12:くつしたの子供?くつしたが子供なのに?

 

「なぁ、そういえばイアン。お前は自分の狼を持つ気はないのか」

「……いや、俺は」

「大会が終わったら、セルゲイ氏からくつしたの子供を一頭タダでもらえるかもしれないぞ」

「くつしたの、子供?」

 

 思いもよらぬシーザーの言葉に思わず目を剥いた。

 

「そうだ。表彰台に上がったら確実にそうなるだろうし。そしたら、一頭貰ったらいいじゃないか」

「……あ、えっと」

 

 当たり前だろ?とでも言いたげなシーザーに、俺はキラキラとした無垢な瞳で俺の事を見上げてくるくつしたにソワついた気分になった。

 

「ぐぅ」

「……こども?」

 

 いや、まだくつした自体が子供なのだが。とは言っても、狼的には体は十分成熟し始めているので、アリなのはアリなのだろうが……!

 

「いや、待てよ。セルゲイ氏はケチで有名だからな。いくらお前でも金は取りそうだな……むしろ更に吹っ掛けられる可能性もある」

「……」

「おい、イアン。自分の犬が欲しい時は、俺に声をかけろ。良いブリーダーを紹介してやろう。お前と違って、俺は顔が広いからな!」

「……」

「いいか?絶対だぞ。間違ってもセルゲイ氏なんかの口車には乗るなよ。イアン、お前は狼のいなし方は得意かもしれないが、人間にはとことんダメだからな。なぁに、悪いようにはしないさ」

 

 あぁ、いつも通り一人でべらべらとお喋りな奴だ。

 

——–そういえば、アンタにピッタリそうな子がウチで生まれたけど、どうする?

 

 どうしてこう俺の周りには、おせっかいな人間が集まるのか。シーザーの言葉に、俺はふと先生の事を思い出すと、あの時とは違い、ハッキリと首を振った。

 

「いや、俺は自分の狼は持たないよ」

「なんでだ。狼はいいぞ。最高さ!」

——–犬はいいよ。最高さ!

 

 あぁ、そんなの知ってる。知ってるさ。俺だって。

 前世の頃から、ずっと知ってる。俺は、足元でずーっと見つめてくるくつしたに微笑むと、まるでくつしたを履かせられたような真っ白な後ろ足を見て、鼻の奥がツンとするのを感じた。

 

「俺が死んだら、最後まで面倒見れないだろ」

「おいおい、死んだらって。そんな気が早い。まだお互い三十だろ。狼の寿命より、俺達の方がどう考えても長生きだ。それとも何か!お前、もしかして死ぬ予定でもあるのか!?」

「……何歳だろうが、誰だって死ぬ可能性はあるだろ」

「は?」

 

 俺はそれだけ言うと、シーザーからフイと背を向けた。もうこの辺でお喋りはやめだ。俺はここに、人間と喋りに来ているワケではない。

 俺は、くつしたと遊びに来ているのだから。

 

「くつした、もう一回やろうか!」

「わふっ!」

 

 俺の掛け声にくつしたの楽し気な声が響く。背後からは「おいっ!イアンっ!」というシーザーの焦ったような声が聞こえてくる。でも、俺はもうその声には反応しない。

 

「お喋りばっかしてごめんな、くつした」

「わふっ!」

 

 だって、さっきから小声でくつしたから「イアン、イアン」と俺の名前を呼ぶ声が聞こえていたから。無視なんてできっこないし、したいとも思わない。

 だって、この子には俺しか居ないのだから。

 

「くつした!ほらっ!」

 

 俺の投げたフリスビーを、くつしたが凄まじいスピードで追いかける。こちらの世界で、くつしたに出会って俺はたまに思い出すようになった。

 

——–一生大切にするからな。また一緒に遊ぼう。

 

 あちらのくつしたは、俺が死んだ後どうなってしまったんだろう、と。

 考えても考えても、その答えは出なかった。

 

◇◆◇

 

 特に狼に興味もない貴族のセルゲイ氏が、どうして俺のようなテイマーを金で雇ってまでシュテファニッツ大会で表彰台を目指すのか。

 それは、金持ち達の間の共通娯楽であったり、はたまた表彰台に乗せた狼の飼い主であるという名誉の為であったり。理由は様々である。

 

 でも、ホンモノの金持ちというのは金にはシビアだ。無駄な金遣いは一切しない。

 シュテファニッツ大会の表彰台に上がりSランクの称号を得た使い魔は、その子供も高値で取引される。故に、彼らが狼を使役する最も大きな理由は投資の為。

 

 つまり〝金〟の為である。

 

——–大会が終わったら、セルゲイ氏からくつしたの子供を一頭タダでもらえるかもしれないぞ。

 

 その日、公園の帰り道。俺はシーザーからの声が何度も過って仕方がなかった。

 

 くつしたを預かってから十カ月。

 こんなに一頭の狼と四六時中一緒に生活するのは初めてで、あと二カ月もすれば、くつしたが当たり前に居る生活は綺麗さっぱりなくなってしまうなんて信じられなかった。

 

「もしかして、俺は……寂しがっているのか」

 

 帰り道。機嫌良く隣を歩くくつしたを見ながら、妙にソワソワする自分の感情の正体に思い至った。調教して本来の飼い主の元へ返すなんて日常茶飯事だったのに。

 すると、何を勘違いしたのか、それまで前を見てスタスタと歩いていたくつしたがチラリと俺の方を見た。

 

「イアン、今日のくつしたはどうだった?」

 

 あの日を境に、俺はくつしたから「イアン」と名前で呼ばれるようになった。たどたどしかった呼び方も、今や慣れたモノだ。

 

「あぁ、もちろん最高だったよ」

「そんな事を言って、イアンはストローを褒めていたが?」

「あぁ、ストローも最高だったな」

 

 俺がわざとそんな事を言ってやると、くつしたは微かにグルと喉を鳴らした。

 

「あ、あ。そんな事を言っているが、イアン?ストローは普通の狼で、くつしたは神獣だぞ」

「素晴らしさに血筋は関係ないさ」

「っ!」

 

 くつしたの目が驚きで見開かれる。少しだけ意地悪をし過ぎたようだ。狼というのは、本当に人間みたいに表情豊かだ。

 

「では、聞くがストローとくつしたはどっちが素晴らしいか?」

 

 ピンと尻尾を立てて驚いた様子でこちらを見上げるくつしたに、漏れだしそうになる笑いを喉の奥に引っ込めた。これ以上は可哀想だ。

 

「っふふ。そりゃあもちろん、くつしただよ。俺にとってはくつしたが最高で、それでもって一番だ」

「っ!!」

 

 その瞬間、ピンと直立していたくつしたの尻尾がゆらりと揺れた。

 

「……だとすると、イアンは良い子良い子が足りていないように思えるが?」

「あいあい。帰ってからな」

「あいあい」

 

 くつしたが俺の口調を真似しながら尻尾を振って歩調を速くする。どうやら、速く帰って「良い子、良い子」をしてもらいたいらしい。本当にくつしたは可愛い。

 見た目は完全なる成狼になったにも関わらず、喋ればくつしたはまだまだ子供だ。くつしたに子供なんて、まだ早い。

 

「こんなお喋りと一緒に居たら……そりゃあ寂しくもなるか」

 

 それに「イアン」と、こんなにも名前を呼ばれたのは初めてだ。くつしたのお陰で、俺は「イアン」という、転生後のあまり馴染む事の出来ないままいた名前に、やっと親しみを覚えていた。

 

 三十年経って、やっと生まれた「イアン」という名前への自我だった。

 

「全部、くつしたのお陰だな」