69:決意

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『ちぇっ!大人になる薬なかったなぁ』

『ねー!崖の方ならあるかと思ったけど。オブが心配性だからー』

『っはぁ、っはぁ。ダメに決まってるだろっ。崖なんか落ちたら、大人になろうにもなれなくなる』

 

 インが髪を濡らしてきた次の日。

 僕達は約束通り森に“大人薬”を探しに来た。

 

 もちろん、そんなモノはどこにも無かった。

 

 あったのは、たくさんの色とりどりの落ち葉、そして葉っぱの落ちた沢山の木。森に入るのは初めてで、僕は終始、二人について行くのがやっとだった。

 フロムはまだ分かるが、あんなに痩せっぽちのインでさえ森を駆け回る足は速く、軽々と木の上にも上っていく。その姿はまるで野生動物のように軽やかで、自由だった。

 

『オブ?大丈夫?』

『っへ、平気っ』

『嘘つけ!ぜんっぜん、平気そうじゃねぇじゃん!』

『うるさいっ!っへいきだって言ってるだろ!?』

『なに怒ってんだよー』

 

 ワケわかんねーの!そう言ってそっぽを向くフロムに、僕は息を整えるように大きく深呼吸した。

そう、普段から体を使って仕事をしている二人に、基本的に知識を詰め込むばかりだった僕の体は早々に悲鳴を上げた。

 

『くそっ!』

 

 それに、インの心配ばかりしていた僕は、すっかり忘れていたのだが、そう、僕は体が非常に弱い奴だったのだ。

そもそも、この地にお父様と来たのだって、田舎の綺麗な空気の中なら、発作も起こらないだろうという医者からの提案からだった。

案の定、僕はこの村に来て、一度も発作を起こしたりしていない。

していない、のだが。

 

 

—–ちょっ、まっ、まって……!

—–おい、またかよ。オブ。お前体力ねーな!

—–オブ、おんぶしてあげようか?大丈夫だよ!オレ、ニアで慣れてるから!

 

 

 不覚だ、不覚だ、不覚だ!あぁ、なんて不甲斐ないんだ!

 僕は今日一日の自分の失態を思い出し、息を切らせながらすっかり落ち込んでしまっていた。

まさか、インから小さい妹と同じ扱いを受けるなんて。僕がこの世界のありとあらゆる悪いモノからインを守ろうと思ったのに。これじゃあ、僕の方が守られているみたいじゃないか。

 

『っはぁぁぁぁ』

 

 僕は未だに心臓の音が体中に響き渡るくらい鳴り響いている胸を服の上からぎゅっと抑えた。

 

 背だって僕の方が高い。体だって僕の方がしっかりしてる。だったら、きちんと鍛えたら僕だっていつかは二人のように、どんなに森を駆けても音を上げない体にだってなれる筈だ。

 

 あぁ、なんて僕は足りない所だらけなんだ。これじゃあ、まだ“大人”になっている暇なんてないじゃないか。

 

『オブ?森、もう嫌いになった?』

 

 膝に手をついて息を整える僕に、インが不安そうな顔を向けてくる。きっと、インは『きみとぼくのぼうけん』の話を聞くのも好きなのだろうが、こうして森を駆けまわるのも好きなのだ。だから、僕がこれで森を嫌になって来ないという事を恐れているのだろう。

 

『いいや、嫌になんかなってない!』

『本当!?』

『あぁ、森!いいじゃないか!僕は森が大好きだね!毎日来たいくらいだっ!』

『……オブ?』

『おいおい、オブが壊れたぞ』

 

 隣で、豹変した僕の様子に心配そうな顔を向けてくる二人。そんな二人の、僕を心配するその余裕な姿に、僕は膝についていた手をギュッと握り締め拳を作った。

あぁ、毎日来てやろうじゃないか。僕はまず、自分自身が強くならなければならなかったんだ。そうでなければ、大切なモノなど守れやしない。

 

『二人とも、明日も森だ!森で遊ぼう!』

『よし!よく言ったフロム!本ばっかりじゃつまんねーなって思ってたんだよ!明日は東側を探索しようぜ!“大人薬”はきっとそこにある筈だ!』

『えっ、えっ!』

 

