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「サトシ?」
「っ!」
俺はすぐ近くで聞こえてきた金弥の声に、パチリと目を覚ました。あれ、ここは一体どこだろう。
「……き、ん?」
「サトシ、また寝ぼけているな?今、サトシの目の前に居るのは誰だ?」
そう言って、眼前まで迫った美しい金色の瞳に、俺はやっと寝ぼけていた思考が追い付いてくるのを感じた。視界いっぱいに映り込むあまりにも整った造形美に、思わず呼吸を忘れてしまいそうになる。これまで幾度も見てきた顔にも関わらず。
そうだ、ここはイーサの“いつもの”寝室だ。俺が、毎日毎日イーサと扉越しに戸を叩き合った。あの部屋だ。
「いーさ」
「そうだ。キンではない。お前は何かにつけて、すぐにイーサを“キン”と呼ぶな。イーサはそれがあんまり好きではないぞ」
美しく整った顔が、不機嫌そうにその表情を歪めた。
そりゃあそうだ。自分をいつも別の人間の名前で呼ばれたら、そりゃあ不機嫌にもなる。それも声が似てるってだけで。イーサが俺を毎度毎度「ジェローム」と呼んできたら、俺も嫌に違いない。
「ごめん。いーさ」
「ふーむ、許しがたいことだな」
そんな事を言いつつ、イーサも本気で怒ってるワケではなさそうで。キラキラの金色の目がゆっくりと細めつつ俺を見つめてきた。綺麗だ。
「どうしたら、ゆるしてくれる?」
「そうだなぁ」
まだ、少し眠い。そのせいで、漏れ出る自分の声が何だか子供のような喋り方になってしまう。まぁ、仕方がない。なにせ、眠りについたのは明け方だったのだ。
一晩経ったら、俺はエイダと共にリーガラントへと行く事になる。そしたら、またイーサとは離れ離れだ。
「サトシがイーサに口付けをしてくれたら許してやろう」
「くちづけ」
イタズラの共謀する子供のような口調でイーサが言った。
「いやか?」
「えっと」
イーサの畳みかけるような問いかけに戸惑ってしまう。口付けは、俺が喋れなくなった時にイーサから唾液を貰う目的でしかした事がない。ただ、今の俺はきちんと声が出ている。だから、今俺がここでイーサに口付けをする理由は、ない。
「……サトシは、キンが一番好きだな」
「きん?」
イーサが何もかも悟ったような目で俺を見て言った。金弥と同じ声で。そこには悲しいとか、嬉しいとか、悔しいとか、楽しいとか。そういう感情は何もない。ただただ、目の前に咲いた花を見て「キレイだなぁ」と言うような。そんな口調だった。
「……」
「隠してもムダだぞ?イーサはよく知っているからな。サトシはキンが好きだ。寝ている時に何度も何度も聞いた」
——–キン、会いたい会いたいって。
驚いた。まさか、寝ている間にそんな事を言っていたなんて。ただ、よく考えてみれば別にそれは驚く事ではない気がした。
「サトシは、ユメデンワでいつもキンに会いに行ってたんだな?」
「そう、かも」
「キンには会えたか?」
「あえた」
「会えて良かったな。サトシ」
「……うん」
イーサが、まるで大人みたいな顔で俺の頭を撫でてくる。まるで寝かし付けをされてる子供になった気分だ。なんだよ、イーサ。いつもと違って大人みたいじゃないか。何でも許してくれる、王様みたいな顔で俺の事を見て。
「イーサ。俺、キンが好きだ」
「そうだろう、そうだろう。イーサはずっと知っていたぞ」
「……そっか」
口に出してハッキリと分かった。俺は金弥が好きだ。そして、金弥も俺の事が好きだ。それも知ってる。小さい頃からずっと一緒に居た。それこそ、金弥と俺にしか知らない経験と時間が、そこには山のようにある。
そして、この瞬間。もう一つハッキリとした事があった。
「そして、サトシ」
「うん」
イーサの真っ白で綺麗な手が、俺の頭から頬へと移動した。
スルスルと、イーサの手が頬を撫でたり、顎の下をくすぐったりしてくる。何だろう、コレは。まるで前戯のような色香を漂わせつつ、子犬でも撫でるような無邪気さも持ち合わせている。
まるで“イーサ”みたいな触り方だ。
「お前は、俺”事も同じくらい好きだろう」
「……っぁ」
顎の下を触れていた指が、スルリと俺の胸元まで滑り込んできた。ヒヤリとしていた手が服の中へと入り込んできたせいで、背筋にピリとした感覚が走る。入り込んできたイーサの手が、俺の胸元にあるネックレスに触れる。
「俺は、サトシの事なら何でも知っている」
イーサが自分の事を“俺”と言った。甘えが消え、なんだか酷く大人っぽい。いや、イーサはずっと大人なんだけど。
「ふふ。当たりだろう。サトシ?」
「……あ、えと」
「お前は二人の男を同時に好きになったんだ。同じくらい愛してしまっている」
今まで向かい合うように寝転んでいたイーサが、いつの間にか俺の体を跨いで上から見下ろしてた。今は朝だ。そのせいで、窓の外から漏れ入る太陽の光が、イーサの短くなった髪の毛をよりキラキラと光らせている。イーサが、綺麗に見えて仕方がない。
「はぁっ」
思わず溜息のような感嘆の息が漏れる。それくらい、美しい。
そんな思考がただの現実逃避に過ぎない事は、俺も分かっていた。イーサの言葉が頭の中でグルグルと反芻する。その間もイーサの手は俺の服の中で、遊ぶように動き回った。
「サトシは悪い男だ。浮気性で、とても酷い。キンとイーサを同時に弄んでいる」
「ぁ、う……そ、れは」
ハッキリと口にされた言葉に、俺はそれまで目を逸らし続けていた事実に真正面から向き合う事になった。呼吸がどんどん浅くなる。おかげで、どんなに息をしても息苦しい。
「っは、っは」
そう、俺はキンも好きだ。ずっと、ずっと好きだった。じゃなければ、寝ている間とは言えキスなんかさせない。体なんて触らせない。
——–サトシ、ずっと一緒に居ようよ。
うん、俺も。キンとずっと一緒に居たい。
それなのに、なんでだよ。俺。