50:無

 

「俺は、マナの体内保有値が無だ」

「……っ」

 

 

 俺の言葉にトウがまたしても息を呑むのが分かった。そう、前世の記憶の有無という曖昧で不確かな事実を、どうやって確認し火あぶりなどという非人道的な行いを歴史上で行う事ができたのか。

 

「俺には一切のマナがない」

 

 前世の記憶と体内保有のマナの量には相関関係にあるからだ。前世の記憶がある者は必ず腹の下、下腹部辺りにマナを貯蔵している。人によりその量には天と地ほどの差はあれど、そのマナは前世から引き継ぐものである事は、ビヨンド教も研究の結果事実として発表している。

 

 すなわち、体内にマナを一切持たない俺は、前世の記憶を持たなくて当然なのだ。

そう、俺はこの世でも珍しい人生1回目の人間という事になる。

 

「それに、これは感覚的な話だから伝え辛いんだけど」

「……あ、あぁ」

「俺の中には、俺以外、俺が居ない……それが、ハッキリと分かるんだ」

 

 言いながら俺自身、意味が分からない事を言っているなと呆れてしまう。ただ、本当に俺の中では先ほどの言葉が全てなのだ。これはきっと、目の前のトウにも、弟であるアボードにも分からない感覚だろう。

 

逆に言えば、前世の記憶を持つ者の感覚が俺には分からない。けれど、予想するに前世と現世は一本の地続きの道のようなモノなのでは?と俺は思っている。一本の道の途中から、滑らかに前世の自分と現世の自分が変化するような感覚。

 

 だからこそ、人々は自身が体験した事のない前世の記憶や技術を、今世でも難なく発揮できるのだろう。まるで昔を思い出すように前世を懐かしむし、そのせいで前世と今世の記憶が曖昧になり迷子になるような人物が現れる。

俺は昼間に出会った初老の男性を思い出し、小さく溜息を吐いた。

 

「そんな訳で、俺は前世のない人間だ。トウ、キミの友人であるインじゃないんだ。ごめんな」

「……なぁ、もう一ついいか?」

「あぁ、いいよ」

「あの昔話はどうやって思いついた?」

 

 問われて俺は、少しだけ考える。作ったのは確か10歳の頃だった筈だ。とりあえず、周りと違う事は危ない事だと気付いた子供の俺が、ぼんやりと思いついたままに考えた。

 ただ、それだけだ。どうやって思いついたかなんて、そんなの俺にすら分からない。

 

「それは、あんまり覚えてないんだ。ほんと、子供の頃にテキトーに考えた話だから」

「そうか……」

 

 事実は小説よりも奇なり。

 いくらその言葉を持ってしても、確かに偶然とは言え自分の過去と同じ話をしていたら、疑いたくもなるだろう。この点においては、俺自身も不可解な点である事は確かだ。

 

 けれど、どうしても俺からすれば「凄い偶然もあったもんだな!」程度で片付けてしまいたくなる事実である事には変わりない。なにせ、俺は俺の中に俺以外を感じた事がないからだ。それだけは、圧倒的事実である。

 

「俺の事も、オブの事も覚えていないか?」

「あぁ、まったく」

「妹のニアの事も?」

「あぁ、俺の兄弟は今も昔もアボードだけだよ」

 

 俺の言葉にトウは何かを考えるように俯くと、小さく息を吐いた。ワザとではないとは言え期待を持たせるような事になってしまい非常に申し訳なかったと思う。しかし、これが事実だ。受け入れてもらうより他ない。

 

「オブに……会ってはくれない、よな?」

「トウ。そのオブって奴は、キミよりインに会いたがっていたんだろ?だったら下手に期待を持たせるような事はすべきじゃない」

「……そうだよな」

 

 俺の言葉に自嘲するような笑みを浮かべたトウに、俺はやはり一握りの罪悪感を抱かずにはいられなかった。

 俺は一つも悪くない。そう、確かに思えるのだが、それにしたってあの嬉し泣きをしていたトウの表情をここまで暗くしてしまったのは、俺だ。。

 

「インって奴、見つかるといいな」

「……その、悪いが、俺はまだ、気持ちの整理がつかない」

「まぁ、そうだろうね」

「俺は……まだ、キミをインじゃないかと思っている」

 

