151:ひどいやつ

「俺の弟は、俺の兄弟は、この世でアボードだけだと何度言えばわかる?」

「やめてくれ、アウト。それ以上言うな」

 

 俺の言葉に冷静さをギリギリ保たせながら、しかし震える声でハッキリと口にするトウ。あぁ、トウが怒っている。チラと視界の端に映った男を見て、俺は思ったよりも冷静にそんな事を思っていた。

 

「なんでだ?どうして、どうして言ってはいけない?本当の事だ。どうしてお前らは俺の事を“イン”だ何だと好き勝手言ってくる癖に、俺は、俺達は、俺とアボードは!どうしてそれを言っちゃいけない?」

「……アウト。それでも、だ。言うな」

 

 言うな。

そう言われても俺は止まらない。俺は言う。言うために此処に来たのだから。

 

「なぁ、バイ。俺はお前の“お兄ちゃん”じゃない。俺はアボードの“お兄ちゃん”だ。もうお前の“お兄ちゃん”扱いにはウンザリなんだよ」

「っっっう」

 

 バイの呼吸がおかしい。バイの隣では、俺を射殺さん勢いで睨みつけるトウ。これは、自分の“大切”を傷付けられ、貶められ、頭に血が上りかけている男。

 こんな男に一発でも本気で殴られたら、俺はそれでおしまいだろう。

 

「お前が俺をお兄ちゃんと呼ぶ度、アボードがどんな気持ちか、お前は考えた事があるか?アボードは皆の兄貴かもしれない。お前にとっても頼りになる“兄貴”だろう。けど、アボードは俺の弟だ。俺はアボードだけの兄だ。俺はお前なんか知らん。お前が妹だった時の記憶なんかない。俺をよく見ろ!バイ!お前の優しい“お兄ちゃん”はこんな目でお前を見たか!?俺はこれからもっとひどい事をお前に言うぞ!」

「アウトッ!!!」

 

 カウンターの奥から長い長いトウの腕が何の苦もなく俺の胸倉を掴んでくる。

あぁ、苦しい。これは胸倉を掴まれて苦しいのか、そもそも体調不良で苦しいのか、ゼツラン酒に殺されかけて苦しいのか。もう、全然分からない。

 

「アウト、お前!それ以上言ったら、俺はお前を許さない!絶対にだ!」

「は。なんで俺がお前の言う事なんか聞かなきゃならないんだよ。俺はお前の部下でもなければ、お前は俺の上官でもないだろう」

 

 苦しくてふらつく体を抱え、けれど視線だけは絶対に揺らつかせなかった。構えられた大きな拳だって怖くない。

 

 だって俺は酒に酔っているから。全然、平気。怖くない。

 そう、俺がトウからの拳を、睨みつけて来る鋭い眼光を受け止める覚悟をした時だった。

 

「……やめろ」

「……っバイ」

 

 震える声が俺達の耳に入り込んできた。もう殆ど泣いているようなその声に、それまで俺を殺そうとする意思さえ垣間見えたトウの瞳が一気に揺れた。揺れ、視線が隣に座るバイへと向けられる。

 

「やめて。フロム。おにいちゃんに、ひどいことしないで」

「……に、ニア?ニア、お前……気付いて」

 

 俺の胸倉からソッとトウの手が離れていく。そして、バイの憔悴したような目が、今になってやっとトウを捉えていた。それは、逸らされていた目が、逸らされ続けていた気持ちが、やっと前を向いた瞬間だった。

 

 バイも、ずっと気付いていた。トウがフロムだと。フロムはトウだと。

 

 気付いているのに、何も言わなかった。愛しているのに、何も言わなかった。まるでアバブの描いた“教本”そのものだ。

 物語としてなら、あれは良い。素晴らしい。美しい。健気で共感を産む。涙すら流れるかもしれない。いや、実際アレを読んでバイは泣いていた。

 感情を丸ごとあの本の中へ溶け込ませた。

 

——-わかる、わかるぜ。その気持ち。

 何分かってんだ。お前。分かってんじゃねぇよ。バイ。

 

 けれど、現実世界であの話が本当に起こっているのだとすれば、それはどうだろう。

 素晴らしいか。美しいか。健気で共感を生めるか。涙を流して感動出来るか。

 

「……はっ」

 

 あぁ、こんな話、3巻まで続かせてたまるものか。

 そんなの、俺がついて行けなくなってしまうではないか。

 

「そんなの許さん」

 

 俺は残りのゼツラン酒に一気に口を付け、ゴクゴクと、喉をリズミカルな打楽器のように鳴らして飲み干した。

 

「っぷは!!!」

 

 俺は、空になってしまった瓶をカウンターの内側へと勢いよく投げ捨てると、更にフラつきの強くなった体をどうにか必死で支えた。

 カランと激しいガラスと地面がこすれる音が響き渡る。いよいよ、頭が上手く回らなくなってきた。

 

 明日の夜勤は大丈夫だろうか、なんて考える余裕もない。

 

「あぁ、あつい」

 

 ふらつく体を必死で立て直し、俺はカウンターの内側から皆の居る外へ出る。

なにやら視界の端で甚く顔の良い男や、俺の弟のような男が何かを言っているが、それもよく聞こえない。

 

 俺が見据えるのは、ただ一人。

 バイだけだ。

 何かを言いかけては黙る二人の男に、俺は最早嫌気が差しているのだから。

 

「バイ。なぁ、バイ」

 

 カウンターの外に出て俺はバイの肩に手を置く。置いた瞬間、ヒクリと怯えるように揺れる肩に、俺は麻痺させていた心が少しだけ何かをもよおすのを感じた。

 

 あぁ、俺が怖いか。バイ。怖がる必要はない。

 もうすぐ、お前はきっと俺の事なんか大嫌いになるだろう。

 

「俺はインじゃない。お前の事なんかこれっぽちも覚えてない」

「……うるさい!」

「そして、お前ももうニアって女の子じゃない。お前はバイで、北部で傭兵やりながら必死に生きてきた。今は騎士をしていて、フロムではないトウという男の部下だ」

「うるさいうるさいうるさいうるさい!」

 

 一つ一つ、バイを傷付けるように言う。

 一つ一つ、バイに分からせるように言う。

 

 誰も言ってくれなかったであろう事を、俺はハッキリと言った。言わなきゃわからないなら、何度だって言う。

 バイはカウンターの椅子から立ち上がると、先程までの泣きそうな、助けて欲しそうな女の子の目は消して、今は、そう。獣のような目で俺を見ていた。

 

「うるせぇ!黙れ!それ以上言うな!?」

 

 今度はバイに胸倉を掴まれた俺は、それでもやっぱり目だけは逸らさない。

 だって、俺は間違った事は一つも言っていないのだから、逸らす必要なんてないのだ。

 

「お前がどんなに望んでも、もうお前はあの頃には戻れない。時は巻いては戻らない。だから、お前がどれだけ酒を飲んで、どれだけ気持ち悪くなったって、どれだけ吐いたってなぁ!」

「うるさいうるさいうるさい!!それ以上言うな!!言うな言うな!!」

 

 バイの悲鳴にも似た絶叫が店中に響き渡る。バイの手が勢いよく振りかぶられる。もう俺には分からないが、バイの後ろが騒がしい。

 

 

 

「お前のお腹に、赤ちゃんはもう来ない。帰って、来ない」

 

 

 

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