25:名前

 

 

「あぁっ、良い」

「器用だな」

 

酒を飲みながらメモを続ける俺に、男が少しだけ感心したように言う。

 

「アナタは博識だなぁ」

「アンタは無学だな」

「言うねぇ。でも、まぁ、アナタに比べたらそうでしょうとも」

「早く鳥並みになれるといいな」

「ハイハイ、早く鳥みたいに部屋に甲斐性見せてみせるよ」

 

俺は片手でメモをとり終えると、ペンから手を離し手帳を閉じた。その時、ふと、空になった先ほどの木の酒のボトルが目に入る。

 

「なぁ、もし良ければ、その酒のラベルもらっていいか」

「なんでだ」

「この酒気に入ったし、そのラベルも良いなって思って。どうせなら、部屋の壁に貼っていこうかと」

 

 俺は自身のあの何もないガランとした真四角の部屋を思った。

俺は統一感のある無秩序さが好きだ。酒のラベルというのは、元来デザイン性に富んだモノも多いし、酒という共通点を持たせて壁に無秩序に貼っていくのは良いかもしれない。

 うん、アリだ。

 

「捨てるだけだ、好きにしろ」

「よし!ありがと!」

 

 俺は男から空の酒瓶を受け取ると、ぴったりとくっついているラベルを丁寧にはがしていった。透明なラベルに描かれたダイヤのシンプルなイラストが、酒場の灯りを通して更に幻想的に見える。すばらしい。

 

「あと一ついいか?」

「まだ何かあるのか」

「アレが欲しい」

 

俺はカウンターから立ち上がると、フクロウの止まり木の傍までソッと近づく。ジッと色の無い目が此方を見てくるがフクロウが動く気配はない。

一瞬俺は息を止めて屈むと、止まり木の下に落ちていたフクロウの羽を素早く手に取った。

 

「わあ!やっぱり思った通り綺麗だ!」

 

フクロウの羽。

その羽は、茶を基調とした色味をしているが持ち手に近い部分はフワフワの柔らかい白い色をしている。濃い色と、薄い色が交互に彩られるその羽は、俺にとってはとても魅力的だった。筆ペンにするには少し小さいので、手帳に挟む栞にしたら良いかもしれない。

 

「コレ貰っていいか?」

「……………」

 

俺が振り返って男に聞いてみる。すると、少しだけ長い前髪の隙間から見えるその、切れ長の美しい目が、少しだけ見開かれているようだった。

 

「まさか本当に巣作りを……?」

「そんなワケあるか!?真剣な顔で何言ってんだよ!?ほんといつまで鳥引きずってくるんですかね!?」

「勝手に持っていけ。……まぁ、立派な巣を作るといい」

「ちがう!なんか、良いなって思ったんだよ!色とか模様とか!手帳の栞にしたら……いいかなって」

 

 俺はこのラベルも、この羽も“良いな”と思った。けれど、きっと男にとっては、このラベルもフクロウの羽もゴミなのだろう。そう思うと、いくら酔っていたとしても、恥ずかしさが込み上げてきた。

俺は恥ずかしさを隠すようにクルクルと羽を回してみる。白い色の部分の羽がフワフワと風に揺れた。

 

その様が、柔らかくて、どこか優雅で。俺はやっぱり良いなと思った。

 

「悪くない」

「ん?」

「お前のセンス、悪くない」

「良いさ、別に今更フォローしてくれなくても」

 

男の言葉に、俺はその羽を手帳に挟んでみた。小さな手帳だ。少しだけ羽の先端が飛び出す。良いじゃないか。やっぱり俺の見立ては正しかった。

 

「その手帳、長いのか?」

「ん?これか?」

 

何気なく尋ねられた言葉に、俺はフクロウの羽を挟んだ姿の手帳に目を落とす。それは、俺が古市で偶然見つけた、グルフの革で作られた気に入りの手帳カバーだった。

 

