「あはっ!やっぱ死ぬほど狭っ!酔ってた事による記憶違いじゃなかった!」
「ほら、さっさと入れよ。重いんだよ、荷物。ってかお前も持てよ!」
「やーだね。俺、女の子の荷物しか持たない主義。野郎の荷物は勝手にどうぞ」
「この野郎……」
俺は両手に酒とツマミの入った紙袋を抱え、部屋の入口で部屋の狭さに感嘆、いやバカにするバイの足を後ろから蹴ってやった。
しかし、悲しいかな。俺より随分と体格の良いこの若者は、俺の蹴りなどまるで効いていないようで、ケロリとした表情を浮かべている。
だいたい、これは俺だけの荷物ではない。お前の荷物でもあるんだよ!
「おい、覚えてるか分からんから言っとくが、うちは土足厳禁だぞ」
「はいはーい。覚えてないけど、理解したァ。この狭さじゃあ、ね」
部屋の入口でいそいそと靴を脱ぎ始めたアボードに、俺はまず部屋ですべき事について思考を巡らせた。
「ほら、寒いだろ。部屋、暖めるぞ」
「狭いからすぐあったかくなりそうだねー」
「まぁな」
まずは、熱結石で部屋を暖める事。俺は上着をしっかり羽織って歩いて来たからまだマシだが、バイはそうではない。
——-ひとまず、コレ、腰に巻いて。
元々バイの着ていた上着は、何故かアバブの腰に巻いて上げていた。その為、バイの格好は現在、かなりの薄着だ。きっと平気な顔をしているが、相当寒いに違いない。
そして、やはり“靴を脱ぐ”という行為自体に慣れていないのだろう。モタモタしながらも、やっとの事で靴を脱ぎ終わったバイを背中から、ジッと見守る。
「部屋に入ってすぐに靴脱ぐってしんせーん!なんか、開放感!」
「まぁ、そうだろうな」
狭い部屋の中を靴を脱いだ足で、パタパタと駆け回るバイを眺めつつ、俺は片足と片足を互いに引っかけ、すぐに靴を脱ぎ終えた。
「へぇ、そうやって脱ぐと早いんだぁ。ここでしか使えない技だけど、覚えとこ」
「お前、さてはまた来る気だな」
「さぁね」
「とりあえず、ほら、これ。酒とツマミ出してろ」
「はいはーい」
俺は両手に抱えていた紙袋と酒を、先に部屋でくつろぎ始めたバイに手渡した。その瞬間、バイの大きな手が俺の手に微かに触れる。
その手はやはり氷のように冷たく、先程までバイが一度も自身のズボンのポケットから手を出さなかった事に、俺は納得するしかなかった。
あぁ、早く部屋を暖めなければ。
「なー、グラスはー?」
「後で持ってくるから待ってろ。絶対にまだ飲むなよ」
「えー!早く飲もうぜー!」
弱い癖に一体何をそんなに気を早らせているんだ。
俺は子供のように「はやくはやく」と騒ぎ出すバイを無視し、窓枠の傍に設置してある四角い鉄の容器に熱結石を一欠けら入れた。
これはシャワー室に使われている固定式継続使用の熱結石と違って、消費型で安物の熱結石なので、自身のマナを熱に変換して石に込めなければ部屋は温まらない。
「よし、と」
ただ、俺はマナの体内保有がゼロなので、マナを変換して熱を込めようにも無理だ。
その為、俺はアボードがどこからか買ってきてくれた「まっち」という火を簡単に起こせる道具を使う。ただ、この「まっち」も消費型の道具なので無くなったら、またアボードに頼まなければならない。
どこから買っているのか教えてくれれば自分で買ってくるのだが、アボードは店を教えてくれないのだ。
「何それ」
「ん?火を起こす道具」
「はぁ?なんでそんなのわざわざ使ってんだよ。部屋あっためるだけだろ?ちょっとマナ使えばいいじゃん」
「……ん?まぁな」
マナが無いからだよ。
そう説明するのは簡単だが、あまり他人に率先して言いたい事ではない為、返事に困る。
ただでさえ、最近はトウやウィズにも言わざるを得ない状況だったのだ。これ以上、自分の持つ他者との圧倒的差異を明言していくのは憚られるじゃないか。
「まさか、マナ、ないの?」
なんて事のない問いに、俺は一瞬返事に詰まった。分かっていた問いだったのに、何も返事の模範解答も出てこない。
「なら、俺に言えばいいのに」
「……まぁ、な」
俺はバイの言葉を流しつつ、手元にある“まっち”の棒を箱の側壁に滑らせ火をつけた。これはいつ見てもよく出来たものだと感嘆せざるを得ない。“まっち”は俺の冬の必需品だ。
「ほい、これでじき部屋もあったまるだろ」
「うん」
そう、静かに頷いたバイの声は、何故だろうか。どこか落胆したように元気がなくなっていた。そんなに寒いのだろうか。
「もう少しだから我慢してろ」
「わかってるよ!」
「なに、怒ってんだよ」
「怒ってないし!」
