この世界の人々は、いつも“誰か”を探している。そして、探している“誰か”は、その人にとっては特別な人でも、他者から見れば、きっとどこにでも居る“普通の人”だ。
そして、そんな俺も、どこにでも居る“普通の人間”。
ただ、唯一多くの人と異なるのは、前世の記憶を持たない事。
そのせいで、俺はいつも他者の望む“誰か”の入れものになってしまっていた。
普通に生きて、普通に話して、普通に行動しているだけなのに、誰かにとって“ソレ”は特別な“何か”になってしまうのだ。
——–なぁ、お前ってもしかして、
——–私のこと覚えてる?私は、
——–あの時、お前こう言ってたよな、
何度も繰り返された期待と落胆。
子供の頃はそれが特に酷かった。子供故、下手に誤魔化す事も出来なかった俺は、前世の話になると途端に口を噤んでいた。そのせいで、相手には下手な希望を与えてしまい、俺は“誰か”の型へと嵌められてきた。
その挙句に違うと分かったら勝手に落胆して、怒って、喚いて、最後には俺の傍から離れていく。あぁ、勝手だ。皆、本当に勝手。
——–さぁ、今日はやっとアナタが私の息子になる日ね。行きましょう。
あの日、俺は全てを諦めた。
10歳やそこらだった俺は、あの日以来“嘘”を吐く事を覚えたのだ。そうしなければ、自分も相手も守り切れなかった。だからこそ、作り上げた“おはなし”だったのに。
「今度は“お兄ちゃん”だってさ。どんなに違うって言っても信じて貰えない。もう周りを傷付けなくて済むようにと思って作った嘘だったのに、その嘘のせいで、俺はまた周りの人を傷つけてる。こんな自分、もう嫌だ……。俺の中には、“俺”以外俺は居ないのに」
「……アウト」
俺は行儀が悪い事を承知で、片手に酒を握り締めたまま、長椅子の上に足を乗せ膝を抱えた。隣からは、少しだけ声のトーンの落ちたヴァイスの声が、空気を震わせ俺に届けられる。
「アウトは“前世”が無くて悲しい想いをしてるの?“前世”の事を覚えていたら、そんな悲しい顔しなくて済む?」
「……違う、と思う。いや、分かんないんだけど。俺のこの気持ちは、確かに“前世”がないせいで生まれてるものだけれど、きっと“前世”があっても、今度は別の悲しい事があるだけだと思うんだ」
だって、皆そうだ。俺とは別な所で、皆悲しそうにしている。その理由を知る事は、どうしたって俺には出来そうにないけど。
「アウト。僕は神官だから、キミが望むのであれば、キミの手助けが出来るかもしれない。ねぇ、アウト。キミが望んでさえくれれば……言ってさえくれれば、僕は、」
ヴァイスは俺の目をしっかり見つめながら、自身の手を俺の下腹部へとソッと近づけてきた。
そこは、人間のマナが集まるところ。前世と今世を繋ぐ架け橋が、そこに眠っている。
——–あぁ、またこの世に罪人の魂が生まれ出でてしまった。
近づいてくるヴァイスの手に、俺は一瞬頭の中に鮮明に響き渡る言葉を聞いた。
「っ!」
バシン!!
その瞬間、俺は近づいてくるヴァイスの手を勢いよく叩き落としていた。意思よりも早く動いたその右手に、ヴァイスはおろか、俺ですら掌に残るジンとした感覚に戸惑いを覚えるしかなかった。
俺は一体何をしているのだろう!
「ごめん!ヴァイス!」
俺は長椅子の上に持っていた酒瓶を置くと、ヴァイスの叩き落としてしまった手を両手で包み込んだ。包み込んで、俺はまるで祈るように許しを乞う。ヴァイスは何も悪くないのに、こうして自分自身の行動すら掌握できない自分が嫌になる。
「ヴァイス、ごめん。俺、もう本当にこんな自分が嫌だ」
「アウト……謝らなくていいから」
「ごめん、ごめんなさい」
まともにヴァイスの顔も見れない。項垂れて包み込んだ手に額をくっつけて目を閉じる。
もう、もう、もう。俺は一体どうすれば自分の大事な人たちを“俺”から守れるんだろう。
俺は、分かっているんだ。
あの日、たくさんの大きな手で無理やり体を暴かれた時に言われた言葉。
——–あぁ、またこの世に罪人の魂が生まれ出でてしまった。
——–異端者は世界を乱す罪人である。
——–穢れを払わねば、お前は周りを不幸にする。
あの時言われた沢山の言葉が、深く心に刻まれて離れないのは、“あの言葉”が時代錯誤で荒唐無稽なモノとは言い切れないからだ。俺は彼らの言った通り確かに“異端者”であり、周囲をかき乱し、大切な人々を傷付けている。
“あの行為”がそれを是正させる為のモノだったとは到底思えないが、もしかしたらアレはその罰だったのかもとすら思う。
でも、ならどうして俺は“俺”として産まれてきてしまったのだろうか。そんなに俺は “前世”で悪い事をしてしまったのだろうか。
だったら、今世の俺は一体何をしたらいい?わからない。もう、何もわからない。
「アウト、今の気持ちを言ってごらん?」
ヴァイスの美しい声が、まるで歌うように俺に語りかける。その歌声のような語り口に、俺はとうとう吐き出してしまった。
「ヴァイス……助けて」
あぁ、何を言っているのだろう。俺はヴァイスに許しを乞うていた筈なのに。俺はヴァイスの暖かい手の温もりを両手で抱えたまま、何故か助けを求めてしまっていた。
何から、どうやって助けて欲しいのか。言ってる自分ですら分からない。
分からないまま、けれど俺は胸の奥から湧き上がってくる感情を止める事は出来なかった。
「アウト。僕のお気に入り。僕に君を救わせてね」
「ぇ」
その言葉に、俺は思わず俯いていた顔を上げた。目の前には無邪気な笑みを浮かべるヴァイスの顔。そして、次の瞬間には、俺はヴァイスにそっと口付けをされていた。
「っ!」
ただ、すぐに離れていった柔らかいソレに、俺は一瞬何が起こったのか理解できなかった。
そして、理解するよりも先に、俺の下腹部にヴァイスの掌が触れる感覚が走った。それこそ、先程のような嫌な記憶を思い出す暇すらない程、俺の頭の中は真っ白だったのだ。
「あれ?」
そう首を傾げ呟いたのは俺か、それともヴァイスか。最早そんな事すら分からない程、俺の意識は酷く曖昧だった。ただ、最後に俺の耳に聞こえてきた“声”は、何故だか呆れたような口調でこう言った。
——–アウト、お前は本当にもっとしっかりしろ。もっと、警戒心を持つんだ。そうでなければ、とんでもない事に巻き込まれてしまうぞ。
あぁ、俺の心の中のウィズ。わかってるよ。もっとしっかりする。だからさ、怒らないで。けど、出来れば俺が変な事に巻き込まれないように、ウィズがずっと見ててくれると安心だよ。
ねぇ、ウィズ。