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ウォォォォォォォォォン。
ピクリ。
俺は渡瀬神社で丸くなって寝ていた体を少しだけ動かした。
耳がピクピクする。
この音は、いつもこの地域で決まった時間になる大きな音。
どこから響いてくるのかは分からないが、この音がなるときは太陽が地面に近いところで真っ赤になっている時だ。
そして、昔から人間の小さな子供達はこの音を聞くと友達と遊ぶのを止めて家に帰り始める。もう、今日もほとんど終わりになったらしい。
俺は「くあ」と大きな口を開けて欠伸をすると、朝同様にくぅぅぅぅっと体を伸ばした。
俺はおまわりさんに捕まりそうになった所を逃げ出したあの直後、とてもとても体が痛かったのでそのまま渡瀬神社まで帰って来た。
その時はまだ太陽は頭の上にあった。
俺はとても腹の毛がモワモワして、それになんだかとても自然と耳が垂れるような気分だったので、朝みたいに石を箱の中に入れて、かみさまに今日あったこのもやもやを話そうと思った。できれば、かみさまに会って直接。
けれど、やっぱりかみさまは隠れたまま出てこなかった。
神社の裏の方も探したけど居ない。
かみさまはいつも隠れるのが上手だ。
「にー、にー」
それに、俺もあんなにたくさん言いたい事があると思っていたのに、いざかみさまに話そうとすると、何をどう言ったらいいのかわからなくなってしまった。
胸の中がぐるぐるして伝え方がわからない。
きっとこれは俺が猫だから伝えられないのだろう。
人間ならばうまい具合に言いたい事を伝えられるに違いない。
何故なら、この箱に何かを入れて手を合せる人間は、いつだって長い間ぶつぶつ言っていたから。
俺が猫だから、伝えられないのだ。
そう思うと俺はなんだかやりきれなくて。
それにとても体中が痛くて、とにかく寝ようと思った。
そして、今俺はまた目を覚ました。
くぅぅぅぅっと体を伸ばした時に気付いたが、俺の体の傷はまたもやなくなっていた。
あんなにズキズキしていた右足も、今はなんともない。
ぼすに付けられた傷も、きっともう跡形もなく無くなっているのだろう。
『どうしよう』
俺は真っ赤に染まる空を見ながら呟いた。
お腹が空いた。
ごはんが食べたい。
なのに、なんだかとても胸が苦しくていつものように人間の所にご飯を貰いに行く気が起きない。
けれど。
『おなかすいた』
ミソノサンは居るだろうか。
サバの味噌煮の端っこ、くれるだろうか。
俺は頭の中から必死にしろやアカの事を思い浮かべないようにしたが、こんな事を思っている時点で二人の事を考えてしまっているという事に気付いていなかった。
「また、明日な」そう言って俺と約束したしろ。
ふれんちとーすと。
作ってくれる事はきっともう忘れてしまっているだろう。
しろは約束を守ってくれるなんて、妙な期待をした馬鹿な自分を、爪をひっこめた手で殴ってやりたい。
俺は猫だ。
しろは人間だ。
猫との約束なんて、いちいち人間が覚えているわけないし、ましてや約束を守ろうとしてくれるわけもない。
しろは人間。俺は猫。
しろは人間。俺は猫。
俺は変な猫。
そう、自分自身に言い聞かせて俺はフラフラと歩いていた。
どこへ。わからない。
けれど、猫は行きたい所へ行く。
やりたい事をする。
それが猫、それが俺。
「にー、にー」
何も考えずに俺が渡瀬神社を出て向かった場所。
それは、いつもの見慣れたしろの家だった。
しろの家。
玄関の扉が少しだけ開いているしろの家。
なぁ、なんでだ。しろ。
しろは俺を無視して、俺を猫みたいに扱った癖に。
どうして、やっぱり玄関を開けているの。
どうして、外にお皿が置いてあるの。
どうして、お皿の上にとても甘い匂いのするものが乗ってるの。
お皿の近くに白い紙が置いてあるのは何。
俺は匂いにつられるようにしろの家の玄関の前に置いてある皿の前に座った。
そこには、四角くて、黄色くて、甘い臭いのするものが乗っていた。
その隣には何か人間の言葉で書かれた紙が置いてある。
けれど、俺にはなんて書いてあるのかさっぱりわからない。
ぐううう
俺の腹の虫が鳴った。
お腹が空いたから目の前の食べ物を食べろと言っている。
「ぴっ」
ペロリとその甘い匂いのものを舐めた。
それはとても甘くて、じゅわっとしていて。
俺は思わず噛みついた。それは、とても柔らかくてほんわりしていた。
ピンと俺の尻尾が立つ。
『おいしー、おいしー』
俺は勢いにまかせてガツガツ食べた。
こんなに甘くておいしいのは初めてだ。
これはなんという名前のごはんなんだろう。
そこまで考えて俺の頭は自然とその答えを導きだした。
『おいしー、ふれんちとーすと』
きっと、これがしろの言っていたふれんちとーすとだ。
教えてもらわなくてもわかる。
しろしろしろしろしろ。
(明日!明日、作ってやるからまた来い!悪かったな!キジトラ!)
しろは俺の事無視したけど、猫みたいに扱ったけど。
約束、守ってくれた。
俺はなんだかとても胸の毛がフワフワなるような気持ちになると、アカみたいに目から何かが出そうな気持になった。
けれど、何も出ない。
「にぃぃぃぃ」
俺は鳴いた。
無意味に鳴いた。
ふれんちとーすとを食べ終わって、俺は皿の隣に置いてあった白い紙を見た。
人間の文字が書いてある。
きっと、これはしろの文字だ。
しろが書いたのだ。
なんて書いてあるかはわからないが、これはしろが俺に書いたものだという事はわかる。
しろは俺を猫みたいに扱ったり、人間みたいに扱ったり。
いったいどっちなんだと聞きたいが、その時の俺にはもうどうでもよかった。
毛がほわほわする。尻尾がゆらゆら揺れる。
俺はその紙をそっと口にくわえると、お腹一杯の幸せを噛みしめてまた走った。
かみさま、かみさま、かみさま。
さっきは伝えられなかったけれど、今だったら伝えられそうな気がします。
隠れたままでいいので、聞いて欲しいです。
俺は知っている。
人間がこうやって紙に文字を書いてやりとりする事をなんていうのか。
これは“おてがみ”だ。
いろんな事を書いて相手に渡すんだと、ここで遊んでいた子供は言っていた。
これはしろから俺へのおてがみ。
なんて書いてあるのかわからないおてがみ。
かみさま、かみさま、かみさま。
俺は今日なかよしの人間達から無視されました。
とても毛がもわもわして尻尾がだらんとなりました。
かみさま、かみさま。
俺は無視されたくないと思いました。
俺は、しろとおしゃべりしてみたいと思いました。
かみさま、あのね。
俺の時間が動き出す。
俺の止まっていた時間が尻尾をふりふりしながら、とても変なかんじで動き出す。
その次の日の事だ。
俺は、起きた瞬間ゴチンと頭を軒下の天井にぶつけた。
いつもはぶつかることのない天井に、だ。