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「うぃーっす。待ってたよん」
「……げ、バイ」
どうしてこうも俺の仕事場のロビーには騎士がやってくるのだろうか。
騎士は暇なのか。俺達の血税は本当に俺達の為に使われているのだろうか。甚だ疑問である。
「なになに~、俺が来たのにその顔。シツレイじゃん」
俺は軽い口調で俺に向かって片手を上げながら近寄ってくるバイの姿に、一気に表情が歪むのを止められなかった。
そして、アボードの時同様、その体にピッタリと似合っている騎士の制服と、華やかな赤毛の髪、その女受けの良い眉目を遺憾なく発揮しているせいで、通り過ぎる女性達の視線を一気に集めていた。
「……アウト先輩、あの方は」
そして、チラリと俺が隣に立つアバブを見てみれば、バイにこれでもかという強い視線を向け、俺へと尋ねてくる。
何故だろう。その顔は通り過ぎていく女性達のような艶めいたものではなく、何か獲物でも見つけた野生動物のような目をしている。
「あー、弟の弟志望?」
「いや、きちんと説明してください」
「ごめんなさい」
俺が適当にバイの説明を流そうとすると、アバブは目を血走らせながら俺の方を見て来た。顔色が悪いのも相成って、普通に怖い。
いや、しかし弟の弟志望っていうのはあながち間違いではないのだが!
「ハァーイ。俺バイって言うんだぁ。お嬢さんは?まさか、アウトのコイビト?」
そう、明らかに「ま、違うだろうけど?」という圧倒的に俺への見下し成分をふんだんに含んだ言い方でアバブへと尋ねてくるバイに、俺はチラとアバブを横目に見た。
「私は、アウト先輩の後輩でアバブって言います。あの、貴方はアウト先輩の何っすか?」
「え?」
「アウト先輩にとって、貴方は何者なんですか?」
「何って、ええっと」
さすがアバブ。一瞬でバイの軽妙な口調を止めた。
それまでのバカにしたような声色は一切消え去り、アバブの問いについて思案するように顎に手をあてている。
そうだ、お前こそ俺の職場にまで来て、一体俺に何の用があるんだ。お前の面倒は“昨日”だけで十分だぞ。
「アウト先輩。この方、制服からすると騎士様っすよね」
「まぁ、そだね」
「……あぁ、また先輩ったらこんな新しいチャラ男攻めを引っかけて。あんまり要素が増えすぎても萌えに欠けるのに。総受け好きなんすけど、今の私の気分には反しますね」
アバブは片手で頭を抱えるような動作をすると、小さく首を振って深い溜息を吐いた。きっと、未来と人を見通すアバブには、バイの破廉恥さをすぐに見抜いたのだろう。さすがである。
いや、しかし“チャラオゼメ”とは何だろう。またしても新しいビィエルの専門用語に、俺は少し混乱してきた。
「チャラオゼメ……バイは破廉恥だから、ビッチウケだと思ってた」
「っ!!!」
「はぁ!?お前言うに事欠いて女の子に何て説明してんだよ!?てか、昨日から言ってる、そのビッチウケって何なんだよ!?」
俺の説明にバイが心外だとばかりに俺に詰め寄ってくる。しかし、俺からしたら女性相手に見境なく「俺の子供産んで」などと恥知らずな事を言いまわっておいて、今更破廉恥如きで何を怒るのかと不思議で仕方がない。
「アウト先輩!あなたって人は!」
「へ!?」
「アウト先輩!分かってきたじゃないっすか!そうそうそうです!この人は天性のビッチ受けの素質を持ってます!私としたことが、アウト先輩関連ってだけで何でも平凡受けの一派に括ってしまっていたなんて!私の目は節穴でした!なんたる不覚!キャラを受け攻めの記号としてしか捉えていなかった!本質ってそういう事じゃないのに!私は今目が覚めました!」
アバブは急に俺の手を掴んで興奮気味に言い募ると、顔色のあまりよくないままその場で一回転した。一体彼女に何が起こったのか。
「アウト先輩、この方の攻めは誰っすか!?まさかアウト先輩って事はないですよね!?ここに来て初の平凡攻めキましたか!?」
「アバブ落ち着いてくれ!俺にも分かるように説明を」
「これが落ち着いていられますか!」
俺がいくら落ち着くようにアバブを嗜めても、最早アバブの興奮は止まりそうにない。顔色は悪いのに、興奮しているせいでなんだか不安定に見える。
もしかして、このまま倒れたりしないだろうか。
そう、俺がアバブ挙動に心配を募らせた時だった。
「アバブちゃん、アバブちゃん」
「なんすか!今私は天啓を受けて、」
「ごめんね、ちょっと」
俺の目の前で、バイが腰を折りアバブの顔に一気に自身の顔を寄せた。
その瞬間、俺の頭の中には、真昼間から様々な女性に「俺の子産んで」とまるで挨拶のように言いまわるバイの姿が過る。
「おい!やめろよ!アバブに何するんだ!」
「うるさい、ガキは黙ってろ」
バイは短く俺の言葉を遮ると、そのまま俺の言う事など一切聞かず、アバブの耳元に何かをソッと呟いた。と、同時に、それまでバイの事など意に介した様子ものかったアバブの顔が一気に赤く染まる。
「うそ」
そう、何故か衝撃を受けたような表情浮かべるアバブは、次の瞬間、慌てて何かを隠すように自身の腰あたりに鞄を当てた。そんなアバブに対し、バイはあの日のような軽薄な笑みを一切封印し、流れるような動作で自身の着ていた騎士の制服の上着を脱いだ。
「大丈夫、そう目立ちはしないよ。ひとまず、コレ。腰に巻いて」
「い、いや!悪いっす!走って帰れば大丈夫なんで!」
「きついんでしょ?走るなんて馬鹿な真似は止めなさい」
一体何が起こっているのだろう。
俺は一切の状況を掴めぬまま、ただバイがアバブに悪い事をしている訳ではない事だけは理解した。そして、俺はアバブにとって何もしてあげられていなかった事も、ハッキリと理解した。
「はい、これでいい。今日は暖かくして寝て。もし痛みが強いようならしっかり薬も飲んで。持っていないようだったら、このすぐそばに薬屋もあるから。痛みも辛さも当たり前と思って我慢しないで」
——-いい?
俺は頭がおかしくなったのだろうか。
そう、アバブに言って聞かせるバイの姿が一瞬世の中で言うところの“母親”のように見えた気がした。
すると、バイのそれまで悪かった顔色が、少しだけ泣きそうに歪んだ。
あぁ、アバブ。確かに今日一日ずっと辛そうだった。分かっていたけど、分からなくて、俺は何もしてあげられなかった。
「今日は1日よく頑張ったね。えらい、えらい。女の子はみんなえらいよ」
「あ゛い」
声を震わせて返事をするアバブは、慌てて自身の目をこすっていた。泣いているのかもしれない。いや、きっと泣いている。
「アバブ、送ろうか?」
「い゛いっす。大丈夫っす。先輩、わだじ、帰ります」
「そうそう。ゆっくり帰りなね」
「あ゛い。ありがと、ございます」
鼻声のアバブの声に、なんだか俺も泣きたい気持ちになった。俺は何も悲しくないし、辛くないのに。
ただ、俺は何も分かっていない自分に泣きたくなったのだ。
俺はその場でクルリと背を向け、トボトボと家へと帰り始めたアバブに心の中で「ごめん」と謝る事しか出来なかった。
何も出来なくて、何も分かってあげられなくて、ごめん。
ごめんね。