124:記憶の穴

 

       〇

 

 

 

 結論から言えば、俺の部屋の窓掛を買う事は叶わなかった。何故なら、ウィズがどの窓掛を見ても是と首を縦に振らなかったからだ。

 本当ならば、今日は俺の部屋の窓掛もそうだが、ウィズの酒場の冬支度も兼ねた布類も購入する予定だった筈だ。

 

 けれど、そんな事など一切忘れてしまったかのように、ウィズは俺の部屋の窓掛に一点集中し、店のありとあらゆる窓掛を引っ張り出しては手触りや柄、そして輸入先を確認していく。そして、それらを確認しては「違う」「これじゃない」と、最早鬼気迫る勢いで窓掛と向き合っていた。

 

『違うな、これじゃない』

『コレじゃないの?』

『あぁ、お前の部屋に“ある”のは、これじゃない』

 

 俺には一体ウィズが何をどう判断して「これじゃない」と言っているのかは分からないが、最早ここまで来ると必死に布を見つめるウィズの姿が興味深く、俺はずっとウィズを眺めていた。きっと、ウィズの中では俺の部屋に入った瞬間に、既に俺の部屋に理想の窓掛が掛かっていたに違いない。ウィズは部屋に“合う”窓掛を探している訳でなく、想像の中で既に掛けられて“ある”一つの窓掛を探していたのだ。

 

 確かにある“答え”を見つけ出そうとする作業。それが、ウィズにとっての窓掛探しなのだろう。

 そう、俺は必死なウィズの横顔を見て思った。

 

「悪かったな。結局買えず終いで」

「いいよ、俺はウィズを見てるのが面白かったから」

「まったく、俺ではなく窓掛を見ろ」

 

 そう言って呆れた顔で俺を見てくるウィズに、俺はと言えば少しの期待を胸の内に抱えていた。こうして今日、俺の部屋の窓掛が買えなかったという事は、ウィズが俺の部屋の窓掛を選ぶという約束を果たせていない事になる。

 もしそうであるならば、俺はまた次の休みもウィズとこうして会えるのではないか。

 

 微かに抱いた期待が、俺の中でどんどん大きくなる。膨らんで膨らんで、今にも破裂しそうな程に。

——-図々しいだろうか。言っても、良いだろうか。

 そう、俺がウィズの隣を歩きながらゴクリと唾液を飲み下した時だ。

 

「窓掛はまた次の休みだな。聞いてみたら、店主によるとここ2、3日、店を締めて大幅な仕入れをしに行くらしい。そしたらまた来よう」

「えっ!」

「もちろん、お前の都合が合えば、だがな」

「合う合う合う合うよ!俺!休みの日は暇なんだ!ウィズこそいいの!?」

「俺から誘っているんだ。悪い訳ないだろう」

「…………っ!!」

 

 なんて事ない顔で口にされたウィズの言葉に、俺は先程まで大いに膨れ上がっていた期待がパアンと音を立てて破裂した気がした。そして、破裂した中から沢山の美しい花が飛び出して来たような、そんな華々しい、祝福されたような感覚に陥いる。

 

 あぁ!心の中が祝福で満たされている。

 大袈裟かもしれないが、ウィズからの誘いを受けた俺は、先日参列した愛し合う二人の華燭の典くらい、祝福に満たされているといっても過言ではない。

 

「……アウト、お前は本当に心底全てが顔に出るヤツだな」

「ん?なに?」

「お前は行間なんてものが一切存在しないな、と言っているんだ」

 

 ウィズの言っている意味が、よく分からない。

 分からないが、ウィズが嫌な事を言っているのではない事は分かる。本当に、本当に微かだけれど、ウィズは微笑んでいる。それに放たれる言葉も、どことなく優しさを感じる。

 

「……まぁ。そうだな。どういったものか……お前のそういう所は、とても愉快で心地よい。好ましいという事だ」

「そっか!」

 

 俺は“ぎょうかん”は読めないが、ウィズの事なら少しだけ分かる。ウィズがこうして伝えてくれるようになったから、というのもあるが、何より俺自身が分かりたいと思うようになったからだ。

 

 否、分かろうと頑張っている。全部は分からないし、他の事はからきしだけど、ウィズの事は分かるようになろうと決めたのだ。

 

 でなければ、アバブの時のように知らないうちにウィズを傷付けてしまうかもしれない。人は傷付けたり傷付けられたりしながら生きていく事は、これまでの人生でよく理解しているつもりだ。

