠しをしていない平日ですら、本気で何も見えていなかったらしい。
俺は、やはり「手つなぎさん」なんかではなく、そう――。
——手つなぎさん?目隠しさんの間違いじゃないか。
「……あ」
「どうした、三久地」
「あっ、あーーっ!」
どうやら俺は、本当に「目隠しさん」だったようだ。