 トウは先ほどまでの自嘲するような笑みをスッと消したかと思うと、今度は意思の強い目でしっかりと俺の方を見て来た。これは、俺がどう言って聞かせようとも、トウの想いは止められないのだろう。

 

正直、迷惑でないと言えばウソになる。いや、ハッキリ言おう。迷惑だ。

 

けれど、相手の想いはその相手だけのモノで、俺がどうこう言える筋合いでない事も確かだ。そう、俺がトウにどう返事をしたものかと言いあぐねていると、それまで黙っていたアボードが突然口を挟んで来た。

 

「トウ、そうやってコイツに思い入れて、最後に傷つくのはお前だぞ。コイツは確かにガキの頃から、本当にただのガキだった。今でこそこうして大人みたいなナリしてるけど、本当に子供の頃はただのガキだったんだぞ」

「アボード。お前の言いたい事は、分かる。けど、傷つくと分かっていても、自分の心すら手綱を握れない。少しの希望にすら縋らずにはいられない。俺はまだまだ未熟者なんだよ」

「まったく。お前が良いなら、俺は別に良いけどよ。一つだけ約束しろ」

「なんだ」

 

 目の前で交わされる、騎士同士の会話。少しだけピリついてるように感じるのは、やはり強い意思を持つ者同士の真剣な会話だからだろうか。

 俺は自分が渦中の話にもかかわらず、そろそろ気持ちは他人事のようになっていた。

 まぁ、渦中とは言えインではない俺からすれば、他人事なのはある意味間違いないのだが。

 

「お前が傷つくのは自己責任としても、だ。コイツがお前のせいで傷つくのはあっちゃいけねぇ。それは、分かるよな?」

「っ!」

 

 思いがけずアボードから飛び出してきた言葉に俺は、思わず目を見開いてしまった。あの、昔から傍若無人の限りを尽くしてきたアボードが俺の事を思ってこういった発言をするなんて、予想外も予想外。俺は夢でも見ているのだろうか。

 

いや、しかし意外だったのはコレだけじゃない。

先ほど俺が「俺の兄弟は今も昔もアボードだけだ」と言った時に、当のアボードが何も茶々を入れて来なかった。てっきり俺はあの時も「兄貴面するんじゃねぇ!」と罵声が飛んでくるのを覚悟で言ったつもりだったが、あの時もアボードはただ黙って俺の言葉を聞いていた。

 

「あぁ、分かっている。アボード。俺はキミの家族を傷つけたりしない。約束する」

「なら、もう好きにしろ」

「あぁ、好きにさせてもらうさ」

「あー、なんだ。トウ、まだこれからも俺に出来る事があるなら何でも言え。お前は本当に良い奴だ。お前みたいなのは、幸せになるべき男なんだからな」

「ははっ、アボード。お前は本当に……ありがとう」

 

 その瞬間、先ほどの張りつめたような緊張の糸が、フッと緩むのを感じた。

 トウは少しだけ涙ぐみつつ、アボードと握手を交わしている。何をどう生きていれば、同僚同士でこんな爽やかな握手を交わし合える仲になれるのだろう。

 

甚だ疑問である。疑問ではあるが、俺としてもアボードの中々見る事の出来ない一面を見れたので、ひとまずは良しとしようではないか。

 

「アボード」

「なんだよ」

 

 俺がアボードを呼べば、握手を終えたアボードがどこかバツの悪そうな顔で俺を見てくる。からかってやっても良いが、そうするときっと今の空気では容赦なく拳が飛んでくる事は目に見えているので、ひとまずそれは止めておく。

 

「まぁ、今度は部屋の窓掛を新しいのに変える予定だからさ」

「……おお」

「いつでも遊びに来いよ。また、一緒に酒でも飲もう」

 

 俺には前世はない。

だから、こうして目の前に立つ、俺よりも体の大きく、そして度胸も経験もある男だとしても、アボードは俺のたった一人の“弟”だ。今も昔も俺の兄弟はアボードだけ。あれは、心の底から口を吐いて出た、これからも変わらない事実。

 

「まぁ、気が向いたらな」

 

 そう、俺の可愛い可愛い弟は、まったくもって可愛げのない返事を俺に向かって放ったのであった。