8:狼見知り・人見知り

 

◇◆◇

 

 その日、俺とくつしたはいつもとは違う場所に居た。

 

「くつした?」

「……」

「おーい、くつしたー?ちょっと離れようか?」

「……」

 

 おい、家では神様俺様くつした様のくせにコレは一体どういう事だ。何やら強い既視感を覚える光景に、俺は一瞬ここがどこだか分からなくなった。

 

「ぐぅぅ」

 

 そこには、俺の足にピタリと頭を押し付けてひたすらに俯く「くつした」の姿があった。

 

「ノーランド!取って来い!」

「スノーホワイト!この匂いを探せ!」

「ドーズ!行くぞ!」

 

 ワン!ワン!ワン!

 広大な草原の中をあちこちで様々な毛並みの狼達が、それぞれのテイマーに従って駆け回っていた。

 そう、基本的な躾が終わったくつしたの次なる特訓、それは人間社会で使い魔として生きる為の社会見学。つまり――。

 

「ほら、皆みたいに走ってみようか?」

 

 狼専門の公用広場で他の狼や人間に慣れる事、だ。

 

「くつした」

「……ぐぅ」

 

 普段は俺よりもお喋りなくせに、ここに来た途端まったく話さなくなった。

 いや、それはそれでとても有難い事だ。他の人間の前で人の言葉など話そうモノなら、一発でくつしたがただの狼ではないと……神獣だとバレてしまう。だから、ここに連れて来る前も口を酸っぱくして「お喋りは俺とだけな?」と言い聞かせてきたのだが――。

 

 人間ふぜいの言う事は、くつしたはー、きかなーい。

 

 なんて言っていた癖に。

 

「くつしたー?」

「……」

 

 お喋りどころか、呼んでもこちらを見やしない。どうやらこれは重度の犬見知りのようだ。

 

「いや、狼見知りか?」

 

 まぁ、そんなのどっちでもいい。俺は俺のすねに頭をグリグリと押し付けてくるくつしたの姿にどうしたモンかと肩を竦めた。

 喋るどころか吠えもしない。時折、喉の奥で小さくグルグルと震えたような声を出すだけ。いつもはユラユラと左右に揺れている尻尾も、今日はペタンと地面とお友達だ。

 

「くつした?いつもと違うけど、大丈夫だ。ここも好きなだけ走っていいところだからな」

「……」

「ほら、フリスビーだ!」

「……」

 

 大好きなフリスビーにも見向きもしない。これはもうダメだ。緊張して、遊ぶどころの話ではない。

 

「どうしたもんか」

 

 他の狼や人間の存在を認識させる社会見学の意味合いも込めて連れて来たが、どうやらくつしたには早かったらしい。いつもは背筋をピンとして、俺に向かって「人間ふぜいがー」と生意気に言う口が、今日ばかりはピタリと閉じられている。

 

「今日は、ここまでか。いや、でもあと少しだけ……」

「……ぐぅ」

 躾は「だんだん」「少しずつ」「ゆっくり」が基本だ。ただ、元の世界の「くつした」と違って、俺とこの子には一年の猶予しかない。既に四カ月近くが経過している事も考えると、あまり悠長な事も言ってられない。くつしたには少しでも早く、自分の置かれた状況と生きていくべき世界を知ってもらわなければならないのだ。

 

「くつした、ちょっとだけ一緒に歩いたら帰ろうか」

「……」

 

 名前を呼んでも、くつしたと目が合わない。やっぱりこれはなかなかに重症のようだ。やっぱり今日はもう帰るしかないか。

 そう、俺が息を吐いた時だった。

 

「ん?そこに居るのはイアンか?」

「っ!」

「イアン!おい、イアンだろ!」

 

 突然背後から響いてきた聞き慣れた声に、俺は途端に表情が歪むのを感じた。

 

 イアン。

 あぁ、それは間違いなく俺の名前だ。名前なんて普段は殆ど呼ばれる事がない為、忘れかけていたが。どうにも、この底抜けに明るい声の方は忘れたくても忘れられないらしい。

 

「イアン・ダンバー!おい、無視するなよ!」

 

 あぁクソ、面倒なヤツに出会ってしまった。

 

「……シーザー」

「やっぱりイアンか!聞こえてるなら返事くらいしたらどうだ!立ったまま気絶してるのかと思ったぞ!」

 

 そう、爽やかな笑顔で絡んできたのは、テイマー仲間の一人、シーザーだった。シーザーのせいで周囲のテイマー達の視線が一気に俺にも集まってくる。

 

「最悪だ……」

「ん?何か言ったか?」

「別に」

 

 どこまでも爽やかなシーザーの声に、俯きながら答える。このシーザーという男は人目を引く。それは声がデカイからというだけではない。ともかく容姿が整い過ぎているせいで、何をしていても注目が集まるのだ。訓練校時代からそうだった。

 

「……話しかけてくんなよ」

「くぅ」

 

 そう俯きながら呟いた瞬間、視界の端にチラと視線だけこちらを見上げてくるくつしたと目が合った。その目はともかく不安気だ。まったく、お互い人見知りに狼見知りに不甲斐ないモンである。

 

「イアン!あんまり見ないから、テイマーを辞めたのかと思ったぞ」

「……」

「まぁ、そうか。人嫌いのお前には、テイマーが唯一向いている職業だもんなぁ。辞めるワケがないか」

「……」

 

 そして、俺は人間の中でシーザーが三本の指に入るほど苦手だ。理由は鬱陶しいから。

 だいたい、一切返事をしない相手に対し、どうしたらこんなにもべらべらと一人で話せるのか。コイツは口から生まれたのだろうか。

 

 ああ、きっとそうに違いない。