『ねぇ、あっきー。どうして俺は人とはちがうのかな』
そう、いつものように俺に向かって泣き言を、本当に泣きながら漏らしてくるのは中学に上がったばかりの幼馴染の姿。靴は揃えてから上がれと何度言っても言うことを聞かない、困ったやつ。
『明彦……』
そんな13歳になったばかりの幼馴染の姿に、俺はハタとこれが夢だという事を理解した。
それもそうだ。明彦は現在、17歳だった筈だ。しかし、目の前で泣く少年は、まだまだ幼く、震える肩とても頼りなかった。間違っても誰かを組み敷いて、相手に嬌声を上げさせる事などできっこない、まだ小さな子供。
そう、これは過去の夢だ。そして、これは明彦が自身を"普通ではない"と認識したあの日の夢。
『こんなの嫌だ。どうしてして、どうして……』
あの日、中学からの帰り道。明彦は下校中の俺を捕まえて、小学生の頃よく遊んでいた近所の神社へ引っ張って行った。その時の明彦の姿は今でも忘れられない。
幼い頃から、両親譲りの整った顔立ちのせいか『かわいい、かわいい』とチヤホヤされてきた明彦の蒼白な顔は、一切の血の気を無くして、最早人形のようだった。
明彦の告白は『きょう、学校で隠れてみんなでAVを見たんだ』という、学校で何をしているんだお前たちは、と盛大にツッコミを入れるところから始まり、その映像で自分だけが男優の裸体に目を奪われてしまっていたところへ繋がった。
そして、夢の冒頭。自分が他者と決定的に違っている事への恐怖の吐露へと繋がる訳だ。
その告白を受けた当時の俺、15歳。中学3年生。
いくら、俺が13歳の明彦よりも年上で、幼い頃から何でも面倒を見てやってきたお兄さん的存在だからと言って、それは荷が重すぎる告白だった。
なんと言えばいいのか分からない。LGBT問題なんて、当時全く知る由もない単語であったし、何より明彦の言っている意味が一切わからなかった。俺にとっては女子を好きになるのは当たり前の事だったし、もちろんAVなんて見ようものなら、一緒に見たという明彦の友達同様、女性のあられもない姿の方に釘付けになるに違いないのだ。
ただ、なんと言っていいのかは分からなかったが、幼い頃から弟のように可愛がってきた幼馴染が、こんなにも取り乱し、あまつさえこんなにも悲しそうな顔で涙を流している姿に、俺まで苦しくなってしまっていた。
こういう時、俺の言うべきことは昔から決まってる。
『大丈夫、明彦。俺がついてる。なんでも俺に言えよ』
かわいそうな明彦。ずっと面倒を見てきた弟のような存在。優しくしてあげないといけない。昔から親からも周りからも言われてきたし、何より俺自身もそう思ってきた。
だから、俺は明彦の気持ちも苦しみも全く分からなかったし、分かろうともしなかったが、いつもと同じことを同じように言った。
難しい事は、何一つなかった。
現在19歳となった俺が、現状を顧み「どうしてこうなった?」と問い、過去を振り返るならば決定的にその時の言葉が全ての始まりであったと断言できる。
そして、その時の俺の言葉通り、明彦は誰にも言えない胸の内を、俺にだけ話すようになった。明彦の思春期という名の青春は、常に茨の道だった。
他人と己の違いに苦しみ、向けようのない恋愛感情を溜め込み、満たされない性欲を内包したまま、そりゃあもう頑張って17歳まで生きてきた。
しかし、俺に相談する程度のガス抜きでは、明彦の膨張に膨張を重ねた思春期の風船は済まなくなるほど大きくなっていたのだ。
そして、それはある日を境にパン!と軽快な音を立てて破裂した。
大学入学と共に始めた一人暮らし。
明彦の通っていた高校と俺の大学が近かったという理由もあり、一人暮らしを始めるや否や、明彦は俺の部屋へ自然と転がり込んできた。
そして、転がり込むと同時に、明彦はなんとも違和感なく、さも寝る前に歯磨をするきかの如く俺を抱いたのだった。今、冷静に考えれば「ソレどういう状態?」この上ないのだが、本当にそんな感じだったのだから、仕方がない。
その頃には明彦は13歳の頃のような頼りない肢体は消えてなくなり、組み敷かれた時も、あまつさえ挿入された時も、俺自身納得のいく男に仕上がっていた。
まぁ、俺も思ったより気持ち良く事を終える事ができたので、悪くない経験だった。
俺も、意外と貞操観念は低かったらしい。
そう、大層なきっかけなんてない。あるとすれば、パン!と大きな風船に刺された針は、思春期の性欲そのものだったのだろう。
あの日から、明彦は殆ど自宅には帰らず、俺のアパートで暮らしている。
明彦の親も「あっきーの所なら安心ね」と、今では俺の口座に生活費を振り込んでくる始末。まったく、育児放棄も甚だしい。
こうして、いつの間にか俺の家から学校に通うようになった明彦は、俺の幼なじみから、幼馴染兼同居人兼セフレ的なものになった。一体どれだけ、ステータスの称号を増やす気だろう。
そして、何崩しのまま、明彦の気分で何度か抱かれているうちに、ある日明彦は……あいつはニコリと微笑んで言った。
『あっきー、俺と付き合わない?』
"付き合う"という言葉の意味が全く分からなかった。それは今とどう違うのか、これからどう変わるのか。良い事なのか、悪い事なのか。俺はどうしたいのか。
一つも分からないまま、理解をしようとも思わないまま、俺は反射のように答えていた。
『わかったよ』
すると、あいつは嬉しそうに笑って『ありがとね』と言い、一つ大きな欠伸をすると、ノソノソとベッドに向かって歩いていった。
"わかったよ"
ーーいや、何がだ。
本当は何一つわかっちゃいないのだが、これはもう脊髄反射並みに、俺に染み付いたひとつの習慣と言ってよかった。
俺は昔から、アイツのこの甘えたような声と笑顔に凄く弱かったのだ。あの声でお願いされると、俺は何でも頷いてしまう。
それが、俺より身長も高くなり、髪色も脱色して薄くなり、見た目も性格もチャラくなってしまったアイツだとしても。
一人っ子の俺にとってアイツは、幼なじみと言う名の弟だった。それは、何年たっても、変わらない。
こうして、いつの間にかアイツは俺の幼馴染のような弟から同居人になり、セフレのようなモノになり、そして最後に恋人になった。
なんだか今思い返してみても、もの凄い変遷を遂げていると思わなくもない。でも、全部いつの間にかそうなっていたんだから仕方ない。
どうしてこうなった。
『大丈夫、明彦。俺がついてる。なんでも俺に言えよ』
"あの日"の俺の言葉が、きっと明彦の全てなのだろう。
そして、俺は今でも別にあの日の言葉を後悔したことはない。