7:脱出

 

春日は目を瞬かせながら自分に目を向ける太宰府に、思わず正座をして向き直った。

突然の春日の行動に太宰府も目を見開く。

春日は目の前に居るのが出会ったばかりの赤の他人というのを忘れかけていた。

 

ただ、春日はいつも迷惑ばかりかけてきた先輩達に伝えたい気持ちを太宰府にむかってぶちまけていた。

 

「太宰府さんの言葉はちゃんと伝わってます。だから、本当に太宰府さんは大変でお疲れで、本当に迷惑ばかりかけられてもどかしいと思いますけど、新人から手だけは離さないであげて下さい」

「……っか、春日さん」

 

太宰府は突然、真剣な表情で自分に目を向けてきた春日にドキリと胸が響くのを聞いた。

先程まで穏やかだったその表情が、今はどこまでも真剣でまっすぐで。

そこには自分にはない“若さ”のようなものが、見え隠れしているようだった。

 

「あいつらは本当に何もわかってないだけなんです。言われた通りにやろうとしても出来なくて、」

でも、どうしたら出来るようになるのかもわからない。

 

「良かれと思ってやった事が全然明後日の方向を向いてたり」

何でわざわざそんな事をしたんだ、時間の無駄だろう、なんて言われた事も山のごとし。

 

「ミスしてどうしたらいいのかわからなくて、失敗が怖くて。できるだけ迷惑かけたくないから、必死に自分でなんとかしようなんて余計な事考えて、またミスして」

結局、自分の尻も自分で拭えない程未熟な自分に嫌気がさす。

 

「何がいけなかったのか、何をしたら良かったのかさえもわからない。太宰府さん、ダメだったらたくさん怒って下さい。怒ってもらわなきゃ駄目な事が何かもわからないです。携帯ばっかりいじってたら取り上げちゃってください!悪気と常識がないだけなんで、そこはガツンと言ってやって大丈夫です!」

「は、はぁ……」

「でも、大宰府さん。本当に、本当にたまにでいいんです。ゆとりとか平成生まれとか関係なく」

「…………」

「小さな事を褒めてあげてください」

 

そう言って、春日はかすかに微笑んでいた。

まだ仕事を初めて一年も経ってないけれど、それでも、どんなに小さな事でも褒めて貰った記憶は今でも春日の小さな自信だ。

 

「経験のない新人は、先輩のちょっとした言葉が自信に繋がります。単純な奴らです。褒めるところなんて一つもないかもしれないですけど、それでもたまに褒めてあげてください。ゆとり世代は叱られ慣れてないから褒めて伸ばせって事じゃないです。ゆとりとか平成とか関係なく、多分どんな人も褒められたらきっと嬉しいでしょう?」

「っ」

 

太宰府は目の前でのんびりと微笑む相手に、なんだか先程までの自分の言葉を省みて恥ずかしくなった。

確かに最近ずっと忙しく、疲れていた。

言ってもわからない新人に嫌気がさしていた。

 

けれど。

 

「(俺も最初はそうだったじゃないか)」

 

太宰府は過去の自分を思い出して自然と口に笑みを浮かべていた。

これだから年は取りたくない。

いくら心掛けても初心なんて知らぬ間に、どこかに置き忘れてきてしまう。

 

きっと、自分も新人の頃、同じように先輩に思われ、同じように手間をかけさせてきたのだ。

叱られて不貞腐れた事もある。

褒められて影で嬉し泣きした事もある。

 

そんな事も忘れていた。

 

「太宰府さん」

「っは、はい。なんでしょう春日さん」

 

またしても、ジッと太宰府を見つめてきた春日に太宰府は、思わず背筋を伸ばした。

なぜだろうか。

先程から春日の目をまともに見ると、心臓がやたらとうるさい。

 

「太宰府さんはきっと新人達の目標ですよ。こんなにかっこいいんですから、俺はそう思いますよ」

「っ!」

 

その瞬間、太宰府の頭の中に先程の春日の言葉が浮かんだ。

 

“褒められたら、誰だって嬉しいですよ”

 

しかし、何故だろうか。

褒められて嬉しい。

嬉しすぎてなんだか心臓がおかしくなってしまったのだろうか。

 

それこそまさに太宰府が遠い過去に置いてきたどこか“懐かしい”とも言える感情であった。

 

そして春日は何故か急に目の前で顔を真っ赤にし始めた太宰府の姿に「寒くなってきましたね」と、のんびりした口調に戻り、的外れな事を言っていた。

その間も、太宰府はどうにも止めることのできない暴走気味の感情を前に、激しく鳴り響く心臓を落ち着かせようと息を吐いた。

 

「かっ、春日さん」

「はい?」

 

太宰府は落ち着かせる為に吐いた筈の息をそのまま吸い込んだかと思うと、頭の中を埋め尽くす一つの明確な使命を全うすべく、春日に向き直った。

春日にならって正座で。

春日も春日で先程の正座のままの態勢であった為に、エレベーター内に大の男が正座をして座り込むという、なんとも滑稽な状況が出来上がっていた。

 

「(連絡先が知りたい連絡先が知りたい連絡先が知りたい!)」

 

太宰府はも悶々とする思考を抱え、ポケットにある携帯を握りしめ、口を開こうとした。

 

瞬間

 

ガコン

 

乗り込んだ時と同様に一度だけ激しく揺れたエレベーターは、その瞬間、明かりが灯り、上へと動き出した。

 

「っ太宰府さん!動きましたね!」

「動きましたね!春日さん!」

 

二人はその瞬間、勢いのまま抱きしめ会うとやっとの事で解放された閉鎖空間から目的にへの7階へと無事到着したのだった。

それは、二人がエレベーターに閉じ込められた、約2時間後の事だった。