67:交換条件

 

          〇

 

 

 

「それで、アウト。お前はあの絵描きのモデルを引き受ける事になったのか?」

「そうなんだよ、なんで俺なんか描きたいんだろうなぁ」

 

 俺とウィズは肌寒い夜の街を、二人並んで歩いていた。もう季節は冬間近だ。そのせいか、夜空の空気はすんで、この明るい皇都の街中ですら、星がはっきりと見える。

 おまけに今日は月もはっきりと見える。少しだけ欠けたソレは、きっとあと数日もすれば満月になるだろう。

 

 こうしてウィズと、あの酒場ではない場所を共に歩いているなんて不思議だ。

 

「あの画家、アズと言ったか。彼はその世界では有名な画家だ。なにせ、教会本館の壁画も彼に依頼して描いてもらったものだからな」

「っへ!?」

「しかし、彼は仕事の依頼に関しては気難しい事で有名だ。いくら金を詰まれても、彼は自分の良しとした仕事しか絶対に受けない」

 

 アズの言葉に、俺は先ほど笑顔で別れたアズの姿を思い出した。共に2度、酒を飲んだ。あの優しくも思慮深いアズの姿のどこから“気難しい”という要素を取り出せようか。

 

「うそぉ」

 

 俺は思わず呟くと、とっさに鞄に仕舞い込んでいた手帳を取り出す。その手帳の最初のページには、アズから渡された名刺が挟まっていた。

 荘厳な城とそれを囲む湖の風景。その名刺はやはり名刺としてだけでも、美しく完成された作品のようだった。

 

「そんな凄い人が、なんで俺なんか描きたがるんだ?」

「さすがの俺も、他人の心までは分からん。物好きなんだろうさ」

「アズは物好きなのかぁ」

「そこを素直に納得しないでくれ」

 

 俺は名刺を再び手帳の最初のページにあるポケットに落とさないように挟み込んだ。来週の休みから、少しずつ絵のモデルとしてアズのアトリエへと通う事になった。

あぁ、どんな格好で行けばいいのだろう。私服なんて数える程しか持っていないのに。

 

「俺としては、彼にアウトを描きたいと思わせるに至った、お前の落書きとやらを見せてもらいたいがな」

 

 そう、いつものように口元に薄く笑みを浮かべているウィズに、俺は勢いよく首を振った。

ムリムリムリムリ!この手帳の絵はアズだからこそ見せられたのだ。なにせ、あの絵の中にはアズは居なかった。

けれど、この手帳の中には俺の描いた下手くそなファーも、それに―――。

 

「だっ、だめ!絶対にダメだ!無理!下手だし!落書きだし!」

——-ウィズも居るし!

 

 俺はもう、自分の顔が盛大に赤くなっている事をハッキリ自覚しながら首を振り続ける。ともかく、何かあってはいけないので手帳はすぐに鞄に仕舞った。こんなのを見られたら何を言われるか分かったものではない。

 

「そこまで隠されると気になるんだが。お前の事だ、どうせ好きなものを並べて描いたんだろう」

「っ」

「ファーに、酒に、そうだな……あと、」

——俺でも描いたか?

 

 そう、冗談めかして笑うウィズに、バカな俺は笑う事が出来なかった。はっきりと突かれた図星に、そこからは体中に滝のような汗が流れ尽くしていった。

 図星、図星。あぁ、今日は星が綺麗だ。

 

 俺がそう、熱くなる頭で現実逃避をしかけた時だった。

 

「っはは、まさか。本当にモデルにされているとはな!」

 

 ウィズが声を上げて笑った。お陰で、俺は顔と体中が沸点まで急上昇し、そのまま熱を保ち下がらなくなってしまった。熱い、熱くて仕方がない。

 

「……み、見せないぞ」

「“神の酒”と今日の飲み代を全て此方で持ってもいいぞ?」

「ぐっ」

「さぁ、どうする?」

 

 そんな面白がるようなウィズの言葉に、俺は勢いよく首を振る。ここで首を縦に振ってしまってはウィズの思うつぼだ。神官のウィズは、きっと俺の飲み代を持つ事など、痛くも痒くもないのだ。そんなウィズにとって有利な引き換え条件など呑んでやるものか!

 

「いいっ!自分で払う!ちょうど給金も出たばかりだからなっ!」

 

 俺は余りの気恥ずかしさに、ウィズから顔を逸らして言い放った。どうせ逸らしたとしても、俺の耳も首もどこもかしこも赤い事だろう。

 

「そうか。それは残念だ」

「全然、残念なんて思ってない癖に!」

「そんな事はない。さっきチラッと見えたお前の絵で俺を描いたら、俺は一体どういった風に描かれるのか心底気になって仕方がないからな」

「~~~~っ!」

 

 また見られていた!どうして俺はこうも学ばず、注意力が無いんだ!

 俺は、ウィズから顔を逸らしたまま、思わず片手で顔を覆った。唯一の救いと言えば、チラリと見られていたのがウィズをモデルにした絵ではなかったという事だろう。

 多分、一番たくさん描く練習をしたファーの絵を見られたに違いない。

 

「死にたい……」

「この程度の事で死なれたら困るな」

 

そう、一瞬だけ声のトーンが落ちたウィズに、俺が思わず振り向こうとした時だった。

 

ぽん。

 

 俺の頭に大きな手暖かさが触れてくるのを感じた。あれ、これは。

 

「よし」

「なっ、なに?」

「今日はちゃんと髪を乾かしているみたいだな」

 

 あぁ、髪の事か。

 俺の頭に触れるウィズの手。その手から通じてくるウィズの暖かさ。そして、そうやって向けてくるどこか遠くを見つめるウィズの瞳に、俺は本能的に口に出していた。