明かに怒っている、というか苛立っているではないか。俺は何故か急にプンプンという擬音を飛ばし始めたバイに小さく息を吐くと、今度はすぐ傍にある香油の瓶を、窓枠に掛けてある香油入れへと数滴垂らす。
今日はいつもの木の香りに、微かに花の香りを足してみよう。
「……良い匂い」
「だろ?」
アボードが家に来た時は基本的に木の香りだけを使うのだが、最近の俺は数種類の香りを混ぜて使う事も覚えた。今日は初めて弟以外を家に呼んだし、バイは華やかな男だから、少しだけ花の香を足してみる事にする。
これは北部の森の奥地に、冬の間だけ咲く花の香らしい。冬に咲く花なんて滅多にないので、思わず買ってしまったのだ。
「懐かしい」
「そうなのか?」
「うん、懐かしい匂いがする」
そう言って香りに集中するように目を閉じるバイは、先程までの不機嫌さなど、どこかに行ってしまったように穏やかな顔になっていた。
これはアボードの時と全く同じだ。アボードもここに来て、木の香りを嗅ぐと、だいたい穏やかな表情になる。
「懐かしい」というのは、そんなに感情を穏やかにする効果があるのか。
バイの今感じている“懐かしさ”が一体いつまで遡ったモノなのかは分からないが、心が穏やかになる記憶というのだから、良い思い出なのだろう。
「北部の森に咲く“冬の少女”って花の香らしいよ、コレ」
「知ってる。俺、北部出身だから」
「確かに、前そんな事言ってたな」
——-俺、北部のド田舎から急にこんな都会に仕事で連れて来られて、知り合いも誰も居なくて寂しいんだぁ。
最初に出会った時に、可愛らしい女性に話しかけている時に確かそんな事を言っていた。あれは本当の話だったのか。
「あれ、女の子引っかける為の口から出まかせじゃなかったのか」
「女の子引っかけるのに、俺がそんな小手先の嘘必要な男に見える?見てよ、この顔。最高に素敵だろ?」
「おま……凄いな。ここまで来ると逆に嫌味無くて好きだわ」
確かに、目を閉じて懐かしむような表情を浮かべるバイも、今のようにパチンと音が飛びそうな程片目を閉じて笑うバイも、どちらも“素敵”と言うに間違いはなかった。
「なぁ、なら“冬の少女”って花も見た事ある?」
「あるさ。寒くて寒くて死ぬほど寒くても一晩中立ってなきゃいけない見張り任務の中、唯一の楽しみが、その花を見つける事だったからな」
そう、アボードが俺の部屋でゴロンと横になりつつ目を閉じたまま口にする言葉は、表情と似合ったような穏やかな内容ではなかった。
「……大変な仕事だな」
「アッチは仕事もないド田舎だからねぇ。少しでもマシに生きようとすると、皇国の騎士団に志願する為に、まずは傭兵になるしかない。下っ端の傭兵なんて、ほんと人間みたいな暮らしは出来ないからね」
バイは女の子を誑かす軽い男な筈だった。けれど、もしかしたらそれだけではないのかもしれない。そう、俺は寝転がるバイを見て思った。
「“冬の少女”はさ、花びらは真っ白で、中心は黄色。そのいかにも“花”って咲き方なのに、寒さにも吹雪にも絶対負けない。積もった雪の中からでも、雪を掘ると潰れずに顔を上げる。可愛くて、強い花だよ」
「へぇ。見てみたいな。花屋にあるかな?」
「ないよ」
「そうなのか?」
「寒さには強いけど、この皇国レベルの冬じゃ、温かすぎてダメになるんだ。暖かさには、弱い子なんだよ」
寒さには強く、けれど暖かさには弱い。なんとも不思議な花である。
そして、暖かさを拒絶する、その見たこともない花の姿に何故か俺は目の前で寝転がるバイが重なって見えた。
「バイ!」
「なんだよ」
「……寝るなよ」
「わかってるって、早くグラス持ってきてよ」
暖かさには弱い子。
まるで“冬の少女”という花を、本当に存在する“誰か”のように口にするその姿に、俺はたまらない気持ちになる。ただ、どうしてこんな気持ちになるのか、俺は自分自身よく分からなかった。
「バイ」
「もう!さっきから何なんだよ!」
俺が余りにもしつこく呼ぶからだろう。寝転がっていたバイが、ひょいと勢いよく体を起こした。目もパッチリと開いている。その姿に、俺は少しだけ安心した。
目を開ければ、そこに居るのは嫌味ったらしいまでに整った軽い眉目。あぁ、いつものバイだ。
「何もない。グラス、取ってくるよ。1階にあるから、ちょっと待ってて」
「ハイハイ、さっさとよろしくね」
そう、面倒臭そうに手では払うような動作をしてくるバイに、俺はようやく心を落ち着かせると、部屋から出る間際、ほんの少しだけ部屋の灯りを強く設定した。