 僕の提案に、すかさずフロムが乗ってくる。そうだろうとも。フロムは僕の読む【きみとぼくのぼうけん】の話は好きなのだろうが、根本的にジッとしていられない性質だ。読み聞かせをしてやっている時も、常にちょろちょろと動き回り、ジッとしている事はなかった。

 

『明日も森?えっ、まって!えっ!』

 

 そんなフロムについて回っていれば、僕の体力も自ずとついていくのは確実だろう。まずは、そこからだ。経験も、勉強も、そして体力も。一つずつやっていかないと、今の僕では太刀打ちできない。

 本当は屋敷で剣の講師も付けて貰えるように頼みたい所だけれど、そうすると、僕が自由に出来る時間もなくなってしまうのでダメだ。

 

 そんな事になったらインに会えなくなる。本末転倒も良いところだ。

 

『えっ、えっ、オブ?』

『まずは、フロム。お前について走っても息が切れないようにするっ!』

『へぇ、言うじゃん。オブ。お前、金持ちのぼっちゃんの癖に。いいぜ!絶対にお前になんか追いつかれねーよ!』

『言ってろ!』

『オブ、ねぇ!』

 

 こんなに悔しい気持ちになったのは、インの事があってお父様にあしらわれた時を含め2度目だ。

あぁ、悔しい悔しい悔しい悔しい!絶対にフロムより先を走れるようになってやる!

この地に来て、僕は自分の知らなかった自分を沢山知った。ここに来て、インに会って、初めて僕はちゃんと生きてる気がする。

 

『ねぇったら!ねぇ!オブ!』

『っ!なに、イン』

 

 僕は余りの闘志に、オブが何度も呼んでいるのに気が付かなかった。僕がやっと、整った呼吸でインに顔を向けると、そこには顔を真っ赤にするインの姿があった。

そんなインに、僕はまた熱が出たのでは?と一瞬にして肝が冷えるのを感じた。しかし、先程まで普通だった上に、インの様子がどうもおかしい。

 熱があるというより、これは。

 

『オブ!なんで!フロムとばっかり遊ぼうとするの!?』

『え?』

『オレがずっと呼んでるのに返事してくれないし!』

『あ、あぁ、イン。ごめん』

『ごめんじゃないよ!明日は僕に大人国に行く話をしてくれるって言ったのに!なんだよ!オブはフロムと遊ぶの!?もう!オレは!?オレとは遊ばないの!?』

 

 そう言って、顔を真っ赤にして怒るインを前に、僕は思わず笑ってしまいそうになるのを寸での所で堪えた。そう、こんな所で笑ってしまっては、インが更に怒ってしまう。けれど、これはどうしたって笑ってしまうではないか。

 

 こんなのまるで――。

 

『オレが最初にオブと仲良くなったのに!最初はオレでしょ!?』

『っふ』

『わっ、笑った!なんで笑うんだよ!?オレは怒ってるんだ!』

『っははは!』

 

 ヤキモチだ。

 インはフロムにヤキモチを焼いている。僕がフロムとばかり遊ぼうとしていると勘違いをして。あぁ、もう。こんなおかしい事があるだろうか!

 

『イン、残念だったな。明日も森で“大人薬”の捜索だ』

『えーっ!お話の続きは!?』

『“大人薬”が見つかるまでナシ!俺は早く“大人薬”を見つけなきゃなんねーんだ!』

『フロムのバカ!ニアはお前が大人になってもお前なんか好きにならないよ!』

『はぁ!?ふざけんな!ニアは絶対に俺とケッコンするんだ!』

 

 いつしか僕に怒っていた筈のインはフロムと大喧嘩を始めてしまった。その隣で僕は先ほどのインの言葉を思い出していた。

 

——-最初はオレでしょ!?

いいや、それは違うよ。イン。

 

 最初がお前なんじゃない。最初も最後も、全部インだ。それなのに、なんておかしな事でヤキモチを焼くんだろう。けれど、そのヤキモチすら僕にとっては大切な宝物になる。

 

『イン、明日は森の木の上で、大人国の話をしよう』

『っ!木の上で!?うん!うん!して!』

『へぇ!オブに登れんのかよ!』

『登れるさ、どこまでだって。登ってやる』

 

 

僕はやっと大人しくなった心臓に手を当て、そっと誓う。

 

 僕は、これからどんどん強くなる。

 

 

 これは、僕の、絶対だ。