167:ちょっと復讐

 

          〇

 

 

 

「ほう、随分と楽しそうな事をしてるじゃないか」

「っ!!」

 

 

 そう、最早懐かしさすら感じる男の声に、俺はバイとトウに、もみくちゃにされながら、激しく心臓を打ち鳴らした。

 なんだ、これは。心臓がいつもより大きくなってしまったのだろうか。自分の心臓の音なのに、衝撃が凄い。

 

「っオブ!これは、その勘違いだ!」

「ほう」

 

 そして、打ち鳴らしたと同時に、両脇から俺を抱き締めていた方の片翼、トウが身をひるがえして俺から離れる。

 

 さすが百戦錬磨の現場経験を兼ね備えた騎士である。

 その低く、どこか不機嫌そうなウィズの声色に、トウの本能は本当に見事に正解を選び抜いたと言える。

 

 それなのに、だ。

 

「ちょっ、まっ!おい!バイ!いい加減やめろ!?」

「なんで?」

 

 そう、どこか悪気なくケロッと言ってのけるのは、未だに俺の額や頬や鼻の頭などに、盛大に口付けの嵐を降らせるバイだ。

 本当に、一体バイはどうしたと言うのだろう。まさか本気で俺を“坊や”扱いし始める気ではないだろうな。

 

「おいっ!バイ。そろそろ俺達は帰った方がいいんじゃないか」

「なんで?お前だけ帰れば?俺も今日ここに泊まる。アウトと寝る」

「おいおい、バイ。いや、ニア?説明しただろう。ウィズはオブなんだ。だから、その。ほら、分かるだろ?」

「なんで?なんで?アウトはお兄ちゃんじゃないじゃん」

 

 末っ子恐るべし。

 こうも本能のままに「なんで?」を連続で口にし、周りの状況などどこ吹く風で行動出来る命知らずな姿に、俺はバイの腕の中で小さく震えた。

 なにせ、俺達を見つめるウィズの表情が、どんどん冷たく氷付いて行くのが分かるのだ。

 

 トウは正しい判断を下した。俺は何をどうするのが正しいのだろうか。

 考えろ、考えろ、考えろ。

 

「いや、分からん!」

 

 俺は一瞬にして思考を放棄すると、緩くなったバイからの拘束から逃げ出し、ともかくウィズの方向へと逃げた。

 何が悲しくて年下の男から口づけをされ続けなければならないのだろう!付き合ってられるか!

 

「あ!なに逃げてんだよ!アウト!」

「逃げるわ!?なんだよ!急に何なんだ、バイ!なんで!急に、く、口付けしてくるんだ!おかしいよ!お前!復讐か!?嫌がらせか!?」

 

 叫びつつ、先程までバイにされていた行為に、俺は改めて顔に熱結石でも当てているかのような感覚に陥っていた。普通に、恥ずかしい事この上ない。

 

「なんだよ復讐って!さっき言っただろ!お前が可愛い坊やだから口づけした!ただそれだけだろうが!」

「坊やって言うな!?」

「なになに?照れてんのか?お前って本当に可愛いな!?可愛いよ!抱きしめたい!」

「っひ!」

 

 可愛い!と口にするアボードの顔は、今までと変わらず女好きする眉目なのは変わらない筈なのに、どうしてだろう。

 その口調は、今まで通り女性達に向けていた軽薄なモノと何ら変わらない筈なのに、バイの顔にはハッキリと「本気です!」と書いてあるようだった。

 

 そう、バイは俺を本気で、心から「可愛い!」と言っているのだ。それが、どうにも理解し難く、俺にとっては恐怖でしかなかった。

 

「なっ、なっ、何が!何があった!?なんで!?」

 

 もしかしたら、また口づけの嵐に会うかもと、俺は思わずバイから距離を取るべく、隣に立つウィズの背に隠れた。

 ウィズならなんとかしてくれる。俺の汚物も吐物もなんとかしてくれたのだ。

 

 きっとバイだって何とかしてくれる筈である。

 

「別に俺は親を恋しがっちゃいねぇよ!一人で寝れるから、寝物語もいらん!」

「……寝物語、だと?」

 

 その俺の叫びに、それまで俺とバイのやりとりを静かに聞いていたウィズが、今まで以上に低い声で呟いてきた。

 そして、自分の背後に隠れた俺の腕を無理やり掴むと、勢いよくウィズの眼前へと引きずり出されてしまった。

 

「おい、アウト。起きて早々、寝物語とは一体どういう了見だ。お前はどこまで多情になれば気が済む」

「えっ、何の話!?」

「俺は、もうお前のその、何も知りませんという顔にはウンザリだ。本当は全部分かった上で、俺を弄んでいるんじゃないだろうな」

「ごめん!?本当に何の事だかサッパリなんですけど!?」

 

 なになに、一体なに!

 あの稲妻の如し怒りの雷を落としてきたウィズ程ではないが、今、目の前に立つウィズも十分に怖い。いや、どうしてこんな状態になっているのだろうか。

 俺はウィズに対し、謝罪と感謝を、何を先に置いても伝える筈だったのに。

 

「ねぇ、オブ。……いや、ウィズか」

 

 そんな、混乱の最中にいる俺を他所に、突然バイがニコリと笑いながらウィズの名を呼んだ。

 

「……なんだ、ニア。いや、バイだったな」

 

 なに、この回りくどい訂正を含めた名前の呼び合いは。

聞いていて面倒くさい上に、物覚えの悪い俺は固有名詞が複数出てくると混乱するので、止めて欲しい。

 只でさえ、アバブの教本の2巻は登場人物も増えて混乱の極みだったというのに。現実世界でまで、同じような混乱を招かないで欲しい。

 

「俺、アウトの事で、お前に言っとく事があるんだわ」

「なんだ」

 

 それまで「かわいい!」と謎に高い気性で声を上げていたバイが、今この瞬間、現場経験豊富な騎士様の声へと様変わりしていた。そんなバイに、挑むような視線を受け止め返すウィズ。

 

「……バイ、お前」

 

 俺をこの境地に追いやったのは確かにバイだが、ここから救ってくれるのも、もしかしたらバイなのかもしれない。

 そう、僅かばかりの期待を込めて、俺がバイと視線を絡ませた時だった。

 

「アウト。お前、さっき俺に復讐か、嫌がらせかって聞いてきたじゃん?俺、お前が可愛くて仕方ないのも本気だし、抱きしめていたいのも本気。嘘じゃない。でも、ここからは……ちょっと復讐で、ちょっと嫌がらせ」

「は?」

 

 笑顔のバイ。呆ける俺。

 そして、次の瞬間、バイの口から飛び出した言葉に、俺は大いに目を瞬かせる事になる。