16:「お前」は「俺」じゃなかったのか

 

「アンタ、好きかどうかを周りの意見で決めんの?」

「っあ、ちがっ……!」

「ってか、知ってたんだ。……最近、俺のせいで野次馬増えてたからな。アンタもそのクチ?ま、アンタも俺の作品を褒めてたしな。そういう〝うっすい感想〟しか出てこないの、納得だわ」

 

 あっという間に毒舌モード全開。とっさに漏れた照れ隠しが、まさか彼の逆鱗に触れてしまうなんて。

 

「いや、そうじゃなくて!」

「じゃあなんだよ。もしかして、今までの作品も〝俺が〟好きだから合わせて好きって言ってた?だとしたら、マジでキモいんだけど。ほんと無理なんだけど、そういうの」

「あ、あの……」

 

 どうにか誤解を解こうと声を上げるが、余生先生の勢いに呑まれて上手く言葉が出てこない。

 

(ど、どうしよう。どうしようどうしよう)

 

 一瞬、俺がこの作品の作者だとバラしてしまおうかとも思ったが、そんな事を今の俺が言っても信じてもらえそうにない。むしろ、余計話が拗れそうだ。

 そのくらい、今の余生先生の目は、俺の事を〝拒絶〟していた。

 

「俺、好きな作品のことバカにされんのが、この世で一番嫌い。マジで、だいっ嫌い」

 

 剣呑な表情を崩さないまま、静かに、でもどこまでも真剣な瞳で言い放たれる。

 あぁ、そんなの俺が一番分かってる。だって、俺の作品を叩く読者に、いつも怒ってくれていたのは、他ならぬ余生先生だったのだから。

 

「アンタも他のヤツらと一緒だ」

「っ!」

 

 余生先生は、いつだって不器用なほどに一直線だ。

 こんなに真っすぐに、俺の作品を好きでいてくれたのに。俺は、なんてことを言ってしまったんだろう。

 

「……アンタなら分かってくれるって思ったのに。言うんじゃなかった」

「っぁ、ぅ」

 

 フイと顔を背けられ、泣きそうになってしまった。

 

「ご、ごめんなさい。あの、俺……別に先生の好きなモノをバカにしたつもりは、なくて……俺、先生と違って感想とか凄く、下手くそだから」

「……」

 

 好きな作品を他の人から否定された時の気持ちを、俺だって知らないわけじゃない。だって、余生先生の作品に並んでいた心ないコメントに、俺も同じような気持ちになったから。

 

「俺も、その作品のこと……す、凄く好きで。だから先生の、感想も聞きたかっただけなんです」

 

 そう、これが浅はかな俺の本音だ。

 余生先生から直接作品の感想が聞けるかもと思ったら嬉しくて、でも照れくさくてあんな言い方になってしまった。その自意識過剰な謙遜が、先生を傷つけた。

 

「嫌な思いをさせて、本当にごめんなさい」

「……はぁ、もういいよ」

 

 必死に言葉を並べながら俯いた俺に、剣呑だった声が少しだけ和らいだ。

 

「ほ、ほんとに?俺のこと、許してくれますか」

「別に、許すもなにも。そもそも、そんなに怒ってないし」

「え?」

 

 いや、それは絶対ない。軽く「ぶっ殺す!」ってくらいには、しっかり怒っていたと思うのだが。

 

「アンタみたいに、思ったことが全部顔に出るヤツが、空気読んで周りに合わせた感想なんて言えるわけないって、分かってるし」

「よ、良かったぁ」

 

 少し早口で返されたその言葉に、俺はやっと胸を撫でおろした。

 良かった。ここで嫌われたら、出会った頃に逆戻り——というか、マイナスになるところだった。もしかすると、二度と声をかけてもらえなかったかもしれない。

 

 けれど、安心したのもつかの間。

 次の余生先生のひと言が、心のどこかで何かをカチリと動かした。

 

「つーか、俺の作品のほうが大衆に媚びたクソ作品だし。アンタに偉そうなこと言えた立場じゃない」

 

 その、妙に投げやりな物言いに、俺は思わず目を見張った。そこにはパソコンに視線を落としたまま、ため息を吐く先生の姿がある。

 

「俺もノキ先生みたいな作品が書きたかったはずなのに。なんで、こんなクソ作品量産してんだろ。ほんと、あほくさ」

「余生先生の作品はクソじゃないです」

「あ?」

「クソじゃない。最高です」

 

 声が出た。思ったよりも、ずっとはっきりと。

 その瞬間、それまでパソコンに目を落としていた余生先生が、驚いたように顔を上げた。けれどすぐに、眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな顔に戻る。

 

「は?作者がクソっつったらクソなんだよ。俺の作品なんて、信念なんて一つも籠ってない大衆媚びの畜生以下で……」

「おい、黙れよ」

「……は?」

 

 待て。余生先生相手に、なんて言い方をしているんだ俺は。余生先生も凄くビックリしてるだろ。

 

(やめろ、それ以上言うな!)

