このソードクエストの世界には、使い魔に関して絶対的なルールが存在する。
使い魔は、飼い主の手から離れたらその瞬間に問答無用で「はぐれ」認定される、というモノだ。故に、使い魔が逃げ出したり、消息不明になった場合、速やかに国に届け出る義務がある。これは、市民の安全な生活を保障するために、聖王国の決めた取り決めだ。
「はぐれ」になった使い魔に、未来はない。
それがたとえ、人間側の責任だったとしても。その責を負うのは、使い魔自身なのだ。正直、納得できない。しかし、俺の納得如何など関係なく、それがこの世界のルールだ。
「……で。どうすんだよ、コレ」
俺はベッドの隣で丸くなって眠る深みのある黒と赤褐色の毛並みを前に深く息を吐いた。間違いない。ここに居るのは、離れ離れになるのが悲しくて年甲斐もなく号泣してしまった〝くつした〟だ。
ただ、昨日の記憶が間違いでなければ、俺は人間になったくつしたと一戦……いや、それどころか何戦も交えたような気がするのだが――。
「……夢、じゃないよなぁ」
ケツに感じる酷い違和感と、腕や足など体の至る所にある人間の歯型による噛み痕が、俺に昨日の全てが現実である事を告げていた。
「まさか、本当にくつしたと〝交尾〟する事になるなんて……」
口に出すと、昨日の自身の在り様がまざまざと思い浮かんできて、堪らない気分になる。しかし、何をどうしたって起こった事実は揺るがない。それに、俺自身、くつしたとのアレコレを後悔しているワケではないのだ。
「でも、なんだってまたこの姿なんだ?くつした」
昨日までは白銀色の髪の毛を携えた美青年だったが、今は普通の狼の姿に戻っている。
「よしよし」
まぁ、どの姿も可愛いから別にいいけど。
スピスピと鼻を鳴らしながら眠るくつしたを、毛の流れに沿って撫でてやる。柔らかい温かな毛。ただ、神獣の姿の時とは異なり短毛種だ。
「さて、どうする」
ここにきて俺には二つの選択肢が目の前にある。
一つは、このまま急いでくつしたをセルゲイ氏の邸宅に連れ戻す事。これは、くつしたを「はぐれ」にしない為の、最善かつ最も現実的な手段だ。なにせ、居なくなったのは昨日の今日だ。一年間面倒を見ていた俺の所に寂しくなって戻ってきてしまっていた、と言えばまだどうにか許してもらえるだろう。
けれど、これには一つ大きな問題がある。
くつしたが、言う事を聞かない可能性がある……のではない。
「くつしたは……もう俺のだ」
そう呟いた瞬間、寝ていたくつしたの耳がピンと立った。ただ、目が覚めたワケではないようで、再びスピスピと鼻を鳴らし始めた。どうやら「くつした」という音に反応しただけらしい。
「よしよし。良い子良い子」
まぁ、正式にはくつしたは俺の狼ではないのだが、感情的には完全に「うちのこ」だ。一度離れて分かったが、俺はくつしたともう二度と離れたくない。そう、こちらの選択肢を選んだ場合の問題は、〝俺自身〟だ。
となると、選べる選択肢は残りの一つだけだ。
「バレないように、うちで飼うか」
こっちは、バレた場合のリスクがデカい。
他人の使い魔を横から取り上げたとなれば、俺自身が窃盗の罪で投獄される事になる。その場合、俺だけでなくくつしたも何をされるのか分かったものではない。下手すると俺は死刑だし、くつしたも殺処分なんて事になりかねない。
「……つーか、使い魔に関するルールが厳し過ぎだろ。なんだよ、何かあればすぐに殺処分って」
このソードクエストの世界。もとはゲームの世界のくせに、その辺は妙にリアルに作り込まれていて困る。まぁ、秩序の維持の為には仕方のない事なのだろうが、正直言って納得いかない。
「……あー、どうすっかなぁ」
どうしよう。
なんて、本当は悩んでもいないくせに、わざわざ悩んでいるそぶりをみせるのは、ただ目の前の可愛い毛のものを撫で続ける理由が欲しいからだ。
「まぁ、なんとかなるだろ」
なにせ、くつしたは神獣だ。
いざとなれば人間にも、白神獣姿にも姿を変えられるようだし。言い逃れをしようと思えばいくらでも言い訳は思いつく。要は、俺が一緒に居てなんとかしてやればいいだけの話だ。
そうやって、俺が柔らかい毛を懐かしみながら決意を固めた時だ。
「……ぐぅぅ」
「ん?」
くつしたの耳がピクピク揺れた。鼻もフスフスとせわしなくヒクつかせている。
「ぅー、いあん?」
「……おはよう、くつした」
「おはよー」
くつしたの真っ黒な瞳がパチリと瞬く。当たり前のように口にされた「いあん」という言葉に心底ホッとした。どうやら俺は、あのお喋りをしなくなった時のくつしたが地味にトラウマになっていたらしい。
