132:生酔い、本性違わず

 

 

          〇

 

 

 

「ファー!キミにどれだけ会いたかったか!寂しかっただろう!悲しかっただろう!」

「静かにしろ。大丈夫だ、ファーはお前が思っている程、全く寂しがってはいない。見て見ろ、笑って寝ているじゃないか」

「そ、そんなの分かんないだろ!?」

 

 現在、俺達は既にウィズの酒場に戻ってきていた。

 ヴァイスやアバブに会った後、俺達は予定通りアズのアトリエに向かい、今度こそ俺の絵を描いてもらう事に成功した。

 

 そう、やっと俺はアズに自画像を描き始めてもらえたのだ!

 

 扉を開けられた瞬間、俺は前回の『うん!今日のアウトの顔じゃダメだね!今日はモデルは無し!』と言い放たれた言葉を思い出し、少しだけ緊張したものだ。

 

 けれど、アズは扉の前に立つ俺とウィズを交互に見比べると、次の瞬間には満足したような表情を浮かべて言った。

 

『アウト、僕の見たかった顔はまさに今日のキミだよ』

 

 さぁ、入って。と、そこからのアズの行動は早かった。

 

 俺を椅子に座らせ、何故かウィズの座る場所まで指定し、そこからは無言で俺が何を言っても反応する事なく黙々と絵を描き続けた。鬼気迫る勢いとは、まさにこのような姿を指すのだろう。

 

 そう、俺はぼんやりと思った。

 

 ただ、アズの指定したウィズの座る場所はちょうど、俺の視線の向く先だったので俺はウィズとなんて事ない雑談をして過ごしていたら、いつの間にか、セイブがアズを迎えに来る時間になっていた。最初は何時間もジッとなんてしていられるだろうかと心配していたのだが、そんな心配不要だった。

 

 それもこれもウィズが居てくれたお陰。

 

 それをアズも悟ったのだろう。その帰り際、アズは自然とセイブに肩を抱かれながら『出来れば次回も、ウィズ先生と来て欲しいね』と笑顔で言った。俺も同感だ。ウィズが居なければ暇で死んでしまいそうだ。

 

 ただ『ウィズ先生も一緒に』の所で、アズの肩を抱いていたセイブの表情が一瞬ヒクリと歪んだような気がしたが、まぁ、気のせいかもしれない。ありもしない“ぎょうかん”の深読みは良くないな。

 

「なぁ、ウィズ。本当に来週も一緒にアズの所に行ってくれるか?」

 

 俺はいつもの止まり木に止まって、ニッコリ笑顔で眠りにつくファーを撫でながらウィズに尋ねた。あぁ、このフワフワした羽の温もりも久しぶりだ。

 可愛い可愛い、俺のファー。

 

「そうだな……」

 

 そんな俺に、ウィズはファーの入っていた木箱を酒場の片隅に片づけ、そして酒場の灯りを1つずつ灯していった。その姿はどうにも美しく、薄暗い光を帯びるウィズは、やはりどこか神聖で、そう。

 

 月のようだった。

 

「お前はすぐに記憶喪失になるから忘れているかもしれないが、まだ俺はこの店の冬支度も、お前の部屋の窓掛も選べていない」

「……じゃあ!」

「来週も、お前の家の前で待ち合わせよう」

 

 ウィズの言葉に俺は「やった!」と思わず大きな声を上げてしまった。そのせいで、それまでニッコリと笑って寝ていたファーの目がキョロリと開かれる。

 

 あぁ、ごめんファー。でも嬉しくて、この喜びは止められないよ。

 

「また朝からでいい?」

「あぁ、また朝から会おう」

 

 そう、まるで秘密の約束事のようにそっと紡がれる言葉に、俺は心の中が一面花畑になったような気がした。そこに咲く花は、冬の寒さにも負けないという“冬の少女”。

 何故今になってその花が心の中に咲いたのかは、俺にも分からない。けれど、俺の中の喜びを表すために咲いてくれたのは確かだ。

 

 こうして、俺とウィズが共に来週の約束を交わした時だ。

 

 カンカンカンと、酒場の階段を騒がしく下りてくる複数の足音を俺は聞いた。

 あぁ、足音の数と、そして微かに聞こえてくる騒がしい話声で、俺はそれらが誰のモノであるか理解した。

 

「おーい、居るかー?」

「邪魔するぞ。ウィズ」

「あー、重かったー」

 

 カランと、酒場の戸が開け放たれると同時に、いつもの3人が続々と店の中へと入って来た。皆思い思いの休みを過ごした後なのだろう。アボードは既にどこかで飲んで来たのか、その顔は既に赤く、トウは微かに髪の毛が濡れている事から今日も一人で訓練でも勤しんでいたに違いない。

 

 そして、バイは。

 

「ったく、重い重い!すっげー重い!アウト!すっげー重い!」

 

 何やら紙袋をその手に抱え、何故か俺に対して恩をうるかのような声色で何度も「重い」を繰り返していた。

 到着早々、一体何なのだと言いたい。

 