 他人を傷付けないとうにと心を砕いた所で、俺はこんな性質である。それは、どうしても無理だった。

 

 だから、それはお互い様だとどうにか折り合いをつけて生きて来たけど、出来ればウィズだけはこれ以上傷つけたくない。

俺は既にウィズには大きな傷を負わせながら、隣を歩いている。幸福であって欲しいという“願い”の間反対に居る俺が出来る唯一の、ウィズへの幸福への手助けは、これ以上ウィズを傷付けない事なのだ。

 

「そろそろ昼でも食べるとしようか。あの茶寮で良いだろ」

「ん?」

 

 ウィズの言葉が、ぼんやりしていた俺の意識を勢いよく現実へと引っ張り戻す。そのまま、ウィズの指さす方に顔を向けてみれば、そこには見覚えのある店が目の入った。

 

「うわ!あそこの茶寮のテラス席で、俺はオラフを鳥に持っていかれたんだ!ウィズも食べる時は気を付けた方が良いぞ!」

「多分それはお前が今のようにぼんやりしてるせいだろう。俺は何度もあそこで昼食を食べた事があるが、一度もそんな事はなかったぞ」

「なんだと!」

 

——–そんな昼食前にぼんやりするかよ!

 そう、呆れたように笑うウィズに、俺が「まったく!」と言い返そうとした時だった。

 

「……ぁ」

 

 視界の端に真っ黒な装束を着た、数人の男女が洋布で目元を覆いながら歩いてくる姿が目に入った。

 黒い装束。悲しみに暮れる顔。祝福に包まれる華燭の典とは真逆の式典。悲しみ、悼み、弔い、死者を見送る為の儀式。そう、黒い装束、それは葬礼の際に用いられる正装だ。

 

 それは確か、先程アロングで窓掛を探している時にも見た布色だ。

 

 

 

——–すみません、注文していた喪幕を取りに伺いました

——–あぁ、準備出来ていますよ。それにしても、こんなに突然……信じられない。本当に残念でならないよ。彼はうちの大切な常連だ。後で私も参列させて頂きます。

——-ありがとうございますっ。主人も、きっと喜ぶと思います。

 

 

 

 喪幕を取りに来た初老の女性は、目を真っ赤に腫らした痕を残したまま、真っ黒な衣装で気丈に振る舞っていた。あれは、大切な人を亡くした者の目だ。

 

「……ぼんやり、してたのかも」

「どうした?アウト」

 

 隣からウィズの怪訝そうな声が聞こえてくる。いや、怪訝というより心配そう、というのが正しいだろう。けれど、俺はそんなウィズに「大丈夫、なんでもない」と反応する事も忘れて“何か”妙な引っかかりを覚える、自分自身の記憶に向き合っていた。

 

——そう。俺は、あの日。

 

 “あの日”

 俺がオラフを鳥に持っていかれたあの日。

俺はあそこで“誰か”に会わなかったか?商品を注文して、席に戻って。

 

 たったそれだけの間に、オラフは鳥に持って行かれたのか?けれど、事実気付いたらオラフは無くなり、時間を見てみれば既に昼食を再度注文する暇もなく、時計の針はアズとの約束の時間の間近となっていた。

 

 俺はそんなにギリギリの時間にあの茶寮に入ったのか?

 

「……そんな筈ない」

「おい。アウト」

 

 俺は、あそこで“誰か”と話さなかっただろうか。

 

 あそこ。そう、あそこというのはテラス席から見える、大通り。俺は見覚えのある誰かを見た。その誰かが“誰か”を思い出せない。それどころか、今の今までその間の記憶をすっぽり失っていたくらいだ。

ただ、俺はこの大通りを見て、今この瞬間に思い出す人物が一人だけいた。

 

 

——–マルコに、あわねば。彼に、きけんが、せまっている。アウグスニスの街へいかねば。

 

 

 何故、今あの男性が俺の頭に思い浮かぶのだろうか。

 そう、俺は確か“あの日”も彼に会ったのだ。彼を見つけて、そしてテラス席にオラフを置いて、彼の元に走った。走って彼と何かを話し、そしたら、別の誰かが俺に――。

 

「アウト!おい、しっかりしろ!」

「っ!」

 

 いつの間にか、ウィズの顔が俺の目の前にあった。俺の肩にはウィズの手があり、その手にはこれでもかという程力が込められている。あぁ、肩が痛い。

一体どれ程の間、ウィズの呼びかけを無視し続けたら、ウィズにこんな顔をさせる事が出来るのだろうか。