第6話:不良とお返事

 

 

「……死ぬ」

 

 2日目の朝。

 俺は昨日同様死んだような目で、塾の前に立っていた。
 ヤバい。 昨日立てた誓いが早くも破られそうだ。

 

 出来るだけ、長くこのバイトを続けてやる、という固かった筈の誓いが。
 朝から死にそうな俺をあざ笑うかのように照りつける朝の太陽にげんなりしながらも、俺は鍵を開けて塾へと足を踏み入れた。

 

「…………」

 

 教室独特の紙とインクの匂い、それに大勢の人間が居たという雑然とした匂いが、俺の鼻孔を掠める。昨日は掃除をしているうちに、少し本気になっていた。

 

 初日っつー妙な新鮮さもあってか、俺にしては考えられない程のやる気で、昨日は仕事に当たったのだ。
 あとは、俺以外に誰も居ないから、という理由もあるのかもしれない。

 

 俺しか居ない。
 すると、出した結果は全て俺のもの、という事になる。
 徐々に綺麗になっていく教室。
 その軌跡を全て俺が作ったと思うと、それは、かなり気持ちのいいものだった。

 

「(ぜんっぜん、俺の柄じゃねぇけどな)」

 

 だが、一生懸命な俺の姿を見て、柄じゃねぇと大爆笑する腐れ幼なじみは此処に居ない。だから、存分に柄じゃねぇ事をやってもかまわない。
 まぁ、早起きだけは死ぬ程慣れそうにねぇが。
 俺は今日もさっさと掃除を終わらせる為、早速掃除に取りかかった。帰って早く寝たい。

 

「あ」

 

 俺は裏の部屋から取り出した掃除機を手に持ったまま、ハタと立ち止まると再度掃除機をその場に置いた。
 そういや、昨日わかった結構当たり前の事なんだが、先に机の上のゴミを取っ払って下に落とした方が、先に床を掃除するより色々効率がいい。

 

 いや、マジで考えてみるとスゲェ当たり前な事なのに、馬鹿な昨日の俺は、先に床をガッツリ掃除をしてしまった。
 その後、机を動かす度に、机上の消しゴムのカスやら紙くずやらがガンガン落ちてきて、俺は再度床を掃除する羽目になったのだ。

 

 ……馬鹿だ。

 つーわけで、今日は先に机の上を掃除する事にした。 いくら頭の悪い俺でも昨日と同じ失敗を何度もやるわけにはいかない。とにかく俺は早く帰って寝たいのだ。

 

 俺はまず机の上を綺麗にすべく、ザッと机の間を回っていった。
 昨日同様、消しカスやらお菓子のクズなどが机の上に乗ったままになっている。
 すると、前から三番目の机に到達した時、小さな白い紙が机の上に乗っているのに、俺は気付いた。

 

「ったく、面倒くせぇな」

 

 消しカスならわからなくもねぇが、んなデカいゴミ、堂々と置いてくんじゃねぇよ。
 さすがにこれを床に投げ捨てておく事は出来ない為、ゴミ箱へ捨てようと、俺はその紙を手に取った。

 

「………あ?」

 

 手に取って気付いた。
 これは裏に何か書かれている。
 俺は思わずチラリと裏をめくると、一瞬息をするのを忘れた。

 

 

——–
掃除の方へ
雷おこし、凄くおいしかったです。
塾を掃除してくれて本当にありがとうございます。
一人で大変だと思いますが、これからもよろしくお願いします。

塾講師より
———–

 

 

「…………」

 

 驚いた。
 まさか、こんな俺の仕事に気付いているヤツが居るとは。
 「雷おこし」とか書いてあるし、これは俺宛に書かれたものと判断してまず間違いないだろう。
 にしても“掃除の方へ”ねぇ。
 ったく、物好きも居るもんだぜ。

 

 掃除なんて、そんなもん、俺は金貰ってやってるわけで、善意でやってやってるわけじゃねぇ。なのに、こんな手紙をわざわざ書いて残すなんて、どんだけ物好きな奴なんだ。
 まぁ、俺の掃除が慈善事業じゃねぇ事くらいこの手紙を書いたヤツだってわかっているだろうが。

 

 だとすると、本当に物好きなヤツだ。
 字からすると、これは多分男だろう。 なんとなくだが、女は、こんな字は書かない気がする。
 まぁ、俺が今まで付き合ってきた女は、だが。

 

 つーか、男からんな手紙貰っても嬉しくねぇし。塾講師っつったよな。 何か面白そうじゃねぇか。
 俺は、その紙を持ったままニヤリと笑うと、講師室にあったコピーの裏紙を手に取った。

 

 そして、近くにあったペンをひっ掴むと、とりあえず何か書いてみた。

 

 

———
気に入って貰えてよかったです。
あなたも授業頑張って下さい。
———

 

 

 思っていたより、書き出された文章が柔らかい事に俺は自分自身驚くと、なんだかむず痒い気持ちでその紙を見た。

 

「っと、らしくねぇ。」

 

 俺は自然にこみ上げてくる笑みを隠さずに、自分の手紙を、裏返しにすると、もともと手紙の置いてあった前から三番目の机へ、その紙を置いた。

 

 気付くだろうか。 いや、気づけよ。
 もとはお前から置いた手紙なんだから。

 気付け。

 

 俺は、俺宛に書かれた手紙をもう一度見ると、それをポケットにしまった。
 男からの手紙なんて嬉しくもなんともねぇ。

 

 なんて、嘘だ。

——
塾を掃除してくれて、本当にありがとうございます。
——

 

 誰にも気付かれず、
 誰にも感謝などされない。
 そんな仕事だと思っていたのに、俺のやった事を見てくれる人が居た。
 気付いてくれる人が居た。
 初めて感謝された。

 嬉しいに決まっている。

 

 俺は、いつの間にか無くなっていた眠気に、掃除のやる気を喚起させると、そのまま塾の清掃業務へと行動を起こした。

 

 

 

杉 薫
感謝される喜びを知る。