「明日から数日間、店を締めるぞ」
「へっ!?なんで!?」
ウィズの言葉に、俺は思わず酒を口から吹き出すところだった。それを寸でのところで思い留めると、足の細いグラスの中で激しく揺れる酒の波を宥めるように、静かにグラスをカウンターへ置いた。
店を閉めるとは、それは一体何事だ。
「仕事で南方に行く用事がある」
「仕事ってコレじゃないの!?あ!仕入れ!?」
「お前……」
呆れたような表情で俺の方を見てくるウィズに、俺は何でそんな顔をするのかサッパリわからなかった。ウィズはその手にもっていた、俺と同じく足の細いグラスに入った酒に一口だけ口をつけると、言葉を選ぶように視線を彷徨わせる。
「まさかとは思うが、アウト。お前、俺の本業がこの酒場だと思っているのか?」
「えっ!違うの?」
「どうやったら、俺はこのお前しか客の居ない店で生計を立てていけるんだ」
「はっ!」
確かに、言われてみればそうである。むしろ、俺しか客が居ないという事は、俺が来る以前は、客は限りなく0だったということだろう。そういえば、以前そんな話をしたような気がする。
「あの、ウィズさんのお仕事はなんでいらっしゃるんでしょうか?」
俺は恐る恐る尋ねてみた。
俺の、限りなく真実に近い予想によると、このウィズという男には、かなりの稼ぎがある。なにせ、身に着けているもの一つ一つが俺のような一般庶民とは訳が違うのだ。今、身に付けている上着一つとってしても、ウィズの体のラインを綺麗に表している事から、仕立て屋に頼んで作らせた物である事は明白だ。
そして、極め付けはこの店。客の居ない店をここまでこだわりを持って維持しているというのは、最早金持ちの道楽としか言いようがない。
少し考えればわかりそうなこの事実を、俺は今の今まで一切考えてこなかった。
俺は、本気でウィズはこの酒場だけを呑気に経営しているものだとばかり思っていたのだ。
「……そうだな。お前は俺の仕事を何だと思う?」
「質問を質問で返すパターンか」
ウィズがどこか楽しそうに尋ね返してくる。その問いに、俺はグラスに僅かながら残っていた酒を一気に飲み干した。
この酒、中々に独特な風味のある酒だった。ただ、独特ではあるが、色味は美しい琥珀色で香りはどことなくフルーティな部分もある。うん、気に入った。
——-さて、ウィズの本業か。
「この酒、実は曹達という気泡を含んだ水で割ると、また違った味わいになる」
「なんだと!それはもちろん頂かねば!」
「曹達は氷雪機の中にある小さな樽に入っている」
そう言って当たり前のように自身の空になったグラスを差し出してくるウィズに、俺は最早突っ込む事なくグラスを回収し、手早く洗う。
気泡の入った水、という事は結局この酒を水で割る事に変わりない。それならば、多少仕上がる量は多いだろうから、グラスは変えた方が良いだろうか。
「できればグラスはそっちのクリスタルグラスを使え。曹達で割るからな、量的にも見た目的にも豪華になるぞ」
「わかってらっしゃる」
俺はズラリと並べられたグラスの中から、ウィズの言うクリスタルのグラスとやらに手をかけた。ソレは見た目に反して余り重さはなく、ウィズの言う通り確かにグラスの在り様だけで十分豪華だった。
「ウィズの仕事……」
「お前には、俺が何で生計を立てているように見える?」
「肉体労働でない事は分かる」
「まぁ、そうだな」
ウィズのどこか面白がるような返答に、俺はグラスをカウンターに置きながら、しばし考えてみる。もちろん、手は止めない。酒は一刻も早く飲まねばならないからだ。
「そうだなぁ。ウィズは賢いから、頭を使った仕事な気がする」
「ほう」
「でも、夜にここに居るくらいだ。昼夜を問わず働くような仕事でもないとすると」
そこまで考えて、俺はハタと思いついた。
「医者か!それか、どこかの領地を治める貴族とか!」
ともかく金がありそうな、その2つを上げてみる。
どうだ?正解はあったか?そう、俺が酒瓶を片手に顔を上げてみると、そこには少しだけ驚いたように目を見開いてこちらを見てくるウィズの姿があった。
「もしかして、正解だった?」
「……い、いや」
「どうなんだよ?あ!もしかして、どっちも正解?ウィズ、貴族で医者っていう物凄い奴だったりする?」
この驚きようからするとあり得るかもしれない。絶対当てられないと思っていたからこそ、ウィズも俺にこうして面白がって当てさせようとしたのだろう。
俺はウィズの戸惑う姿に内心正解を確信すると、そのまま手を動かして先ほどの酒をグラスに注ごうとした。
そう言えば、どのくらいの分量が良いのだろう。
「ウィズ、この酒って何対何くらいで割ったらいいんだ?」
「…………」
「ウィズ?」
返事のないウィズに、俺は一旦酒瓶をカウンターに置いた。一体どうしたのだろうか。
「どうした?ウィズ」
「……いや、何でもない。酒は、そうだな。酒1の曹達3で作ってもらおうか。霜氷を入れるとして、酒は気持ち多くてもかまわない」
「了解」
俺はウィズの言う通り、霜氷を入れたグラスに酒とそおだと言う、気泡を含んだ水を順に注いでいった。グラスだけでも豪華な様相が、霜氷と気泡を含んだ水の組み合わせによって更に豪華絢爛になっていく。パチパチとグラスの上からは音を立てて、小さい飛沫が上がる。
なんと素晴らしいのだろう。酒がこんなに踊るように弾けるところを、俺は初めて見た。
「はい、ウィズの分!」
「あぁ」
「で?」
「で、とは?」
「ウィズの仕事だよ!正解なんだろ?」
俺は未だにパチパチと飛沫を上げる酒を片手にウィズに詰め寄った。正解を当てられたからって流そうなんてそうはさせない。
その瞬間、ウィズはフッと表情を緩めた。
「どちらもハズレだ」
「えっ……あの意味深なリアクションの意味はもしかして」
「意味はない」
「意味深な意味のないリアクション……」
「貴族で医者、悪くはない」
「えっ?近いってこと?」
「近くない」
「何なのこのやり取り!?」
俺の反応に、ウィズは最早声を上げて笑い始めた。普段の上品に小さく笑うウィズからすれば中々に珍しい姿だ。もしかして、先ほどの独特な風味の酒は、なかなか度数が強かったのだろうか。あり得る。俺も今日は少し酔いの回りが早い気がする。