俺がゼツラン酒で昏倒してから、早1週間が経った。
「ひまだ」
そう、俺は未だにウィズの店のベッドから出して貰えない、つまらない時間を日々刻々と無為に過ごしていた。もう十分元気だと思うのだが、未だにウィズからの帰宅の許可、仕事の許可はおろか、外出の許可すら下りていない。
俺はいつの間にかコクリと寝こける赤ん坊のような毎日を、ウィズから手厚く手厚く世話をされながら生きていた。
——–ウィズ、そろそろ俺、家に帰ろうかな?
——–さて、お話をしてやろう。寝ろ。
——–ウィズ、そろそろ俺、仕事に行かないと。
——–ほら、ファーを連れて来てやったぞ。
——–ウィズ、外を散歩してきていい?
——–さぁ、この部屋の窓掛を替えるのを手伝ってくれ。
あぁ、俺は何時になったら普通の生活に戻れるのだろうか。
そう言えば、此処がウィズの酒場ならと思い、ダメ元で酒を頼んでみた事もあったが、いや、あれは口にした事を後悔せざるを得ない程のウィズの鋭い視線でぶち抜かれてしまった。
——–ウィズ、ちょっとだけ酒とかって……
——–あ゛?
——–すみません、冗談です。
あの時のウィズの顔は、思い出すだけでも心臓がギュッと握りつぶされるような心地だった。もしかして、俺はもう二度と酒を飲ませて貰えないのではないだろうか。
そんな、実にあり得そうで、しかし受け入れがたい事実から、俺は目を背けるように顔を勢いよく振った。
振った矢先、部屋の扉の奥から、なんだか聞いたような声が響き渡るのを、俺は耳にした。そして、次の瞬間には部屋に一陣の風が勢いよく舞い込んできたのであった。
「やぁやぁ!やってくれたね!アウト!記憶にないだろうけど7日ぶり!」
〇
「ヴァイス?」
俺は突然部屋に舞い込んできた突風に、目を瞬かせながら、けれど自然と笑顔になるのを止められなかった。
「そうさ!僕はヴァイス!いやぁ、まさか、あのゼツラン酒を高熱の中一気飲みするなんて、さすがは僕のお気に入りだよ!この石頭から、伝石でけたたましく呼び出された時には、もう何事かと思ったさ!」
「えっ!?あの時、ヴァイスも来てくれてたの!?」
「そうさ!僕は神官の中でも医神術に精通しているからね。専門家ってやつだよ!まぁね、僕が駆け付けた時には、既にアウトは昏睡してるし、痙攣してるし、最早時既に遅しかと思って、僕は悲しみの余り、持ってた酒瓶を落としちゃったよ!」
「俺の治療に呼ばれたのに、酒瓶を持って来てたの!?」
「ははっ!冗談だよ!」
「嘘を吐け。実際持って来ていただろうが」
「……黙れよ、この石頭!」
ヴァイスが顔に満面の笑みを浮かべたまま、隣に立つウィズに悪態を吐く。いや、いつ見てもこの二人は良いペアである。
「ヴァイスもごめんな。迷惑かけて」
「いいや。アウトは僕のお気に入りだからね!何かあったら全身全霊で助けに行くのは、当たり前の事さ!」
言いはしないが、俺が最もひどい状態の時にヴァイスが呼ばれたのだとすれば、きっと俺の姿は酷い有様だった事だろう。それに対し、何一つ触れずに笑顔を向けてくれるヴァイスに、俺は心からホッとした。
いや、もう本当に今後、酒の飲み方に関しては無茶をするのは止そう。
「飲んだくれ。お前のその、よく口にする“お気に入り”と言うのは、一体なんだ。何のつもりだ」
「なんだい?石頭?じゃあ逆に聞くけど、キミは“お気に入り”という言葉を一体どういう時に、どんなつもりで使うって言うんだい?僕は是非聞かせて欲しいね」
「屁理屈を言うな!」
「ははぁん!さては、石頭!アウトが僕の方をたくさん好きになりはしないかと心配してるんだ?そう!焼いてるんだ!あははっ!こりゃあ傑作だよ!石頭が焼き石頭になった!誰か―!グルフの肉をコイツの頭に押し当てて、美味しい肉焼きを作っておくれよ!」
「…………」
ヴァイス、今日も元気溌剌なようで何よりだ。
俺はヴァイスの言葉に心底苛立ちを覚え始めたウィズに、多少ハラハラとしたものの、このウィズの顔は言う程怒っている訳ではなさそうな為、放っておく事にした。
あの日「お前を殺して、俺も死ぬ」と盛大に殺害予告をされた時と比べるならば、その差は歴然だからだ。きっと、後にも先にもあそこまでウィズが誰かを怒る事は、もうないのではないだろうか。
「……そう、ともいえない」
「え?なになに?どうかした?アウト!」
「いや、なんでもない」
俺の目の前に、急に現れたヴァイスの春風のような笑顔。その顔に、俺は静かに首を横へ振ると、チラとベッドの隣に立つウィズを盗み見た。
「…………」
きっと、ウィズがまたあのような怒り方をする時が来るならば、それは間違いなく“俺”に対してだろう。
あぁ、また俺はウィズにとって気に食わない事をしでかしそうな気がする。いや、進んでやる気は毛頭ないのだが、思い出してみれば俺はウィズを怒らせてばかりだ。
正直、もう今後一切ウィズを怒らせないようにします!とは誓って言う事は出来ない。
「おい、飲んだくれ。俺は貴様を無為に此処に呼んだわけではないぞ」
「もう、分かってるよ。石頭、君は石の癖にせっかちだねぇ。もっと腰を重く構えないと」
「なに?ヴァイスは何しに来たの?」
二人の会話に、俺は何かあったのだろうかと首を傾げてみた。すると、ウィズが呆れたような表情を浮かべ、自身の眉間をコツコツと指で叩いた。
「お前……言っただろう?この飲んだくれは医神術を専門する神官だ。お前が危険な状態だった時、コイツがお前を治療した。今日はその経過観察だ」
「あぁ。経過、観察……でも、もう俺元気だよ?大袈裟だなぁ」
「元気?大袈裟?笑わせないでよ、アウト。キミってば、冗談抜きで内臓器官を構築、連結させるマナがガタガタで本当に危険な状態だったんだよ!それをたった1週間で元気になったよ!は無いでしょ」
「そう、なんだ」
ヴァイスは笑顔のままだが、その時浮かべていた笑顔は、確実にそれまでに浮かべていたソレとは訳が違った。
このヴァイスは、俺の知っている“吟遊詩人”としてのヴァイスではない。
ビヨンド教、皇室国教会の総本山、パスト本会で長いこと医神術に携わってきた男。
人の生死を間近で見て来た“専門家”の顔であった。
「アウト?キミは自分の状態に対して酷く甘い考えを持っているみたいだから、僕が行った治療内容を簡単に説明しておくよ。心して聞くように」
ヴァイスはコツコツと俺のベッドの周りを、ゆっくり歩きながら口を開いた。それはもう、歌うように。踊るように。
けれど、中身はいつもの彼の楽し気な歌とはまるで違う。
あの日の俺が陥っていた、それはもう俺自身の死の間際を歌う、死神の歌だった。