40:命名

 

 

         〇

 

 

 

「…………お前」

「どうだ?可愛い子だろ?」

 

 部屋に到着した途端、アボードのなんとも言えない視線が俺に向かって飛んできた。そして、俺の視線の先には、可愛いフクロウ。

 

 先ほどまで寝ていたのか、俺の帰宅で目を覚ましたフクロウは未だに目をしょぼしょぼさせている。

狭い部屋の端と端に木の棒をしっかり突っ張らせて作ったオリジナルの止まり木は、フクロウにとってちょうどよい場所となっていた。ウィズの店の止まり木よりも広いので、たまに左右に動いて遊んで居る。

 

「……はぁっ!かわいい!」

 

 あぁ、なんて可愛いんだ!いやはや、寝起きのフクロウの可愛さ足るや。今この瞬間のフクロウを写出砂で描画しなければ!

 

「アボード、ちょっとここで待ってろ。絶対動くな」

「…………お前」

 

 入口で立ち尽くすアボードを横目に、俺は横掛けにしていた鞄の中から急いで写出砂の瓶と手帳を取り出した。パラパラとページを捲り、前回描画したページの次のページを片手で開く。

 

 あぁ、早くしないと。このしょぼしょぼの目のフクロウは刻一刻と変化して、次の瞬間には終わってしまうかもしれないのだ。

 

 俺は瓶から一つまみの写出砂を取り出すと、手帳の上へサラリとふりかける。そして、そのふりかけた砂に人差し指で触れながら、俺はジッと可愛い仕草をするフクロウを見つめた。

 

「かわいい……!」

「…………お前」

 

 次の瞬間、手帳の上にはシパシパと目を瞬かせるフクロウの鮮明な姿が手帳に描きだされていた。何回やってもこの写出砂というのは素晴らしい代物である。色、形、そして動き。それら全てを鮮明に描き出せるのだから。自分にマナが無くても、これが出来るのは本当にありがたい。

 

「ほら!見てみろ!かわいいだろ!」

「…………」

 

 目の前にフクロウが居るのにも関わらず、俺は先ほど描画した眠たげなフクロウの砂画をアボードに見せてやる。それに対し、アボードはへいへいと興味なさ気に頷くと、玄関で靴を脱ぎ、さっさと部屋に入って行った。

 

「お前見てると安心するよ。いや不安にもなるけどな」

「なんだよ急に」

「まぁ、お前はそのままで居ろよ」

「意味がわからん」

 

 俺は以前のように部屋の灯りを調節しながら、アボードの訳の分からない言葉を流した。今回は前回より暗めだが、オレンジ色の色味を強めにしてみる。これは、ウィズの酒場のテーブル席の灯りの色味を真似したものだ。

 

 部屋の香りは前回と同じ北部の針葉樹の香り。これは気に入ってるので変えない。多分、アボードもそうだと思う。

 

「ってか、なんで急にフクロウなんて飼い始めたんだ?」

「えっ!?」

「っな、なんだよ?」

 

 今や目をパッチリ開けたフクロウは、酒とツマミを取り出すアボードをジッと見つめている。しかし、俺は先ほどのアボードの言葉がはっきりと引っかかった。

 

「なんでアボードがフクロウの名前知ってんの?まだ教えてないよな?」

「はぁ?お前何言ってんだ。いや、それフクロウだろ?」

「いや!まだアボードにこの子の名前、教えてなかっただろ!なのに、どうして!?」

「は?」

「は?」

 

 俺達は互いに顔を見合わせて目を瞬かせた。フクロウと違って俺達の瞬きなど可愛くもなんともない。どうにもお互いの言葉が噛み合っていないが、これは一体どういう事だろうか。

 

 しかし、次の瞬間、それまで怪訝そうな顔で俺を見ていたアボードが大声で笑い始めた。

 

「ぶはっ!もしかして!お前コイツの名前がフクロウだと思ってたのか!?」

「えっ、違うの?」

「ちっげぇよ!フクロウっつうのは、この手の鳥類の分類名っつーか!種族名っつーか!ともかく俺達を“にんげん”っつってるようなもんだぜ!お前ばっかだな!?」

「……え、え?えぇぇ?」

「あはははは!つれぇ!腹痛ぇ!面白過ぎる!」

 

 そう、腹を抱えて笑い始めたアボードに、止まり木に止まって大きな目でこちらを見ているフクロウを見つめた。やっぱり、かわいい。可愛いけど!

