『テメェ、いつの話をしてんだぁ?ここはもう共有地じゃねぇよ。俺の、俺様の縄張りだ!』
『他の猫がだまっちゃいなかったろうに』
『逆らう奴は全部ひっかいてやった!テメェもこれから俺が首根っこひっかいてやるよ!』
どうした事だろう。
俺は人間の中に交わりすぎて、どうやら猫社会の情報に、相当疎くなってしまっていたようだ。
この商店街の共有地は、俺が生まれた時からずっと変わらず守られ続けた猫達の暗黙の了解だった。
誰も手を出さないし、誰もが手を引かない。
この商店街を中心に広げられた他地区の猫の縄張りの均衡が、ぼすによっていつの間にか崩されていたという。
この、猫社会ではなんとも大きなニュースを俺は今まで知らずに過ごしていた。
『ぼす、そんなに縄張りを広げたってどうしようもないだろう。自分の管理できるところだけで十分じゃないか』
『はぁ!?テメェ何ぬるい事言ってんだ!?馬鹿か!?俺は広いのがいいんだ!広くて自由な場所が好きだ!俺の自由に出来ねぇ場所なんかなくなればいい!俺の自由にならないものなんかいなくなればいい!』
『そんな事言ったって、俺はここでご飯が食べたい』
『だぁかぁら!俺の自由にならねぇもんは無くなればいいんだよ!今、俺の中で一番邪魔で自由にならねぇもん!それはテメェだよ!化け物が!俺がここを取った以上、もうテメェにここで飯を食う権利はやらん!』
『そんなの嫌だ!』
ボスの言葉に、俺は本気で体中の毛が逆立つのを感じた。
今までボスには何度も追いかけられてきたけれど、俺はいつも逃げて来た。
それはボスが俺から奪おうとするものが、俺にとってとてもどうでもいいものばかりだったからだ。
逃げていれば何とかなるものは、逃げて終わらせる。
縄張りとか、メスとか、そういうのは俺が変な猫になってから捨てたものだ。
けれど、俺が一つだけ捨てられないものがある。
それは、
『俺だって美味しいご飯が食べたい!』
『許すか!バァカ!』
そういって「ギャー!」と状態を低くしてボスは戦闘体制に入った。
いつもなら、俺はここで敵意が無い事を示すために尻尾を足の間に挟んで目を逸らす。
けれど、今回ばかりは俺も譲れない。
共有地だったから、俺はここでいつも通りご飯を食べれた。
しかし、ここがぼすの縄張り下に入ってしまったら俺はぼすが許してくれない限り、安心してここでのご飯が食べれない。
というか、ぼすは俺の事が嫌いだから、絶対に俺にこの商店街をウロつかせてはくれないだろう。
人間から貰うご飯はおいしい。
俺は人間に混じって生きているから、いろんな人からご飯を貰う事が出来る。
けれど、此処で食べるご飯はまたそれとは違って捨てきれない。
縄張り争いなんて面倒だ。
けれど。
『ぼす、ここのご飯は俺も譲れないよ』
『ははははは!やっと、やっとテメェもやる気になったか!この化け物が!絶対ここから追い出してやるよ!ばーけーもーの!!』
美味しいご飯を食べる方法が、縄張り争いでしか手に入らないなら、俺だって戦う覚悟はある。
俺は目の前でギラギラと目を輝かせながら、何故だか心底楽しそうに笑いまくるボスの目をジッと見つめた。
これは、人間やる挨拶の習慣からやった事ではない。
宣戦布告のためだ。
そう、俺がぼすに向かって飛びかかろうとした時だ。
『ばけものが!』
『ばけものめ!』
『おいだしてやる!』
先程までここでゴミを漁っていた猫達が、一斉にぼすの背後から現れた。
いや、3匹だけならまだよかった。
ぼすの後ろからは、どっから沸いて出たと言わんばかりの数の猫達が全員で俺を睨みつけている。
『え?えええ?』
『っはっはー!驚いたか!?こいつらは俺の子分だ!俺の言う事ならなんでも聞く可愛い奴らだよ!』
本来、猫は集団行動なんてしない。
けれど、絶対ではない。
今、俺は目の前でこの地区の暗黙の了解を破り、あまつさえ猫の頂点に君臨した、ぼすの姿に眩暈を起こしそうだった。
いやいやいや。
あの綿毛のように小さかった猫が。
確かに大物になるだろうとは思っていたが。
まさか、俺のご飯を脅かす、こんな猫至上最悪なトップになってしまうとは。
こんなデタラメな数相手に俺が敵うわけがない。
ぼす一人だって勝てるか怪しかったのに。
俺は一瞬にして戦闘体制を解くと、“逃げ”の体制に移った。
逃げの一瞬を失えば、俺は本当にやられてしまう。
俺がそう悟ったのと、ボスが俺の逃げ道をふさごうと声を上げたのは同時だった。
『テメェら!アイツをやっちまえ!!』
そう、ボスが叫んだ瞬間、激しい轟音が俺達の後ろの方から響き渡った。
ガシャァァン
それは何が壊れる音。
その一瞬が俺を救った。
ぼすの掛け声で俺に飛びかかろうとしていた猫達は、その音で一瞬の隙を作った。
ぼすもそうだ。
俺は猫達の間を勢いよく駆け抜けると、路地の奥へと走る。
奥は、先程大きな音のした方だが、そんな事かまっていられない。
確かこの奥は表通りへと繋がる穴が開いていた筈だ。
そこから逃げ切れれば俺の勝ちだ。
しかし、ぼす達だって俺が逃げたのを黙って見逃してくれるわけではない。
既に背後からはぼすを筆頭にたくさんの猫が俺を追いかけてきている。
今日で二度目となるぼすとの追いかけっこ。
しかし、こんな分の悪い、絶望的な追いかけっこは初めてだ。
溜息を吐く余裕もない。
そう、俺が前だけを見て走っていると、俺の目的とする裏路地の一番奥。
なにやら奥から人間の話し声が聞こえる。
しかも複数だ。もしかしたら逃げ切らずとも助かるかもしれない。
野良ネコは人間には近づかないから。
そう、俺は一縷の望みをかけて開けたその空間に飛び出した。