85:誤用の正当

 

 そう、俺が顔を上げると、そこにはこれまで見た事のないような酷い顔で俺を見てくるウィズの姿があった。

 

「ウィズ?どうした?」

「……アウト、お前」

「なんだよ?あれ、俺何の話を……」

 

 あぁ!そうだ、窓掛の店だ!

 週末は一体何時に、どこに集まったらいいだろうか。

 

「ウィズ!週末、何時にどこに集合する?」

「……アウト」

「なんだよ?今更ナシなんて無しだぞ!?俺ん部屋の窓掛を一緒に選んでくれるんだろ?」

「あ、あぁ。そう、だったな。時間は、またあとで考えよう。仕事の都合もあるしな」

 

 どこか狼狽するような表情のウィズに、俺はまた珍しい顔を見たものだと首を傾げた。一体何に慌てているのか知らないが、俺は今から週末が楽しみで仕方がない。

 

 もし、ウィズに時間があるようだったら、一緒にアズのアトリエに誘うのもいいかもしれない。

 きっとウィズなら、アズも来て良いと言うはずだ。

 

 そう、俺が手元にある酒に一気に口を付けていると、隣からタン!と勢いよくグラスを置く音がした。チラと横目で音のする方を見てみれば、それはアボードが苛立った様子でグラスを置いた音のようだった。

 

「このバカたれ」

「って!」

 

 すると、アボードはグラスを置いて空いた手で、またしても隣に座るバイの頭を叩いた。ただ、先程のような勢いのある叩き方ではなく、軽くはたくようなものだ。

 

 きっとあれじゃあ全然痛くない筈だ。もっと強く叩けばいいのに。

 

「ざまぁ見ろ!この破廉恥男!」

「っな!なんだよその言い方!や・め・ろ!」

 

 俺が勢いよく言ってやると、バイはどこか拗ねたような表情で俺を睨んでくる。自分は俺の事を嫌になる程“坊や”呼びしてくる癖に、まったく、なんて顔をするんだ。

 

 まるで、置いていかれた子犬のようではないか。

 

「じゃあ別の呼び方をしてやる!お前みたいに女の人に見境なく子供産んでっていう奴はなぁ!」

「なんだよ!?」

「ビッチウケ!っていうんだ!やーいビッチウケ!」

「ビッチウケ……?そんなの聞いた事ねぇし!」

「それはお前がバカだからだよ!」

「なにぃ!?」

 

 それはそうだろう。

 これは俺が“ビィエル”の専門職であるアバブに教えてもらった専門用語なのだ。俺は最近、アバブからビィエルの知識を得る為の書物を、少しだけ読ませてもらっている。

 

 それはとても綺麗な絵が描いてあり、文章ばかりの物語とも、絵本とも違うソレは、いや、しかしとても読みやすい書物だった。

 

“マンガ”というらしいソレは一般の書物店には流通しておらず、こういった事に詳しい裏の道筋からしか手に入らない貴重な書物だという。そんな貴重な書物を、アバブは快く俺に貸してくれた。

 本当にアバブは、なんて良いヤツなんだ。

 

 

『ハイ!アウト先輩!初級編の教本です!』

 

 

 その書物の中に出て来ていた綺麗な絵の人間と、このバイはとてもそっくりだった。そして、その絵の人を見ながらアバブは教えてくれた。

 

『ビッチ受けまじで最高!あ!ビッチ受けと言っても、内心は一途な純情ビッチってのがミソですよ!本命の気を引く為に必死になる様がホントに私の心を豊かにしてくれるんすよねー!なにより凄いえっち!あぁ、ダメっすよ!まだ裏有はアウト先輩には早いです!その域に到達するには、先輩じゃまだまだです!』

 

 そうなのだ。俺の手にある教本は、まだまだ初歩の初歩。

 裏というのが上級者を指す言葉なのだとしたら、俺は裏を目指すべく、初級の教本で日夜学ぶ必要がある。ただ、ビッチウケと口にするアバブの様子から察するにそれは誉め言葉だ。

 

 俺は意図せずこの破廉恥男を褒めてしまったのか。あぁ!やってしまった!

