14:あさくらかいどう

『アカの前に居たのがしろだ。しろが俺にキジトラと付けてくれた。しろは良い奴だ』

 

そう、俺が言うと、その瞬間アカは「ノウ!!!」と叫んで布団の上に突っ伏した。そして、そのまま拳を握りしめ布団をダンダンと叩きまくっている。

一体何がしたいのか訳が分からない。

水を出したり、暴れたり、アカは人間になっても全く落ち着きがない。

 

「クソあの野郎!あの時キジトラとかその猫どうすんだとか気持ちワリィ事聞いてくんなと思ったらそう言う事だったのか!?殺す殺す殺す殺す!アイツぜってー殺す!」

『しろを殺すのか?俺は人間の肉は食わないからいらないぞ』

 

その昔、俺に向かってそれはでかいカワウを咥えてきたアカを思い出して俺は身震いをした。まさか、アカは俺が人間の肉を食うと思っているのだろうか。

それならば、それだけは勘弁だ。俺は人間の作ったものは好きだが、人間を食おうと思った事は一度もない。

それに、しろを殺されては俺はしろのふれんちとーすとが食べれなくなる。

それは困るのだ。

 

『しろは良い奴さ。アカもしろにごはんを作ってもらえばわかる』

「あにきぃぃぃぃ!!兄貴は、兄貴はアイツの猫っすか!?アイツに飼われてるんすか!?どうなんすか!?」

『何を言うんだ。俺は昔も今も人に飼われた事は一度もない。俺はずっと野良だ』

「なら!なら何で!?なんで兄貴の名前をアイツが決めたり、アイツの作った飯を食ったりするんすか!?うあぁぁぁ!!」

『アカ。お前だって知っているだろう。俺は色々な人間にご飯を貰う。しろもその一人だ。お前こそ、どうしてしろをそんなに言うんだ。しろのごはんは美味いのに』

 

俺にとって一番重要なのはご飯だ。

しろは俺に美味しいご飯をくれる。

それに話相手になってくれる。

俺を人みたいに扱ってくれる。

 

『俺、しろ好きだ』

「っひいいい!!兄貴!ごはんなら俺が毎日スゲー美味いのあげますから!だからもう朝倉の所には行かないでください!なんなら俺ん家の猫になりませんか!?俺マジでスゲー兄貴の為に働きますよ!ねぇ!兄貴!!」

 

そう、ぼすみたいなギラギラした目で俺に迫って来るアカに俺は体中の毛が逆立つのを感じた。アカはもう獣ではないくせに、どうしてこう野生の本能を丸出しに出来るのだろうか。こんなところも昔とちっとも変っていない。

俺はアカに食われてしまうような気がして少しだけ怖くなった。

 

『アカ、俺はこれからも野良だ。人間に飼われたりしない』

 

そう、俺が少しだけ腹の毛を震わせながら言うと、それまでギャンギャンと騒いでいたアカの表情が一気に萎んでいった。

またか、また水を出すのか。それとも、また乳吸いをするのか。

 

「あにきぃ……あにきぃ」

 

乳吸いの方だった。

アカは力なくまた俺の腹に顔を埋めると、少しだけ体を震わせていた。

あぁ、これはきっと水も出しているに違いない。

俺は腹の毛の震えを止めると、またしてもペロペロと顔を舐めてやる。

なんだか、子猫の時よりも世話が焼けると感じるのは気のせいだろうか。

 

「ごめん、あにき。俺があにきを飼うなんておこがましかった。あにき、あにき、あにき。俺をまた前みたいに傍に置いてください。お願いです、俺を置いていかないで」

 

そんな事を言ってたくさん水を流すもんだから、俺は何と言ってよいのやらわからなくなった。置いて行くもなにも、以前だって俺がアカを置いて行ったわけではない。どちらかと言えば、アカが俺を置いて行ったと言った方が良いだろう。

けれど、今のアカを見ているととてもじゃないがそんな事は言えそうな雰囲気ではない。

アカはおかしな人間だ。

人間のくせに、俺の傍に居たいと言う。

まぁ、俺はおかしな猫なのだから、アカがおかしいのも仕方ないのかもしれない。

何故ならアカは俺の息子なのだから。

 

『好きにしな、俺はいつでも渡瀬神社に居るよ』

 

俺はシクシク水を流すアカを舐めながらそう言った。

しかし、今回は舐めても舐めてもアカの水は止まらなかった。

止まらなかったし、乳吸いも止めなかった。

俺は久しぶりの我が子に、アカが水を止めて眠りにつくまでずっと顔を舐めてやった。

 

その後。

アカが泣き疲れて眠った後、俺はアカの部屋を出た。

アカの部屋は2階で、少しだけ飛び降りるのに足が竦んだが、俺は気にせず飛び降りた。

外はもう真っ暗で空にはピカピカがたくさん出ていた。

飛び降りて歩きながら俺はある事に気が付いた。

昼間、ぼすに引掻かれて怪我した筈の背中が痛くないのだ。

それに舐めてみても、そこには傷一つなかった。

 

どういう事だろう。

 

俺はそんな疑問が止まなかったが、考えても分からぬため思考を放棄した。

今更傷が消えているなんて驚く事でもない。

俺は“変な猫”だ。

年も取らず、死なず、人間の言葉が分かる。

怪我が消えていても、なんて事ない。

まぁ、もし機会があれば俺を運んで逃げたアカに聞けばいいだろう。

俺は真っ暗な空に浮かぶピカピカを見ながら尻尾をユラユラさせた。

 

 

『(あしたは、しろの家でふれんちとーすと)』

 

 

俺は夢のような食べ物の名を口の中で転がしながら、春の夜空の下を歩いて行った。

この日、俺は俺の止まっていた時間の運命が少しずつ動き始めている事に気付いていなかった。