「ファー、今日でキミとは一旦お別れだ」
俺は止まり木の上で大きな目をきょろきょろさせるファーに、なんだかとてつもない寂しさを覚えてしまった。仕事帰り、この部屋でファーが出迎えてくれる事はもうないのだ。
——いかん。
感傷的になり過ぎて思わず泣いてしまいそうだ。いや、実際今少し右目からだけ涙が出た。なんで、右目だけ。
「ファー、一旦出かけてくるから、ちょっと待っててな。夕方になったら、一緒にウィズのところに帰ろう」
ファーの眉間を静かに撫でてやる。すると、やっぱり気持ちが良いのか、ファーはうっとりとした表情をみせると、そのままいつもの解けるような笑顔を見せてきた。
まぁ、撫でられて眠くなっただけなんだろうけど、そんな事は関係ない。これは可愛すぎて本当につらい。
思わず左目からも右目からも涙が出てしまった。
「また、ウィズが遠くに行く時は、俺の家に来るんだよ」
そう、まるで自分自身に言い聞かせるようにファーに言って聞かせる。別にファーはこの家から出る事について何も思っていないかもしれないが、言わねば気が済まなかったのだ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
俺はファーにそっと手を振ると、普段なら昼寝一辺倒で終わってしまう休日の昼間にソッと部屋を出た。
そう、今日はアボードとの約束で、騎士宿舎に行かなければならない。俺みたいな、単に趣味で酒場を渡り歩いているような人間をも頼る、可哀想なアボードの同僚に、俺では何も力になれない事をハッキリ伝えてやらなければ。
「そういえば、最近、全然酒場巡りしてないや」
—–まぁ、いいか。
俺は職場用の横掛けバックをよいしょと掛けなおすと、意気揚々と一人きりの寮を飛び出した。日がこんなに高い場所にあるのを見るなんて久しぶりだ。いや、本当に俺は真昼間に外を歩き回っているんだな。
昼間に街へ行くのも、まぁ悪くない。
さぁ、これからアボードの居る騎士宿舎へと行こうではないか。
〇
「さて、時間もあるし買い物でもしていくか」
俺は久々の明るい街並みに胸を躍らせると、いくつかの店を見て回る事にした。部屋の灯りの種類をもう少し増やしたいので色砂も買いたいし、あと一種類くらい部屋の香りも種類を増やしたいので香油も買いたい。
いつもなら仕事帰りに、どこか急いで買うモノ達も今日なら多少はゆっくり見て回る事が出来る。
「写出砂も……」
言いかけて、俺はファーが今日にはウィズの所に帰る予定であることを思い出した。写出砂を買っても、もう描画したい相手は家から居なくなる。そう思うだけで滲む涙に、俺は勢いよく首を横に振った。
別にファーとは今生の別れではない。なんなら、毎日ウィズの所に飲みに行けば毎日会う事だって出来るのだ。
「……それに、ファーだけじゃなくて他にも色々描画できるし」
そう、俺はファーの描画を残す為に買っていた筈の写出砂が、実はファーを抜きにしても使えるのではと思い始めていた。
ちょうど、アボードが飲みに来た日。あの日、実は酒を飲みながら良い気分になった俺達はファーを含め3人一緒に描画を楽しんでしまったのだ。
マナの体内保有量がほぼ皆無の俺には出来ないが、潤沢にその身にマナを持つアボードなら、離れた場所からでも写出砂に対し描画を施せる。俺は砂に触れ、自身の目で見たものを描画する事しか出来ないので、それはとても羨ましい。
ただ、普段から写出砂を買って楽しんで居る人々も、そういう楽しみ方をしているようなので、特に凄い技術ではないのだと思う。俺が、稀に見る程マナを持たないだけだ。
「俺、変な顔してるなぁ」
鞄からお気に入りの手帳を取り出して中を見てみれば、ファーを真ん中に両脇に俺とアボードの姿が鮮明に描写されている。
「ははっ」
真ん中では早々に寝てしまったファーが笑顔の寝顔を見せ、その隣ではアボードが酒に酔った顔で満面の笑みを浮かべている姿。
数ページに及ぶあの日の記念描画をパラパラと捲りながら、俺はあの楽しかった夜を思い出し思わず笑ってしまっていた。どれもこれも俺が非常におかしな顔をしている。
「描画するときの顔をもっと練習しなきゃな」
そう、俺が独り言ちた時だった。