 

「もしかして、キミ。名前なかったの?」

「やべぇ!これ今すぐ誰かに言いてぇ!」

 

 隣で大笑いするアボードなんて今はどうでも良い。よく考えてみれば確かにそうだ。

そうなのだ。最初の『これは何?鳥?』という俺からの問いに対し、ウィズはきっとこの鳥の固有種を告げたに違いない。違いないのに、俺はウィズが余りにもこのフクロウを普段から“フクロウ”と呼ぶので、てっきり名前だと勘違いしていた。

 

「……ウィズのやつ」

 

 確かに、あの店に看板も名前も付けない男の事だ。きっと名前なんて付けようとも思っていないに違いない。持っている膨大な知識の量と丁寧な性格とは裏腹に、そういったところは驚くほどガサツだ。

 

「あぁ、もう。ちゃんと名前を付けてやらなきゃ可哀想じゃないか」

「フクロウでいいじゃねぇか!っくくくく」

「お前、いつまで笑ってるつもりだよ!」

「お前があんまりにも間抜けなもんでな!あー、久々にここまで笑ったわ」

 

 知ってしまったからには、もうフクロウなんて呼ぶのは気が引ける。俺だって他人から「おい、ニンゲン!」なんて呼ばれたら良い気はしない。かといって本当の飼い主でもないのに勝手に名前を付けてしまうのもどうかと思うし。

 

「よし、今から呼ぶのはキミの仮の名前だ。店に戻ったらちゃんとウィズに付けてもらおうな」

「へぇ、このフクロウは預かりモンだったか」

「モノじゃない!さっきからお前はこの子に失礼だ!」

「ったく、めんどくせぇ。アホみたいな勘違いをしてやがった癖に」

 

 ひとしきり笑い終えたアボードは袋の中から紙製のグラスを袋から取り出し始めていた。その隣で、俺はフクロウとジッと見つめ合いながら、名前を決めるべく頭をフル回転させた。

 いくら仮の名とは言え、しっかりと愛情を込めて呼びたい。キミの事が好きだよと、名を呼ぶ度に伝えていきたいのだ。

 

「……ファー。キミの名前はファーだ」

「またそんな気の抜けた名前を。お前って本当にセンスねぇな」

「なんだと!この素敵な響きがお前に分からんのか!」

「ぜんっぜん、分からん」

 

 ファー。なんとなく浮かんだその名前。意味は自分でもよく分からないが、この子の目を見ていたら、なんとなくそう呼びたくなったのだ。

 

「ファー」

「ッホ、ッホ、ッホ」

 

バサバサバサバサ!

 

 名を呼んだ瞬間、フクロウが、いやファーが声を上げながら羽ばたいた。まるで喜んでいるかのようなその姿に、俺は何度も名を呼ぶ。

 

「ファー、ファー、ファー。キミの名前だよ」

「ッホッホッホ」

「……本人が気に入ったみたいで、良かったじゃねぇか。いや本人じゃねぇか。本鳥?あぁぁ、もういい!クソガキ!いつまでバカやってんだ!酒盛り始めんぞ!」

「っは!待って待って!俺も飲むから!」

 

 俺はファーの眉間をそっと一撫でしてやると、既に足元で酒とツマミが豪勢に並んでいる部屋に心を躍らせた。

 途中でファーに夜ご飯もあげなければ。

 今日はアボードと俺、そしてファーの3人での初の酒盛りだ。悪くない。悪くないどころか、とても楽しい。

 

 

「アボード、ファー。かんぱい!」

「ほい、乾杯」

「っほっほっほ」