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駅前という場所はとにかく人が多い。
それに、大きな道にたくさん速い何かが走っている。
多くの猫があのとても速い何かに轢かれて死ぬ。
実は、俺はあの速いものの名前を知っている。
車というのだ。
よく、しろに「車に轢かれるなよ」とか「車に気をつけろよ」と言われているので、最近やっと俺はあれが“車”というものだとわかった。
よく母が言っていた。
『人間のたくさん居る場所には近づいてはいけないのよ』と。
今になって思えば、あれは『人間のたくさん居る場所』には同様に、車もたくさんあるから近づいてはいけないという意味だという事に、俺は気づいた。
確かに、あんなものにぶつかってしまったら命がいくつあっても足りやしない。
しかし、車にさえ気を付ければ人間の近くというものは、それほど悪い場所ではない。
人間は俺達猫を見ても、直接何かの危害を加えてくることは少ない。
逆に、猫が好きな人間は多いようで、気まぐれに頭を撫でられる事も多い。
まぁ、しかし、だ。
何と言っても人間の傍に居て最も得をする事、それはやはり美味い食べ物にあるだろう。
俺は、駅前に居るたくさんの人間の足元をかいくぐり、ある場所へと急いだ。
人間は何故だか食べ物を扱う場所や、何に使うかわからないモノを扱う場所を一か所に集める。
一本の通路の両脇にたくさん物を表に出した家が立ち並ぶそこは、頭上が大きな屋根で覆われており、雨が降っても濡れないひたすら大きな家のような場所だ。
聞くところによると、ここは“味坂商店街”という場所で、両脇にある大量にモノを表に出した家を“店”というらしい。
俺は人間の言葉は理解できるが、人間の文字は理解できない。
しかし、たくさんの店の上の方に書いてある文字が、きっとこのそれぞれの店の名前なのだろう事は理解できる。
人間はここで何かを貰ったり、渡したりしている。
何をしているのかは、俺にもよくわからない。
ただ、俺が用があるのはその商店街の脇の通路から入ったゴミを集めた場所だ。
そこは表が食べ物を扱っている店らしく、いつも裏には食べ物のゴミが出ている。
昔、俺がまだ普通の猫だった時からその店のゴミにはお世話になっている。
『お腹すいたなぁ』
俺がポツリと一人ごちると、どうやらそこには先客が居たようで、既にゴミ箱の蓋の周りにはゴミが散らばっている。
薄暗いそこから数個の光る猫の目が俺の存在を認識する。
『やぁ、俺もごはんを貰ってもいいかい』
そう、俺が他の猫達に声をかけると、そこにいた数匹の猫達は一斉に警戒体制に入った。
ピンと髭を広げ、状態を前かがみにして俺を睨んでいる。
俺は、何もする気はないのだが。
『ばけものだ』
『ばけものが来た』
『逃げろ』
猫達は口ぐちにそう言うと、勢いよくその場から散って行った。
俺が変な猫になった事は、特に誰にも言っていないのだが、ここら一帯の猫には知れ渡っている。
いつまでたっても年を取らず、死なない猫。
それを猫達は本能で警戒してしまっているようだ。
俺はまたしても人間のように「はぁ」と溜息をついてやると、目の前の散らばったゴミに目を向けた。
まったく、あいつらは人間のゴミを漁るルールというのをわかっていない。
人間は頭の良い生き物だ。
こんなに汚く散らかしてしまっていては、そのうち人間は俺達猫がゴミを漁っている事に気付いて、ゴミを漁れないようにしてくる。
まだ普通の猫だった時の俺が、何度それで餌場を変えなければならなくなったか。
食べる時は散らかさないように、綺麗に食べる。
それさえ守っていれば、ここにあるのはゴミなのだから誰に文句を言われる事もなく、安定的に美味い飯にありつけるのだ。
俺はひとまず散らかったゴミに目をやると、一つ一つ口で拾ってゴミ箱の中へ戻して行った。
その中で美味しく頂けそうなモノは頂く。
この表の店は肉を扱う店らしく、よく肉が入っている。
今日はゴミ箱の中から茶色い鶏肉を何個も見つけた。
これがまた美味い。
人間と言う生き物は食べ物を元あった形から大きくその姿を変えさせる力を持っている。
俺はその力が羨ましくて仕方が無い。
俺にもその力があれば、いつもいつだって美味しいものが食べられるのに。
そう思うが、猫の手ではそれは無理な話だろう。
人間のあの手でなければ。
昔、この店の親父が料理をしているのを、こっそり覗いて見た事がある。
親父はあの人間の5本の指を器用に動かしてせっせと肉を切ったり、たたいたり、何かを振りかけたり、焼いたりしていた。
そのうちに美味しそうな匂いが部屋の中を覆いつくし、俺は思わず涎を垂らしてしまった。
あの2本の腕と、5本の指は、それはもう魅力的だ。
2つ腕が在る事で行動に幅が生まれる。
更に小さな5本の指で、動きに細かさが生まれる。
俺は目の前でみるみるうちに姿を変えていく食べ物に、体中の毛がぶわっとなったのを覚えている。
人間の手が羨ましい。
俺のこの手ではどうあってもあれをやるのは無理だ。
『まぁ、でも食べれればいいか……』
そう、しばらく俺はゴミ箱の中の食べ物を必死に食べながら、同時に散らかったゴミを片付けた。
一つ一つ口にくわえてゴミ箱の中に戻すというのは意外と難儀なもので、俺は食べているのに、腹が減るという、なんとも奇妙な状態に陥っていた。
こういう時も人間の手であれば仕事も早いだろうにと思わずには居られない。
どのくらいそんな事を繰り返していただろうか。
俺はせっせとゴミを口にくわえて運んでいたせいで、大変な事を見落としていた。
見落としていたというより、気付けなかったと言えばいいのだろうか。
俺の背後に居た、あの殺気を帯びた猫の気配に。
『テメェ!化け物がっ!俺の縄張りで何勝手にメシにありついてやがる!!!』
『っ!!ぼす!』
『テメェはとうとう俺の縄張りで俺の許可なく飯まで食うようになったとは、どんだけ偉くなったつもりだ!?あ゛ぁ!?この化け物が!』
目を充血させながらギンと俺を睨んで来たぼすに俺は首をかしげた。
ここは人の多い場所であるが故、常に他地区の猫も暗黙の了解で縄張りにするのを避けていた“共有地”と呼ばれる場所だった筈だ。
しかし、ぼすは今ハッキリと言った。
ここは俺の縄張りだ、と。
『ぼす、ここは共有域だったはずじゃないのかい?』
そう、俺が問いかけた瞬間、ボスはにやりとその口元を上げた。
その姿がまるで人間のようで、俺は腹の毛が逆立つのを感じた。