9:太宰府互譲

 

太宰府 互譲は悔んでいた。

行きつけの焼鳥屋で、友人を前にしてひどくその整った顔を歪ませていた。

 

「あぁ、連絡先を聞いておけば」

「あ?女?お前やっとまた恋愛出来そうなわけ?」

「違う。今日ちょっと色々あってな。この年で本当に気の合う、尊敬できる人に仕事とは関係なく会えたんだ」

 

太宰府は今日あったどこか夢のような出来事を思い出しながら、目の前にあるつくねを手にとった。

その瞬間、つくねのタレがポタポタと太宰府のスーツの袖に落ちて行く。

そんな太宰府を前に、彼の友人は呆れたようにおしぼりを手渡す。

 

「おい、こぼしてんぞ」

「あ、あぁ。悪い」

 

結局、太宰府はエレベーターから救出された後、春日の連絡先を聞く事が出来ぬまま別れてしまった。

ちょうど会社に連絡を取っている時、春日が慌てて帰って行くのを見てしまったのだ。

しかし、部下からの報告を受けている最中に電話を切る訳にもいかず、太宰府は消えて行く春日の背中何もせずに見送る事しかできなかった。

 

「(まぁ、結局仕事は何の問題も無く終わったから良かったが……)」

 

どうやら発注していた品は、太宰府がエレベーターに閉じ込められている間に、ミスの張本人である甘木という新人が取りに来て事なきを得たらしい。

どうやら、電話をしても繋がらない太宰府を心配した甘木が相手会社に連絡を入れた事によってエレベーターの故障が発見されたと言う。

 

今回ばかりは甘木を褒めてやらねばとは思うのだが、どうしても奴の報告の稚拙さから時間を食ってしまい、挙句春日の背中を無念にも見逃す羽目になった事が、太宰府の苛立ちに火をつけた。

 

“褒めてあげてください”

 

そう言って微笑む春日の顔を思い出すと、数時間経った今尚、太宰府の心臓を騒がしくさせる。

けれど、現実はそうそううまく行かないもので、結局褒める事は叶わず「以後気を付けるように」と吐き捨てるような言葉しか言ってやれなかった。

情けない甘木の電話口の声を思い出すと、どうにも罪悪感が残るが終わってしまったものは仕方が無い。

 

そう、どこかささくれた太宰府の携帯に「飲みに行こうぜ」と誘いのメールを寄越したのが、今太宰府の目の前でビールをジョッキの飲みまくる男。

そして、太宰府の大学時代からの友人でもある男。

 

「宮野。あんまり飲みすぎるなよ。今日俺は酔ったお前を親切に送ってやれる程、優しくなれそうにない」

「わかってるっつーの。俺も今日は疲れたから、そんなに飲めねぇし食えねぇよ」

「そんな事言っていつもお前はしこたま飲むだろうが」

「あーもう!気をつけるって!つーか、どうした?今日なんかお前顔が変だぞ。ずっとニヤけてる。さっき言ってた奴のせいか?」

 

そう、どこか面白半分に話を掘り返してくる宮野に、太宰府は不貞腐れたように答えた。

 

「うっさい。お前にはわからないさ。この年で仕事関係なく、あぁいいなこの人って人と出会えた喜びってやつを。この年になっても初心を忘れず部下に接していけるあの人は、きっと会社でも理想の上司なんだろうなぁ……俺と違って。雰囲気も優しいしな」

「でも女じゃねぇんだろ?」

 

「さっきからお前は女、女って。もう俺は独身でいい。一人の方が楽だ」

「俺はまだ結婚をあきらめちゃいないね。子供も欲しい」

「お前の願望なんか知るか。とりあえず、今日は俺はそんな人に出会えたにも関わらず、人脈を築けずに終わったんだよ。あぁ、あんな人が俺の上司だったらなぁ。俺もあの人に褒められたら、もっと仕事頑張れるんだけどな」

「お前ってほんとに仕事の虫だな」

 

そう言って宮野と太宰府は互いに仕事の疲れを抱え込み、ビールジョッキに手をかけると「はぁっ」と深い息をついた。

その瞬間、太宰府のジョッキの手前に置いてあったクシ入れが勢いよく倒れ床に散らばる。

そんな友人の姿に、宮野は「お前、ほんとしっかりしろよ」と、太宰府が部下に言いまくっている台詞を疲れたように吐いた。

 

そんな宮野を無視し、太宰府はビールに口をつける。

 

「(連絡先……聞いとけばよかったなぁ)」

 

明日も仕事だ。

年末の忙しさもピークだ。

しかし今日は、曲りなりにもクリスマスとしては上出来な程に良い日だったと言えるかもしれない。

 

太宰府は、自分よりも年上であろう彼の顔を思い出しながら目を閉じた。