 

 そんな理性の声が頭の片隅で響いていたのに、それを完全に無視して感情が口を突いて溢れ出た。

 

「作者とか関係ないし!それは〝俺の好きな作品〟だ。それを作者だからとかワケ分かんない理由で踏みにじってくるなら、いくら作者だって許さない!」

「お、おい……」

「っていうか、なんだよ。自分の好きな作品バカにされんのがこの世で一番嫌いとか言っといて、お前はずっと俺の……俺の、一番好きな作品をずっとバカにし続けてんの、マジでなんなんだよ。そういうとこ、ほんっとにムカつく!」

 

 ここがブルーマンデーだとか、他にお客さんがいるとか、マスターが見てるとか、バイト中だとか。

 叫んでいる相手が〝尊敬する人〟だということさえも、今の俺にはどうでもよくなっていた。

 ただ、どうしようもなく腹が立って。

 

「なんでだよ……」

「……」

「他のは、ちゃんと言わなくても分かってくれるのに、なんで」

 

 どうして、俺の一番好きな作品の事は「分かって」くれないのだろう。

 

——いや、いい。ちゃんと分かるから。

 

 先生が言ってくれたその言葉が、俺にとってどれだけ嬉しかったか。

 だからこそ、本当の気持ちを分かってもらえない事が、もどかしくて、悔しくて堪らなかった。

 

「俺の好きな作品を、バカにしないでください。俺は、本当に……先生の作品が好きなんです。俺にとっては、唯一無二だから……」

 

 気づけば、怒りはもうどこにもなかった。残っていたのは、どうしようもない「やるせなさ」だけ。

 

「……すみません。俺、仕事戻ります」

 

 きっと、俺がどれだけ言葉を尽くしても、余生先生には届かない。

 そう思うと、何を言っても虚しくて仕方がなかった。きっと、京明に合格して、初めてこの店に来たときに渡したファンレターも読まれていないに違いない。

 

(なにやってんだろ、俺)

 

 これ以上、好きなものを否定されるのはごめんだ。そう、俺が席を離れようとした時だ。

 

「待て」

「っうお」

 

 グイと力いっぱい腕を掴まれた。そのせいで、立ちあがりかけた体が再びソファ席に引き戻される。

 振り返ると、すぐ後ろに余生先生が真剣な顔でじっとこちらを見ていた。

 

「なぁ……俺の小説、どこがいいと思ってる?」

 

 ボソリと口にされた言葉に、俺は一瞬何を言われているのか理解出来なかった。ただ、本当に俺の腕を掴む余生先生の手があまりにも必死で、力強くて。

 俺は思わず、期待を込めて呟いていた。

 

「感想……言ってもいいんですか?」

「つ、次の作品の参考になるかもだし」

「っ!!」

 

 どこか気まずげに視線を逸らされながら口にされた言葉に、思わず心臓が跳ね上がった。

 

 まさか、まさか、まさか!

 あれほど、自分の作品の感想を言われるのを嫌がっていた余生先生が!まさか、こんな——!

 

「よ、余生先生の作品って、本当に凄くて!全体の流れが、気づいたら読まされてるっていうか……読ませられてる?なんかもう、ページが勝手に進んでくっていうか!あと、キャラの感情が、そのまま言葉になってるみたいで説明されてないのに、分かっちゃうのとか凄いし。あ!あと他には、地の文の比喩が全部キャラの視点に収まってて、違和感ゼロなのとか……」

「ちょっ!ストップ。ストップ、止まれ!」

 

 俺がノンストップで語りまくっていると、余生先生が真っ赤な顔で手を振って静止をかけてきた。

 

「えっ!?まだ百分の一も言い切れてないんですが!」

 

 物語の構造。伏線の張り方。描写の濃淡。キャラの内面の描き方。他にも言いたい事は、まだまだ山ほどあるというのに。

 思わず前のめりになって余生先生に詰め寄ると、彼は普段はまず見せないような顔で、少しだけ視線を泳がせながら口を開いた。

 

「ちょっと……ここじゃアレだから……俺の部屋来い」

「へ、部屋?余生先生の……?」

「ほ、他に誰の部屋があるんだよ」

 

 耳を真っ赤に染めながらそんな風に言われると、なんだか妙にソワソワしてしまう。まさか、余生先生のお部屋にお邪魔させてもらえるなんて。

 

「あ、でも俺……今、バイト中なので」

「爺ちゃん。暇だし、別にいいだろ」

 

 俺の言葉に重ねるようにして、先生がマスターに声をかける。そして、マスターはカウンターの奥から、にこにこと微笑みを返してきた。

 

「いいよ。忙しくなったら声をかけるから。直樹君、行ってあげて」

 

 もう、バイトに来てるのか遊びに来てるのか分かったモノじゃない。でも、俺はそのマスターの優しさに甘えるという選択肢しか選べそうになかった。

 

「ほら、行くぞ」

「は、はい!」

 

 その日を境に、俺は初めてブルーマンデーの二階にある、余生先生の部屋に足を踏み入れる許可を得たのだった。