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無事にトウに会う任務を終えた俺は、急いでウィズの酒場まで走っていた。
否、俺には可愛い可愛いファーが一緒に居る為、走るなんて乱暴な動作は出来ない。気持ちは急ぎつつ、その足はゆっくりと店を目指す。
「急げ、急げ、ゆっくり急げ」
外はもう真っ暗だ。
そう、思いの外トウとの対面に時間を食ってしまった俺は、あの後時計を見て慌てて寮に戻ったのである。寮に戻り、ウィズから借りていた移動用の、傍らに下げて移動させるための箱の中へ、ファーには入ってもらった。
「時間よりも早く行くからな!」と意気揚々と宣言していたにも関わらず、結局店に到着する時間は、いつもと同じような時間になってしまったではないか。
ウィズの事だ、俺があんな事を言ってしまったせいで、きっといつもより店を少し早めに開けてくれていたに違いない。
あぁ、とんでもなくバツが悪い。
「店についたら謝らないと」
まぁ、以前のように「出て行け」なんて冷たく言われたりはしないだろう。しかし、俺はいつもウィズの優しさを素通りしてしまう。やっぱり、予定があるときに不測の予定は入れるべきじゃなかった。
「ウィズ、もう飲んでるかなぁ」
少しの不安が過る。しかし、俺の足取りは軽やかだった。久々にウィズに会える。ウィズとまた酒が飲める。
俺にとってそれはやはり、大いなる楽しみなのだ。この酒の時間の為に、俺は今日自分の中にシコリとして残りそうな事は、キチンと片付けてきた。
フラフラのおじさんも助けたし、アボードの同僚であるトウにも伝えるべきことは伝えた。きっとトウにとっては、まだまだ終わった事ではないのかもしれないが、俺としてすべきことはもうない。
それに別れ際には『今日はありがとう。アウト』と、インではなく今の俺の名を呼んでくれた。トウの気持ちはどうあれ、相手への礼儀として俺の望む方向は向いてくれているようなので、これから俺も、酒場に行く時はインっぽい奴がいないか探しておくよと伝えておいた。
まぁ、その時のトウの表情はかなり複雑なものだったが。
「そういえば、ウィズって神官だったよな。インって奴の事、ちょっと相談しておいてやろうか」
そう、俺がポツリと呟いた時、俺はちょうどウィズの店の前に立っていた。微かだが、扉の向こうの階段にオレンジ色の灯りが見える。あぁ、なんて懐かしい。そして、やっぱり素敵な酒場だ。
俺は最初にこの店を見つけた時のような、どこかワクワクした気持ちのまま店の最初の扉を開いた。片手に持っているファーの移動用の入れものに、俺はソッと口を近づけ「ファー、おうちに帰って来たよ」と囁く。
入れものに開いている複数の丸い穴を覗いてみれば、そこには部屋を出る時同様、静かに止まり木に止まってこちらを見ているファーの姿。
「よく我慢したね、えらいよ。ファー」
「っほ」
俺は店まで続く階段を一段一段踏み外さないようにゆっくりと歩いて降りる。俺が一人で階段から落ちるのは、まったくもって構わないが今はファーが居る。俺が落ちたらファーも落ちる事になる。そんな事になったら大事だ。
いつもよりも、細心の注意を払はなければ。
「よし」
階段を最後まで降りた。いつものように店に響く弦楽器の音楽が、扉の向こうから微かに聞こえてくる。俺は店の入り口に手をかけると、一気にその扉を開いた。
「ウィズ、遅くなってごめん。ちょっと予定が長引いちゃってさー」
戸を開けると同時に、言い訳が口を吐いて出ていた。正直言うと、最初に約束を破ってしまった時の、あの凍るようなウィズの目が、俺にとっては地味にトラウマなのだ。
あぁ、ウィズが怒っていませんように!
ただ、店の中に入っていつも座るカウンターの方を見た瞬間。そこには予想外の光景が広がっていた。
「あれ?」
いつものようにカウンターにはウィズの姿。そして、珍しい事にそのカウンターには一人の男が座っていた。そう、俺以外の客が、この店に居たのだ。
俺はその事実に驚愕し過ぎて、思わず入口の前で固まってしまった。そんな俺に、カウンターに立っていたウィズが何気ない様子で此方を見てくる。
「アウトか」
「アウト?」
しかも、同時にカウンターに座っていた客と思しき男性も訝しむような声で俺の名を口にした。その瞬間、俺の時は止まった。完全に止まった。その声は、とてつもなく聞き覚えがあったからだ。
「……トウ?」
俺が思わず声の主の名を呼ぶと
それと同時に、振り返った男も俺を見た瞬間、完全に固まっていた。
そう、客としてウィズの前に座っていたのは、先ほどまで騎士宿舎の談話室で共に言葉を交わしたトウだった。
——なんで、トウがここに。
「なんだ?アウト、フロムと知り合いか?」
「……フ、フロム?」
「あぁ、そうだ。今はトウという名だったな。どうした?フロムまで」
ウィズは今確かに言った。トウの事を、フロム、と。その瞬間、俺の心臓は早鐘のように鳴り響き、背中には大量の冷や汗が流れるのを感じた。
そして、思わず力の入らなくなった手に必死に「力を入れろ!」と命令を送る。でないと、ファーが落ちてしまう。どんな状況であっても、それだけは許されない。
ただ、片手では不安になってきたので、俺はファーの入っていた入れものを両腕で抱えるように持ち直した。
——–落ち着け、落ち着くんだ。俺!
「イン!」
それまで、座っていたトウが俺の顔を見て叫ぶ。いやだから、俺はインではないとあれほど言っただろうが!