「来たな」

「おうおう、来てやったぜー。マスター!さっそく酒をくれ」

「アボード、お前既に大分飲んでるだろう」

「飲み足りねぇんだよ!」

 

 アボードは若干の酔いを孕みながら、しかし心底機嫌の良い様子でいつものカウンターの席へと向かう。それに習ってトウも額に少しだけ残っていた汗を腕で拭いながら、あとに続いた。

 

「さて……」

 

 ならば、俺もそろそろ酒の準備に入らねばな、と最早この酒場の店主のような気持ちで先程まで触れていたファーから手を離した。

 

 そう言えば、アバブに教本の続きを借りた事を、バイに報告しなければ。そしたら、きっと今日は俺の家に泊まっていくと言って聞かないに違いない。

 俺は想像に難くないバイの行動を思い浮かべ、思わず笑ってしまった。今日は二人で徹夜で教本の続きを論じる事になるだろう。

 

 バイには悪いが、今日もルビー飲料で我慢してもらおう。

 

「なぁ、アウト。ソイツ……」

 

 俺が振り返ると、既に俺の隣にはバイが立っていた。その目はどうやらファーへと向けられているようで、俺はそういえばバイは初めてだったなと思い至った。

 

「あぁ、バイ。今日は色々とお前に報告しなきゃいけない事があるんだよ!けど、まずバイにはこの子を紹介しよう!色々と注意点もあるから、きちんと聞くように!」

「…………」

 

 俺が少し得意になってバイにファーの全てを教えてやろうと胸を張る。ファーは珍しい鳥で、なかなかその辺ではお目にかかる事は出来ない生き物だから、きっとバイもこの見た目に驚いているに違いない。

 その証拠に、先程からバイは黙ってファーを見つめている。

 

「大丈夫、見た目は少し怖いかもしれないけど、すぐ慣れるよ。すぐ可愛く見えてくるから安心しろ!」

「こいつ、フクロウ……だよな?」

「なに?知ってたの?そうそう、フクロウ。でも名前はフクロウじゃなからな!フクロウって呼んだら可哀想だから、ちゃんと名前で呼んでやって」

「なんて、名前なの」

 

 俺は互いにジッと見つめ合うバイとファーに、なんだか面白い気持ちになっていた。そりゃあそうだ。いつもはうるさいバイが、なんだかファーを見る目は大人しいのだ。きっと、フクロウは知っていても、こんな至近距離で見る事は滅多になかったろうから、珍しくて仕方がないのだ。

 俺だって最初にファーを見た時はそうだった。

 

「この子の名前はファー!俺が付けたんだぞ!それがさぁ、最初はこの子、ウィズが名前をつけてやってないから名無しだっただぜ?酷いだろ?それを俺が――」

 

 そう、俺がファーとの最初のアレコレをバイに説明しようとした時だった。突然、バイは持っていた荷物を地面に放り投げるように離すと、俺の肩をその両手でしっかりと握り締めてきた。

 

 あれ?何この感覚。前もこんな事、なかっただろうか。

 

 

——–イン!やっと会えた!俺だよ!フロムだよ!

——–ずっと、会いたかった……イン!

 

 

 グルリと回る記憶の歯車。

 ただ、ずっと記憶の歯車を回している事は、さすがに出来なかった。現実の歯車も、そりゃあもう凄い勢いで回り始めていたのだから。

 

「っとと」

 

 バイから与えられた衝撃で、俺は一瞬後ろに倒れ込みそうになる。しかし、それをさせなかったのは、俺の肩に手を置いて来たバイ自身だった。それはすなわち、俺はバイによって引っ張られたという事。

 

 バイに抱きしめられたのだという事だ。

 

 そんな俺達の行動に驚いたのか、それまで大人しかったファーが勢いよく羽をバタつかせた。ついで、ファーの羽ばたき音にウィズ達の視線も一気に此方に集まっている。

 

「えっ!何!?どうした?バイ。ファーが怖かったか?大丈夫、ファーは見た目は最初怖いけど、すっごく良い子さ。どこを触ったら喜ぶのかも教えてやるから。落ち着けよ」

「……つき」

「なに?どうした?」

 

 俺に抱き着くバイの腕の力はどんどん増していく。それはもう俺を絞殺さん勢いで。そして、俺の耳元でバイはハッキリと、しかし苦し気に言葉を放ち始めた。

 

「嘘つき、嘘つき、嘘つき。マナが無いなんて嘘つきだ。やっぱり、そうじゃん。ずっとそうじゃないかって思ってた。なんで、あんな嘘つくんだよ。怒ってるの?俺が、私が、私のせいで、あんな最期だったから、ねえ」

——–おにいちゃん。

 

 おにいちゃん。

 そうバイは今ハッキリと俺に向かってそう言った。その瞬間、俺の頭の中に浮かんだのは、ここ最近幾度となく口にしてきた言葉だった。

 

 

「俺、弟はアボードだけなんだけど」

 

 

 そう、どうにかこうにか呟いた俺の言葉が、ヒクヒクと大いに涙を流し始めたバイに届くのは、まだもう少し先のようだ。