11:くつしたは凄い狼!

 

 

 くつしたがうちに来て十カ月が経った。

 

「くつしたっ、行け!」

「わふっ!」

 

 俺の目の前には、公園で俺の投げたフリスビーを凄まじい脚力と跳躍で口に咥えるくつしたの姿があった。その瞬間、周囲が一気にザワめいた。

 

「ほぉ、すごいな」

「誰の使い魔だ?」

「あぁ、アイツは――」

 

 周囲から微かに漏れ聞こえてくるくつしたへの賛辞に、俺は思わず口角が上がるのを感じた。

 そうだろう、そうだろう。

 うちのくつしたをそんじょそこらの狼と一緒にしてもらっちゃ困る。そう、俺が腹の底から湧き上がってくる充足感に満たされた時だ。

 

「イアン・ダンバーだ」

 

 は?なんでそこで俺の名前が出てくるんだよ。

 

「イアンだって?」

「最近、見てなかったが。もしかして、次の大会にはアイツも出るのか」

「クソッ、コレで表彰台の枠が一つ減っちまった」

 

「は?」

 

 意味が分からん。なんで、皆して俺の方を見るんだ。見るな!つーか、見るならくつしたの方だろうがっ!

 見ろ!あの成熟しきった下半身の筋肉を。短毛種なのに艶を帯びて光る毛並みを。そしてスピードと脚力。そして、何より!

 

「っは、っは、っは!」

 

 あれほど犬見知りをして動こうとしなかったくつしたが、悠々と走ってるんだぞ!凄いのは俺じゃねぇ!くつしただっ!

 

「よしよしっ!えらいぞー!く・つ・し・た!」

「っうーーー!」

 

 目の前にペッと吐き出されたフリスビーと、フリフリと元気よく振られた尻尾に、俺はその場に膝をつくと、派手にくつしたを撫でまわしてやった。そして、分かってない周囲の奴らにもきちんと分かるように、しっかりとくつしたの名前を大声で叫ぶ。

 

「うーーーー!」

「くつした!くつした!くつした!」

 

 コイツの名前はくつしただ!よく覚えとけ!

 ついでに、俺の名前は忘れろ。正直言って名前が覚えられるのは好きじゃない。なにせ、名前は個人情報の最たるものだ。呼ばれたら反応せざるを得ない。

 

「よぉ、イアン!」

「……っ」

 

 とっさに呼ばれた自分の名前に、思わず振り返ってしまった。ほら、こんな風に。

 そこにはくつしたと公園に来るようになって、ほぼ毎日顔を合わせるようになってしまったシーザーの姿があった。

 あぁ、面倒くさい。無視したいのに、思わず反応してしまうからこそ、名前というのはやっかいなのだ。

 

「くつしたの奴、調子が良いみたいだな。凄いじゃないか」

「……ああ」

 

 でも、シーザーは一応〝くつした本人〟の事を褒めてくるので、他の奴らよりマシだ。他の奴らは、どんなに俺が調教した狼が活躍しても、すぐに俺の方を見てくるのでキライだ。シーザーも嫌いだが、その他大勢はもっと嫌い。そう、俺にとって狼を見てないヤツらは、最早〝個人〟ですらないのだ。

 

「まぁ、とは言っても。うちのストローの方が、実力は上だがな」

「ああ、ストローも凄いな」

 

 シーザーはウザイが、シーザーの飼うストローは嫌いじゃないので、話をするのはやぶさかではない。ストローは良い子だ。

 

「イアン。お前ときたら、狼の事になると途端に素直になるな」

「ストローは良い狼だ」

「……お前と会話をするのは狼より難解だな。まぁ、確かにストローは良い狼だが!」

 

 シーザーの隣に凛として座る黒狼のストロー。

 最初は名前を聞く度に先の曲がるストローが思い浮かんできて、笑えて仕方がなかったが、それにも慣れた。

 今や、ストローと聞くと先の曲がる飲み物を吸い上げる為の空洞の棒ではなく、目の前の黒狼が浮かんでくる。名前を毎日口にするというのは、犬にとっても人間にとっても大事な事らしい。

 

「大会まであと二カ月だが、この分だと俺とお前で二枠は確実かもな」

「表彰台に登るのは俺じゃない。くつしただ」

「その通りだな。失敬した」

 

 狼の使い魔の最高峰を決めるシュテファニッツ大会。

 俺は隣でピンと背筋を伸ばして座るくつしたを見下ろすと、ソッと頭を撫でた。なんだかんだ言って、くつしたは俺以外の前では絶対に口を開こうとしない。コイツもコイツで、この世界の事は色々と理解出来てきたようだ。

 

「ま、良かったじゃないか。これでセルゲイ氏から、いらぬいちゃもんをかけられずに済むだろう」

「……他の狼の事が分からないからなんとも言えないが」

 

 大会はもうすぐ。イアンの言うとおり、今のくつしたならシュテファニッツ大会の表彰台は十分射程圏内だ。ただ、大会はあくまで点数評価型の勝ち上がり形式なので、出場者によって結果が大きく荒れるなんて事は、よくある話だ。なので、大会当日までどうなるか分からない。

 

 が、今回ばかりはハッキリと言い切れる。

 

「今回は、くつしたが表彰台を貰う」

「お前にしてはやけにハッキリ言うな。珍しい」

「くつしたは普通の狼じゃない。だって」

「だって?」

 

 シーザーの興味深そうな目力の強い瞳が、ジッと俺を捕らえる。

 

「くつしたは、凄い狼だからだ」

「イアン、お前の五歳児並みの表現力には本当に感服するよ!」

「……」

「うん、無視か!」

 

 仕方ないだろう。神獣だからなんて、言えっこない。

 シーザーの言葉を右から左に受け流しながら、俺はくつしたの目を見て頭を撫でてやる。最初にここに来た時みたいに、くつしたを無視して不安にさせるような失敗は二度としたくない。

 

 なにせ、狼は……いや、犬はいつだって飼い主を見ている生き物だからだ。