「くつした、体は平気か。痛いところはないか」
「なぁい」
未だに寝ぼけ眼で、欠伸をもらしながら答えてくるくつしたは、見た目は立派な大人にも関わらず、中身はまだまだ子供のようだった。自身の体を撫でる俺の手を、寝ぼけ眼のまま甘えるようにペロペロとその長い舌で舐めてくる。
「……う゛」
「いあんー?」
指を舐めてくる舌の感触に、昨日の人間の姿のくつしたとの行為が思い出されて、思わず手を引っ込めた。素面で思い出すには、昨日の行為はあまりにも生々し過ぎる。
「いあん、どしたー?」
「あ、えっと」
ただ、安穏としたくつしたの声が昨日の快楽にうっすらと覆い隠してくる。良かった。くつしたが狼の姿をしてくれていて。
「……あのさ。くつした、ちょっと大切な話があるんだ。ちゃんと起きて聞けるか?」
「大切な、話?」
「そう、今後の俺とお前に関するとても大事な話だ」
くつしたの顔を両手で挟み込んでジッと目を見る。これから話す内容は、本当に二人の命に関わるくらい重要な話なので本気で聞いて欲しい。そんな思いを込めて口にした言葉だったのだが、どうにもくつしたには全く違うモノとして伝わってしまったらしい。
「わかった!くつした、わかった!」
「え?」
突然、くつしたが尻尾を派手に振り始めた。直後。とんでもない言葉を言い放ってきた。
「イアンに、くつしたとの子供が出来たんだな!」
「は?」
「昨日、くつしたはいっぱいイアンの中に出したから、子供が出来たんだ!やった!やった!」
「いや、ちがっ!」
「違わない違わない!やったやった!」
くつしたは俺の顔をペロとひと舐めすると、ぴょんぴょんとベッドの上を飛び跳ねた。
「だって、昨日、イアンは気持ち良さそうだった!あんあん、これ以上出したら赤ちゃんできちゃうって言った!でも、くつしたはやめなかった。だから、子供ができた!」
「うおいっ!?」
朝からなんて事を言いやがるんだ、この狼は!
くつしたの言葉に昨日の自身の痴態を思い出すと、顔中に急激に熱が集まるのを止められなかった。しかし、それでもくつしたの猛攻は止まらない。
「くつした好きって言って、イアンはいっぱいくつしたを舐めた!くつした、もっともっとって言ったから、くつしたいっぱい頑張った!イアン、嬉しそうだった!」
「やめろっ!もうそれ以上言うなっ!」
恥ずかしいだろうが!
と、俺がどんなに羞恥心を訴えようと、くつしたは千切れんばかりに尻尾を振って「にこっ」とした満面の笑みをこちらに浮かべるだけだ。まるで、昨日のむせ返るような性の営みが、くつしたにとっては単なる飼い主とのじゃれ合いであったかのような言い草である。
「イアンは、くつしたの赤ちゃんほしーって言ったーー!」
「お願いだから、やめてぇっ!?」
人間の姿の時は、くつしたも顔を真っ赤にして死ぬほど恥ずかしがっていたくせに!
なのに、今はどうだ。獣に戻った瞬間、羞恥心の感覚が完璧に獣のソレに寄ってしまっている。こんな状況では大事な話どころではない。
「っくそ!もう無理だ!」
「イアン?」
俺はくつしたが無邪気に口にするセリフに耐えかねて、再び布団の中にもぐりこんだ。そして、改めて思う。
狼と人間は全く違う生き物であるし、言葉というのはともかくやっかいなモノだ、と。
「イアン?どうして隠れる?」
「うるさいっ!お前のせいだろう!」
「イアン、イアン。なんで、なんで!?」
俺の顔が見たくてたまらないのか、まるで穴でも掘るように毛布を前足で擦り始めたくつしたの行動に、俺は恥ずかしがってよいのやら、笑った方が良いのやらワケが分からなくなった。
「イアン、イアン。イアン……いあん」
「……」
何度も何度も名前を呼びながら、少しずつ勢いのなくなっていくくつしたの声。その変化に、俺の心の要塞は早くも陥落しかけていた。
こんな風にペットに……いや、番に名前を呼ばれたら、言う事を聞いてしまうに決まっているだろう。
「くぅ」
ただ、顔を出せばまた昨日の俺の痴態を無自覚に晒されるかもしれない。そう、俺が顔を出そうか迷った時だった。
「いあん、見て。こっち見て」
「っ!」
その声に、俺は考えるよりも先に布団から手を伸ばしていた。
「イアン!」
「……おいで!くつした」
くつしたは俺の布団に尻尾を振りながらもぐりこんでくると、ぺろぺろと顔を舐めてきた。もう、躾けもなにもあったもんじゃない。
でも、もう躾はいいだろう。
番なんだ。今後のことは、また後で……二人で考えよう。
おわり
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