 

「お前は頭が悪いから、言葉を知らないんだ!ばーか!」

 

 まだ、“ビィエル”の語彙に慣れていないとは言え誤ってバイを褒めてしまった事が悔しくて、俺はカウンターから顔を出して舌を突き出してやった。すると、バイもバイでカウンターに置かれていた酒を一気に飲み干し、真っ赤な顔で俺に言い募ってくる。

 

「ぼ……アンタに言われたくねぇし!26歳の癖に!ガキかよ!」

「だから!年は関係ないだろ!?」

「あるし!もっと兄貴らしくしろよ!?俺より6歳も上の癖に!」

「なんで弟でもないお前に兄貴らしくしなきゃなんないんだよ!?」

「っ!!俺は兄貴の弟なんだから!俺もお前の弟だろうが!」

「はぁ!?どんな理屈だ!?お前なんか弟じゃねぇよ!」

「ホントお前サイアク!しね!年上のくせに!年上のくせに!」

 

 俺が言うのもなんだが、これは本当に昼間、余裕の表情で女性達に「俺の子供産んで」と言いまわっていた男と同じ人物だろうか。

 

 20歳の癖に子供の駄々のような事を言い始めた。……まぁ、本当に俺が言えた義理ではないのだが。

 

「俺の弟はアボードだけだ!」

「~~~!!サイアク!」

 

 バイの、この顔の赤さは怒りか、はたまた酔っ払ったせいか。いや、確かバイはまだグラス1杯目だった筈なので酔っている訳ではないと思う。

 思うのだが、多少口調の舌っ足らずさを鑑みると、もしや後者なのかもしれない。

 

 これはウィズに“やわらぎみず”をお願いした方が良いかもしれない。そう、俺がウィズへと顔を向けようとした時だ。

 

「あーっ!もうテメェらうるせぇっ!」

「「ってぇぇぇぇ!」」

 

 こうして俺は2度目、バイは軽い叩きを入れると4度目となる、アボードからの強い拳をお見舞いされた。

 カウンターの一番端では「本当に容赦ないな」と笑うトウ。そして、悶える俺達など意に介した様子もなく、次の酒をウィズに頼むアボード。

 

「ったぁ!もう!最悪だ!すぐにボカスカ殴りやがって!」

 

 アボードの拳耐性強の俺はすぐさま復活すると、ウィズに助けを求めるように「ウィズもなんか言ってやってくれよ!」と顔を向けた。

 

「ウィズ?」

「…………」

 

 しかし、ウィズは普段の余裕な様子とは異なり、どこか心ここに在らずという様子で、ただ静かに乞われた酒を注いでいた。

 

 どうやら、俺の言葉も届いていない様子だ。俺は頭を抱えながら、いつもの涼し気な表情を見せてくれないウィズに少しだけ心配になってしまった。

 

 もしかして、週末の予定に都合の悪い事でも思い出したのではないだろうか。

 

——–そんなの嫌だ。

 

 俺はとっさに痛む頭勢いよく上げると、意地の悪い事を言う事にした。週末の予定を、より強固に、断り辛くする為の、ズルい言葉。

 

「ウィズ!ねぇ!ウィズ!」

「……ん?どうした、アウト」

「ありがとな!週末!一緒に窓掛見てくれるって言ってくれて!」

 

 先にありがとうと言っておく。先に感謝を無理やり送り付けておけば、きっとウィズも後からダメなんて言いにくくなる。

 まぁ、本当に用事があるときは、こんな事をしても意味がないのだが。

 

「一緒に俺の部屋の窓掛を選ぶんだよな!絶対だからな!」

「あぁ、あぁ。わかっている。そんなに何度も言わなくても、約束は守る。心配するな」

 

 ただ、そんな俺の上っ面な作戦は、案の定ウィズにはお見通しだったようだ。痛む後頭部を無視しながら、必死にカウンターへと前のめりになる俺に、ウィズはやっと笑ってくれた。

 

 あぁ、良かった。ウィズが笑ってくれないと、俺は心配になる。

 

「週末、楽しみだな!ファーにも会えるし!」

「っふ、あぁ。そうだな」

 

 共に約束を楽しみにしてくれている事が嬉しくて、

ウィズがいつもみたいに笑ってくれる事が好ましくて、

 

俺は殴られた頭の痛みなど、とうに忘れ去っていた。

 

——–ウィズは本当に良いヤツだな。

 

 そう、しみじみと感じ入った俺の頭に、あの言葉が思い浮かんだ。

 

 たまにアボードが俺に掛けてくれる、俺への誉め言葉。あの、音が可愛くて好きなやつ。「良いヤツ」とか「兄らしい」とか「頼りになる」という意味の、あの言葉。

 

 ウィズは確かに俺より年下かもしれないが、やはりどうしたって年上感が否めないのだ。ウィズだったら、俺に対して兄貴風を吹かせても、なんだか許せそうな気がする。

 

「なぁ、ウィズ」

「今度はなんだ?」

「ウィズって本当にチョロイな!」

 

 

 俺がそう笑顔で言った瞬間、優雅に酒に口を付けていた筈のウィズが勢いよく酒を吹き出し、アボードの爆笑が聞こえてきた。

 

 

 あれ、俺は何か間違った事を言っただろうか。

 

 

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