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星のような煌めきが僕の目の前に2つ、現れた。
『オブ!この本を書いた人と会った事があるって本当!?』
『そうなの?!ほんとうなの!?オブ!あったことがあるの!?』
そう、どこか似た目の煌めきを湛えた兄妹に詰め寄られながら、僕はヒクリと体を後ろへ仰け反らせながら頷いた。キラキラの目を零れ落ちんばかりにこちらに向けてくる兄妹の後ろでは、フロムがやんわりとニアの肩を自分の方へと引っ張っている。
無駄な努力をお疲れ様だ。
『こんなお話を考えられるって凄いなあ!その人は生きてる人なの!?』
『もちろん生きてるよ。会った事があるって言っただろ?』
生きてる人なの?って一体どういう驚きなのだろうか。
あぁ、インの中では、どうやらこの【きみとぼくの冒険】シリーズを書いたのは、ずっと昔の人か、もしくは人間ではないと思っていたのかもしれない。
いや、いくらインでもさすがに人間が描いたものではないなんて、そんな荒唐無稽な事を思っていないかもしれないが。
『……すごいな。こんな素敵な話、ぜったいに人間が考えられるようなお話じゃないって思ったのに。だから、オレはてっきり神様が描いた本だと思ってた』
『わたしもー。かみさまがかいて、本をたくさん置いてあるところに置いていったのかとおもった!』
『ニアもそう思った?オレもだよ。置いて行った本を、いろんな人が読んで素敵だなあって言って人気になったんだと思った』
『ねー?』
まさか、まさか。
本当にそんな荒唐無稽な事を考えているとは思わなかった。さすがはインとニアだ。そして、二人が毎晩【きみとぼくの冒険】をどんな風に語り合っているか、少しだけ覗けた気がした。
きっと毎晩こうして二人で今後のお話の展開を話し合っているのだろう。
あぁ、本当に羨ましいくらい仲の良い兄妹だ。そして、認めたくはないがきっと今の僕のこの思考は、二人の後ろで様子を伺っているフロムと、てんで同じモノなのだろう。
ほんっとうに、認めたくはないけれど!
『どんな人!?どんな人!?』
『おしえて!オブ!』
まるで懐中時計を初めて見たインのようだ。
キラキラしたその目と、興奮で上気する頬。今、インの興味関心意欲は全て【きみとぼくの冒険】の作者へと向けられている。そう思うと、俺は一度だけ見た事がある“あの”の女性にも嫉妬してまっていた。
あぁ、もう。なんて無駄な嫉妬なんだ!
『これを書いたのは女の人だよ』
『え!女の人!?』
『わたしとおんなじ!?』
『そう、ニアとおんなじ女の人だよ』
『わぁ!すてき!すてき!』
作者が女性と聞いて、まるでニアは自分が作品を書いたかのように誇らしげに飛び跳ね始めた。どうやら作者が女性だった事はフロムにとっても驚きだったようで『スゲェな!』とニアの後ろで目を丸くしている。
『このお話は、この女性が自分の子供に寝るときにお話してあげていたモノを本にまとめたモノなんだ。ごく普通の家の、ごく普通の女の人。ただ、夜眠るのが怖い怖いって言ってすぐに寝てくれない息子の為に、毎晩1つずつお話をしてたんだって』
だからこそ第1巻の最初の一文はこう、始まる。
——–さぁ、今日も家族は眠りについた!ぼくの大嫌いな夜がまたこうしてやってきてしまった!
これは、夜を恐れる息子に寄り添う優しい母親の物語。
ただ、それすら普通と言われれば普通の母親の姿。ごく普通の一般家庭の女性。
そう、この本が大ヒットして都中、いや世界中の子供達へと読み継がれていくようになった事により、女性はこの本を執筆した10年後。児童文学賞の最高峰と言われているフェニックス賞を受賞する事になった。
その授与式で、僕は初めて彼女を見た。
あの時、まだ今よりもずっと幼かった僕は、柄にもなく心を躍らせていた。
僕にとっても大好きだったあの作品の作者が一体どんな人なのだろう、と。そう、きっとあの時の僕は、この目の前の二人のような目をしていたに違いない。
『本当に、普通の女の人、いや“お母さん”だったよ。僕が見た時には、彼女の子供はもう絵本なんか読む年ではなかっただろうけど、僕は彼女の言った言葉で、あぁ、この人が確かにこの本を書いた人なんだなって思った』
『その人は、なんて言ったの?』
『なんて?なんて?』
インを押しのけるように僕の言葉の続きを待つニア。
そんなに競うように前へ出なくても、僕の言葉は聞こえるだろうに、ニアのその様子は少しでも、此処にいる誰よりも僕の、いや彼女の言葉を聞こうと必死だった。
『“私の子供は、私の作ったお話をもう、自分の為に読む事はないでしょう。けれどいつか。いつか彼が、いえ、この本を読んだ多くの子供達がまた、いつの日か自分の大切な我が子に、同じようにこのお話をしてくれる日が来るのを、楽しみにしています。これは、あなたと、あなたの愛する人の冒険譚なのですから”』
僕は出来るだけ、あの日の彼女が言ったように口にした。
彼女の台詞はもちろんの事ながら、記憶にある彼女の息遣い、言葉の切れ目、慈しむような表情。それらすべてを、出来るだけ“あの日”のまま、今にも目から星を出しそうな二人に伝えたかったのだ。
『……すてき』
僕を通して聞いた彼女の言葉に、インよりも先にニアが感嘆の声を漏らした。けれど、その声は今までの幼い子供のようなソレではなく、まるであの日の“彼女”のような声をしていた。まるで、大人の女性のような、愛する我が子を慈しむような。そんな女性の声。
『ニア……?』
ドキリとした。あぁ、僕がドキリとしたくらいだ。もちろん、ニアの隣に居たインも、その後ろに立っていたフロムも、同様に心を揺さぶられているようだった。
『オブ、おねがい。わたしにさいしょのお話の1冊をかして?』
『い、いいよ』
動揺が隠せないまま、僕は頷く。この目の前の彼女は、本当にいつも子供っぽく泣いたり笑ったり、我儘を言ってインを困らせる“あの”ニアだろうか。
いいや。僕は知らない。こんな子……こんな女性、知らない。
『わたしも、いつかお母さんになった時、私のこどもに、この本をよんであげるの。字は読めないから、読めるようにれんしゅうする。わたしは、いまからお母さんになる準備をするわ』
そう言って微笑む彼女に、僕は思った。声変わりなんて目じゃない。女の子の成長って、本当に流れ星みたいに一瞬なんだなぁ、と。