68:月

 

「俺、インじゃないよ」

「……わかっている。お前は“アウト”だろう?」

「ウィズ、お前。分かってないよ」

 

 酒場で話しても良かった。けれど、こうなってしまっては今ここできちんと話しておくべきだろう。

 

 俺では、ウィズにかけられているインの呪いを解く事は出来ない。ましてや、ウィズを幸福に連れていってやることもできないのだ。期待して傷付くのは、アボードの言った通り、トウであり、ウィズ、そして――。

 

「ウィズ、神官のお前には見えてるんだろ?俺の体内のマナ保有値が無だって」

「あぁ」

「最初から、見えていた筈だよな?」

「あぁ、そうだな」

「だったら、どうして」

 

 そう、ウィズは最初から俺が誰かの転生先の魂ではない事が分かっていた筈だ。

神官は階級が上の者程、その身に宿るマナの保有値が高い。その為、神官は常人では出来ない行為を、そのマナを用い軽々とやってのける。それこそ、魔法使いのように。

 

 それと同時に、他者のマナの流れやその量も、神官は測る事が出来る。俺がまだ幼かった時。小棟部の学窓には、定期的に神官がビヨンド教の教えを直接教えに来る授業があった。

 それは表向きには教えの正しい教育、と銘打った神官の訪問だったが、実際にはまだマナの安定しない幼い子供達の中から、将来の神官候補を見つけにくる活動なのだ。

 

 俺の学窓からも数名、そこから見出され、神官となった人物が居る。有名な話だ。

 まぁ、俺はもっと前から自分にマナが無い事を教会から知らされていたから、あの頃は神官が学校に来る日は必ず仮病で休んでいたものだ。

 

「なぁ、どうしてだ?神官のお前が一番分かってるんじゃないか?俺の魂の中に、俺は“俺”しか居ないだろ?マナだって無いんだから」

「……俺にも、わからないんだ」

「分からない?」

「お前の言う通り、俺にははなからお前の中に、別の人間のマナの残り香が一切ない事が分かっていた。分かっていたけど……お前を見ていると、知識と、感情が、どんどん離れていく」

 

 そう、それまで大量の知識の本が積み上げられた中で悠々と椅子に腰かけていたウィズの姿が、突然音を立てて崩れていった。そこには、どうして良いのか自分でも分からないのだろう。茫然と立ち尽くす、まるで子供のような表情をしたウィズが居た。

 

 このウィズは、いや、彼の中のオブは待っているのだ。ずっと、インを、インだけを。インの呪いに、縛られたまま。

この呪いを解けるのは、もうインしかいない。インが現れなければ、この目の前の大きな子供は、いつまでたっても幸せを掴めない。

——-あぁ、イン。お前、どこに居るんだ?

 

「なぁ、ウィズ。俺は“あの日”を境に考えるようになったよ」

「……なに、を」

「お前が俺のどこに、インを見出したのかは、俺には分からない。何故なら、俺にはオブやフロム、あとニアって奴らの記憶が一つも無いからだ」

「……あぁ」

 

 俺の言葉がどれ程の傷を、今、ウィズに付けてしまっているのだろう。あの時のトウもそうだ。俺は、どうしてこんなにも、人を傷つけているのか。

 俺の手帳の中に居るウィズは笑っている。笑っているが、あの笑顔はインに向けられたものだ。“俺”に向けられたものではない。

 ウィズを幸せにできるのも、本当に笑顔に出来るのも、傷を癒せるのも。イン、お前しかいない。俺には替わりすら務まらない。

 

 だから。

 

「ウィズ、お前がそんな目で俺を見ている所を、インが見たらどう思う?」

「インが?」

「そうだ。この世界のきっと居る筈のインだ。大好きだったオブが、まるで違う人間を自分と勘違いして、本当は自分に向けてくれる筈だった目で、他人を……俺を、見ていたら。インは、きっと、傷付くぞ」

「……」

 

 そうなのだ。俺をインだと期待して傷付く人間は3人居る。トウ、ウィズ、そして。

 

インだ。

 

トウとウィズは期待を裏切られて傷つき、インは居場所を奪われたと嘆き傷つく。この3人にとって、俺と言う存在は悪でしかない。救いを産めない。

 

 俺はもう、これ以上、俺という存在のせいで誰かが傷つくのを見たくないのだ。

 

「アウト、お前は……」

「ん?」

「インが、この世界に居ると、本当にそう思うのか?」

 

 ウィズが少しだけ震えた声で問いかけてくる。その声に乗せられるのは、希望か絶望か。ウィズの反応に関わらず、この問いに対する俺の答えは一つと決まっている。

 

「いるさ。必ず」

「っ」

 

 俺の言葉にウィズの瞳が大きく揺れた。そこに現れたのは、俺がインではない事実に対する絶望、そしてインがこの世界のどこかに居るという希望。

 

そして、最も大きな感情は、驚愕だった。

 

「インはこの世界のどこかに居る。俺はお前達に会って、何故かハッキリわかったんだ。インは確かに俺じゃない。俺じゃないけど、なんでだろうな。理由は分からないけど、“分かる”んだ」

——-インは必ず居る。この世界のどこかに。

 

 こんな安易な事を言って、それこそウィズ達を期待し落胆させるかもしれない。それなのに、この気持ちだけは俺の中で揺るがないのだ。

 俺の中に俺は“俺”以外居ない。それと同じくらいハッキリと分かる事がある。それは、この世界には“イン”が居ること。

この確信したような気持ちは何だろう。

願望、だろうか。

 

「ウィズ。俺は“アウト”だ」

「……そう、か」

「俺はお前の事が好きだよ。だから、お前が幸せになる手伝いを、俺はしたいと思う」

「…………」

「ウィズ。一緒にインを探そう」

——–この世界のどこかに居るインを、共に。

 

 本当なら俺はもうウィズには関わらずにいようと思っていた。

 

 けれど、やめた。きっと、ここで俺が強引に離れても、ウィズは幸せにはなれない。だったら、一緒に居る事にした。

何故か。そりゃあ、俺が一緒に居たいと、そう思ったからだ。人が人を好きになるのに、時間はさほど必要ないようだ。

 

俺はウィズの幸福にはなれないが、ウィズの幸福を望む人間になってしまった。

 

「アウト、俺はまだ、分からない。この気持ちも、インの事も。そして、お前の事も。知識があっても、どうしようもない位、俺は分からない事だらけだ」

「あぁ」

「ただ、俺はっ」

 

 俺は苦し気に顔を歪めるウィズの背に、満月になりかけの月を見た。あぁ、やっぱりウィズと似ている。静かな美しい光が。どこか寂しさを帯びたような明るさが。

 

「インに、会いたいっ」

「あぁ、そうだな」

 

 俺はウィズの隣に寄り添うように立つと、その背中をポンポンと叩いてやった。

 

 あぁ、月が綺麗だ。