———
——-
—-
チョロイとは、決して「良いヤツ」とか「兄貴らしい」とか「頼りになる」とかそんな意味ではなかった。
単純に「扱うのに苦労しないヤツ」とう意味だった。
つまり、だ。
「アボード!お前、いっつも俺の事簡単で扱い易いヤツって思ってたのか!?」
「おまっ!おまっっ!今まで、ほめっ、褒められてると思って……ぶはっ!!!」
俺の言葉にアボードは腹を抱えて笑うばかりで、最早言葉を失くしていた。そんなアボードに、俺は顔から火が出るような気分のままカウンターに拳を打ち付けた。
まさか、そんな意味なんて思わずに、これまで「ちょろい」と言われる度に「仕方ないなぁ」なんて思って、アボードの言う事を聞いていた自分が恥ずかしい。
あぁ!なんて、愚かな真似をしていたのだろうか!俺は!
「ウィズ!違う!俺はお前の事をちょろいなんて思ってない!」
「いや……いい。ある意味、その、場面的には合っていたからな」
俺の決死の言い訳を、何故かウィズは受付ないとでも言うように、俺に向かって片手を突き出した。怒っているのだろうか。
いや、しかしウィズのこの顔は怒っているというより、むしろ――。
「確かに、アウトにとってウィズはチョロイヤツかもしれないな!」
悲喜こもごもな俺達の様子に、どこか爽やかな風を吹きすさばせてくるトウ。しかし、その爽やかさが今は何故か身に染みて寒い。突風のように駆け抜けていくその言葉に、俺はサッと酔いが覚めるような気色だった。
「いや!思ってない!思ってないって!ウィズの事は俺、逆に扱い難いって思ってるくらいで……!」
「それはそれで……どうなんだ」
「死ぬっ!笑い死ぬ!!」
「違う!違うんだよ!ウィズ!」
口を開けば開くほどに墓穴を掘ってしまう。俺は一体ウィズにどう釈明すれば、この掘ってしまった大きな穴を埋める事が出来るのだろうか。
そう、俺が意図せず新たな穴を掘り始めんとした時だった。
ガツン!!!!
カウンターにこれでもかという衝撃が走った。
そしてそれは、俺が溜まらずカウンターを拳で叩いた音でも、アボードが笑いを堪え切れずにカウンターに掌を打ち付ける音でもなかった。
「……え?バイ?」
「スゥ、スゥ」
そこには頭をカウンターに勢いよく打ち付けるバイの姿があった。
その手には空になったばかりのグラス。そして、微かにその赤毛の髪の毛の隙間から見える耳は、その髪色と同じくらい真っ赤に色づいていた。
「あー、クソ。やっぱコイツ寝たよ」
「だな」
そう穏やかな寝息を立てるバイにトウは苦笑しながら、呼吸で上下する肩を揺らす。
「バイ。ほら、起きろ」
「うぅぅ、さわんな!くそ!」
しかし、トウがバイに触れた瞬間、寝ていた筈のバイが勢いよくトウの手を叩き落とした。そして、落とした瞬間、またしても頭からカウンターに落ちる。
そんな毎度頭から落ちていて、バイは平気なのだろうか?
