169:言葉を賭す時

 

「俺は“イン”じゃないんだぞ!俺にそんな事しても!俺はインじゃない!俺はお前に何もしてやれないんだ!幸福にはしてやれないんだっ!俺はお前の求めるモノにはなれないっ!だって、俺は“アウト”でしかないからだ!俺には、お父さんがくれた“アウト”しかない!」

 

 俺は叫びたいだけ叫ぶと、いつの間にか緩んでいたウィズの拘束から、腕をスルリと抜け出させた。そして、そのままトウやバイの隣をすり抜け、ベッドへと飛び乗る。

飛び乗ったかと思うと、そのままベッドの上でグシャグシャになっていた毛布を、ガバリと頭からかぶった。

 

「……はぁ、はぁ」

 

 叫んだせいで、呼吸が乱れる。それに、心臓が体の半分くらいになったのではないかというほど、体全体に心臓の音が響き渡る。どきどきする。

 

 これではまるで子供のようではないか。

 けれど、もう真正面からウィズの顔など見る事が出来ない。先程、トウに対してしたように、今回もまた目を背けた。

 自分のしでかした行動に、自分で口にした言葉に、俺は向き合う事が出来ない。怖くて怖くて、本当は逃げ出したいくらいなのだ。

 

「……アウト?」

 

 バイの声が聞こえる。

 俺の名前を呼んでいる。“アウト”と呼んでくれている。けれど、本当のところは分からない。まだ本当は“お兄ちゃん”だって思ってるのかも。他人の気持ちなんて、想像は出来ても、本当の所を知る事は、絶対に出来ない。

 だって、自分だってたまに分からない時があるのに。

 

 そんな事を思ってしまう自分に、心底嫌気が差す。

 

「バイ、アボード。俺達は一旦出ようか」

「だな」

「でも、アウトが」

「マスターの事だ、上手くやんだろ」

「アウト……?」

 

 心配そうなバイの声が俺に向かって放たれる。けれど、俺はもう返事も出来ずに、くるまった毛布の内側で、柔らかい布をギュッと握り締める事しか出来なかった。

 ごめん、バイ。今はもう心臓がうるさくって返事も出来そうにない。

 

「ほら、俺らは店で勝手に酒でも飲ませてもらってるからな」

「……アウト」

「大丈夫だっつーの。じゃ、マスター、説教よろしく」

 

 部屋の中で、俺とウィズ以外の声が聞こえる。どうやら、皆、部屋から出て行ってしまうらしい。ウィズと俺を置いて。

 俺は真っ暗な布団の中で、ともかくドッドッドッと重く鳴り響く心臓の音を聞きながら、息をひそめた。

 俺はウィズから説教を受けるのだろうか。受けてしかるべきだろう。嫌われてしかるべきだろう。

 

 ガチャリ。

 

 そう、静かに閉じられた扉の音と、少し遠くから聞こえる皆の声に、俺は完全にこの部屋にウィズと取り残されてしまった事を知った。

 

「…………」

「…………」

 

 けれど、俺もウィズも口を開かない。嫌な沈黙が部屋の中に流れる。

 

「…………」

「…………」

 

 静かだ。

 いや、もしかしたら、さっきウィズも皆と一緒に出て行ってしまったのではないだろうか。これは単に今、俺が一人でこの部屋に居るだけの、静かな空間になっているんじゃないだろうか。

 

「…………」

 

 そう、かもしれない。ウィズは、こんな面倒な、大人なのに子供のような俺が嫌になって、皆と一緒に酒を飲みに行ったのかも。

 俺は余りにも長い事貫かれる沈黙に、急に不安になると、もぞもぞと動いた。

 動いて、そっと布団の隙間から顔を出して、

 

 

「っ!!」

「……何故、ここでそんなに驚く」

 

 居た。

 ウィズはベッドの横に置いてあったおしゃれな椅子に、いつの間にか腰かけて俺の方を見ていた。ずっと、目を逸らさず此方を。

 そのせいで、顔を少し出しただけで、俺はバッチリとウィズと目が合ってしまった。

 

「誰も居ないかとおもった」

「どうしてあの会話の流れでそうなる」

 

 ウィズは疲れたように右手で目元を抑えると、組んでいた足をスッと投げだすように座り直した。

 

「多分、今のお前には、今の、この俺がどう言葉を賭して伝えたとしても、伝わるまいと思った。だから、今は何も言わない事にした」

「……ウィズは、もう、諦めた?」

——–俺に、伝える事。

 

 俺は布団から顔だけを出した、どう見ても間抜けな格好のまま、ベッドの隣に掛けるウィズをチラリと見た。

 どうやら、もうウィズは怒っていないらしい。俺に怒る事も、もう止めてしまったのだろうか。

 

「多分、お前はまた変な勘違いをしているだろうから、そこだけは訂正しておく。お前が思っているような理由で、俺はお前に伝えようとしない訳でも、怒らない訳でもない」

「…………?」

「今の、言っても伝わらない“お前”を作ったのが、他ならない俺達、ひいては俺だからだ。本当なら、お前はきっと素直に相手の言う事を信じられる人間の筈だった。その心を奪ったのは、間違いなく“俺”だ」

「ウィズ?」

「言っただろう。“今”のお前に伝えないだけだ、と。そして、“今”の、この中途半端な俺でもまた、きっとお前を納得させる事はできない。俺は、もう無為なすれ違いを起こす事だけは、避けたい」

 

 ウィズが難しい事を話している。俺は愚かな人間なので、ウィズの口から必死に紡がれるソレを理解はできない。出来ないけれど、ウィズから“言葉”を貰った。伝えたいという気持ちを乗せた、大事な言葉。

 貰ったら、きちんと返さなければならない。もしかしたら、俺が放つ言葉は、とんでもなくズレた言葉かもしれないけれど、投げて貰ったもののお返しは、きちんとしなければならない。

 

「待ってるよ」

「……アウト」

「じゃあ、俺。待ってる。ウィズが言ってくれるまで」

——-ずっと、待ってる。

 

 俺の言葉に、ウィズは大きく目を見開くと、そのまま上半身を折り曲げ、肘を膝で支えながら頭を抱えた。

 そのせいで、俺からはウィズの顔が見えなくなってしまった。今、ウィズは一体どんな顔をしているのだろう。

 

 けれど、次にウィズの口から飛び出した言葉に、俺はやっとウィズの気持ちの一端を掴む事が出来た。

 

 

「はぁっ。お前が無事で、本当に良かった……」

 

 

 ウィズの言葉に、俺は何故か胸がいっぱいになるのを感じると、ウィズと同じように顔を隠す為に、もう一度布団の中に潜り込んだ。

 

 

 あぁ、何故だろう。まだ、どきどきする。

 

 

 

 その後、俺はウィズから寝物語を聞いた。

 それは、それは、とても素敵な、ある男の子の冒険譚だった。しかも、ファーというフクロウまで出てくる。そのお話を聞きながら、俺はまたしても、いつの間にかコトリと意識を失っていた。