「5年は使ってる。古市で買ったから、きっともっと古いだろうね」

「悪くないな」

「だから、今更フォローはいいって。アナタはもっと良いモノ使ってそうだ」

「外側のパッチワークが6種類の色味の変化を付けているのが良い。あと、グルフの革特有の血筋の跡が味を出しているな」

「…………やっぱりそう思う!?」

 

 思わず手帳を両手にカウンターに身を乗り出してしまった。

 

この手帳、いつどこで出しても、弟からは貧乏臭い、同僚からは古臭いなんて言われて不評の嵐だった。

俺は良いと思うんだけどなぁ、なんて思ってはいても周りの評価と自身の気持ちが一向に一致しなかった為、自分はきっとセンスが良くないんだと思っていた。

けれど、違った。

 

「俺、この手帳見た時、コレだって思ったんだ!良いモノ見つけたなぁって!6種類の色合いもそうだし、これ手帳の両側面でパッチワークの形が違うだろ!?これも良いなって思ったんだ!今言われて気付いたけど、この血筋も良いなぁっ!傷も魅力になるから、グルフの革って好きなんだよ!」

 

 俺は気分良く一気にまくしたてた。あぁ、喉が渇く。

そうだ。こないだ知ったばかりだが、話すというのは喉が渇くのだった。

俺はロックで出された木の酒に手をかけると、少しずつ喉の奥へと酒を運んだ。

 

さすが、ロック。喉が一瞬にしてカッと熱くなる。しかし、けっこう酔いが回ったせいもあって、最初ほど酒の味を鋭敏に感じる事はなくなっていた。

 

「……ありがとう。好きなモノ、分かってもらえて嬉しい」

「本当の事を言っただけだ」

「俺の好きなものを本当の事って言ってくれてありがとう。本当に大切にしてるんだ、これ」

「酔ってるな」

「あぁ、酔ってる。酔ってるけど、嬉しいのは、ほんとう」

「そうか」

 

 灯りと、香り。そして酒のラベル。フクロウの羽。気に入りの手帳。

 手元にある大好きで、大切なモノ達と、これから手に入れる予定の好ましい空間。

 俺の部屋は狭いけれど、俺の選択した好きな物で少しだけ飾る事にした。明日から、仕事だけど少しだけワクワクする。嬉しい。

 

自分の選んだ好きなモノに囲まれる生活は、きっととても幸せなのだろう。

 

「大好きなモノが手の中にあるってうれしいなぁ」

「…………」

「自分の大切を分かって貰えるのもうれしいなぁ」

「…………」

 

 

 俺は自分で自分が何を言っているのか、この辺りからよく分からなくなっていた。ただ、酒によるフワフワとした酩酊感のお陰で、それを恥ずかしいと思う判断力すら最早なくなっていた。

あるのは、何かに包まれるような、暖かな多幸感だけだ。

 

「しあわせだなぁ」

「……酔い過ぎだ。水を飲んだらもう帰れ」

 

 目の前に出された水。注がれたグラスは飲み口が外側に少しだけ反り返っており、随所に気泡が散りばめられていた。それは、まるでカウンターの暗い光を吸い込んで、夜空のようだった。

 

「よぞらみたいで、きれいだ」

 

 俺の言葉にカウンターから「ふっ」と小さな笑い声が聞こえた。なにか、おかしなことを言っただろうか。そう、俺がグラスから顔を上げると、そこには口元に薄く笑みを浮かべた男の顔があった。

 

「立派な巣になると良いな」

「せめて部屋って言って」

 

あぁ、俺。ここに来て一回も前世の話をしていない。

 酒場に来て、こんなに喋って、こんな事が今まで一度だってあっただろうか。

 

——いや、初めてだ。

そう思った時には、俺は口を開いていた。

 

「なぁ」

「なんだ、まだ何か知りたいのか」

 

 手元に置かれた夜空のようなグラスに注がれた水に一口だけ口を付けた。少しだけ、口の中がすっきりした気がする。

 

「名前、おしえて」

 

 そう言った俺の言葉に、男はなんとも言えない顔で目を瞬かせたのであった。