というか、一体、俺は何を見せられているんだ。
「え?なんで?具合悪いのか?」
「っちっげーよ!だから俺、コイツと飲みに行くの嫌だったんだよ!?酒弱ぇ癖にすぐ飲みについてきやがる!」
「弱いって……まだグラス1杯だぞ?」
「そうだ。どんな酒でもバイはグラス1杯以内で必ず酔う」
「えっ!えぇぇぇ!?」
俺が驚愕してバイの座るカウンターに近寄ると、そこには先程どうよう「スースー」と穏やかな寝息を立てて寝ているバイの姿があった。
「どうすんだよ、コイツ。俺はヤだぜ!こんなデカイの連れて宿舎まで歩くなんて!?どんな訓練だ!」
「俺がおぶって帰ってやりたいが、嫌がるからなぁ」
「そうなのか?」
トウの言葉に俺が目を瞬かせると、トウは肩をすくませ「見てろ」とカウンターから立ち上がった。そんなトウにアボードは「止めとけよ」と声を掛けるが、トウは止まろうとはしない。
「ほら、バイ。起きろ。帰るぞ」
トウの優しい声と手がバイの肩に手をかける。そして、そのまま肩に腕をかけ、その場に立ち上がろうとした時だ。
「っ!いやだ!くそ!くそがっ!しねっ!」
「おいっ!」
トウはその瞬間バイの拳を真向から腹に受けていた。一瞬、トウの顔が痛みで歪む。しかし、トウはバイの腕を離さない。いや、離せないのだ。
ここでトウがバイの手を離せば、バイはきっと椅子ごと床に倒れこむ事になる。
その間も、バイは「いやだいやだ」と子供のようにトウに手と足を容赦なく繰り出す。
「バイ!やめろよ!」
「ぅぅ」
俺は余りの出来事に、思わず後ろからふらつくバイを支えた。俺よりも断然体の大きいこの男を支えるのは正直言ってきついものがある。
しかし、支えきれない程ではない。
「トウ!離していい!俺が支えておくから」
「っあ、あぁ。悪いな。アウト」
痛みで顔を歪ませつつ、しかしトウは本当にバイが俺に支えられていると確認するまで、その手は離さなかった。俺であれば殴られた時点でこんなヤツを支えるのは一瞬で諦めるだろうに。
「……トウは、本当に良いヤツだな」
「ったく!ほんとだぜ!トウ、お前は良いヤツ過ぎなんだよ!?バカか!テメェは!」
そう、吐き捨てるように口を吐くアボードの言葉に、俺は完全にトウの支えを失ったバイを必死に支えた。またしても「すーすー」という穏やかな寝息が聞こえる。
「おもい……」
「しゃあねぇな」
意識のない成人男性の重さを、俺は舐めていた。一切身動きの取れなくなった俺に、アボードが片手でバイの腕を掴むと、勢いよくカウンターの椅子へと放り投げる。すると、バイは先程まで座っていた椅子に見事ストンと収まった。
ガツン!!
またしてもバイの頭がカウンターに落下する。あれで起きない癖に、トウに触られた時は一瞬で起きるなんて、一体どういう感覚の持ち主なのだろう。
「なぁ、マスター。コイツ、ここに置いていって」
「いいわけないだろう。迷惑だ連れて帰れ」
「……まぁ、そうだわな」
ウィズの取り付く島もない切り返しに、アボードが深い溜息を吐く。
そして、そんなウィズの一刀両断な台詞に、俺はと言えば出会った当初を思い出し若干の懐かしさを覚えていた。
——-迷惑だ、帰れ。
うん、懐かしい。今となってはあの頃も良い思い出、とか思っている場合じゃないな。
「あー!クソ!こっから寄宿舎の距離を歩いてコイツを俺が連れて……ああぁぁぁ!ありえねぇぇ!」
「……っいつも悪いな、アボード」
「いやトウ、最早お前が一番可哀想なんだが」
確かにそうだ。未だに自身の腹をさすり、痛みを耐えるような表情でアボードに謝罪するトウが、今この店きっての不憫者だろう。あんなに文句を言われても笑顔で怒りもしないトウに、バイは一体何か恨みでもあるのだろうか。
「あ!そうだ!いい事思いついた!」
アボードが先程までの絶望の表情を消し去り、パッと明るい顔で俺の方を見て来た。
あぁ、ハッキリ言って嫌な予感しかしない。
「こっからだと、寄宿舎よりお前ん家の方が近いよな!?」
「いやだ!」
「コイツ!一晩泊めてやれよ!」
「いやだ!」
「いいじゃねぇか!お前俺の兄貴だろ!弟が困ってんだぜ?なら、困ってる弟の言う事は聞いてやるのが兄貴ってもんだろうがよ!?」
「こんな時ばっかり弟ぶるな!ぜっったいに」
——-いやだ!!
そんな俺の拒否は空しくウィズの店に響くばかりで、何の力も持ちはしなかった。
あぁ、俺はなんてチョロイのだろう。
アボードが「頼むよ!兄さん!」なんて、両手を顔の前でバチンと合わせる姿に、ジワリジワリと絆されてしまった。
「……あぁ、疲れた」
そして、気付けば俺の部屋にはグースカ良いご身分で眠りこけるバイの姿。正直、その時点で殺意が沸きそうな程腹が立ったのだが、俺の受難はそこでは終わらなかった。
「あだまいだい」
「……ん?」
「ぎもじ、わるい」
「っおいいいい!」
明朝。まだまだ静かで夜も明けきらぬような時間帯。バイはムクリと突然体を起こしたかと思うと、口に手を当て隣に眠る俺を叩き起こしてきた。
そして、起きた瞬間、俺の体はバイの吐瀉物にまみれていた。