しかし、やはりそれは甘かった。
長い間片目で過ごし、片目で闘ってきたぼすにそれは予想しうる攻撃の一つでしかたなった。
逆に、わかりやすく右目を負傷しているからこそ、これまでの闘いでも同じように相手はぼすの右側から目を潰しにかかって来たに違いない。
『化けモンが化けモンが化けモンが化けモンが!!!』
『うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!』
とうとう俺とぼすは互いの体に噛みつきながら必死にしがみつきながらごろごろと転がっていった。
俺の歯がぼすの首筋に食い込む。ぼすの爪が俺の鼻の上を引っ掻く。
ごろごろごろごろ。
互いに漏れる威嚇の鳴き声が味坂商店街中に響き渡る。
痛いし、苦しいし、腹が立つ。
腹の毛がブワブワするのが止められない。
『なんで無視するんだ!なんで主じゃなきゃだめなんだ!なんで化け物って言うんだ!俺は俺のしたい事だけするんだ!みんなだってそうじゃないのか!勝手ばかり言うな言うな言うな!』
俺はぼすとごろごろしながら叫んでいた。
あれ、俺は一体誰に対して腹の毛をぶわぶさせているのだろう。
誰に対して俺は叫んでいるのだろう。
『なにを!わけわかんねぇ事ばっか言ってやがる!この化け物がぁぁぁ!!』
ぼすは目を血走らせながら俺の耳に噛みつく。
俺はぼすの腹を引っ掻く。
ごろごろごろごろごろごろごろごろ。
そうやってどのくらいごろごろしただろうか。
俺とぼすの体は見事傷だらけになり、そして互いに未だ臨戦態勢のまま歯をむき出しにして睨う状況。
終わりの見えぬこの状況に、ある変化を及ぼしたのは、やはり人間だった。
互いに最後の咆哮をしようと口を開けた、次の瞬間。
俺でもぼすでもない人間の声が商店街中に響き渡った。
「こんな所で何をやっとるかー!!!」
そう、激しい声で怒鳴りながら俺達の元に走って来る人間がいた。
俺とぼすの意識が一瞬にしてそちらに向かう。
それは上から下まで真っ青な服を着ており、手には長い棒のようなものを持っていた。
しかも、その男が走って来た後には赤いピカピカ光る車が止まっており、俺もぼすもそれに釘付けだった。
『っち!これだから人間の多いところで喧嘩は嫌なんだ!』
しかし、すぐにぼす俺の上から退くと人間に向かって背を向けた。
『次はぜってーぶっ殺す!』なんて怖い言葉を叫びながら走り去って行くその背中は、既に商店街を抜けていた。
こういうところがぼすは野良だよなぁと思う。
俺は逃げるぼすの背を見送りながら走ってくる、青い服の人間を見た。
俺は知っている。
この青い服の人は“おまわりさん”という名前で悪い人間をつかまえる人の事だ。
俺達猫には関係のない人
の筈なのに。
「こーら!こんか所で喧嘩ばしてからに!お店の看板まで壊して!」
おまわりさんは何故か俺をジッと見下ろしてくると、そのまま俺の首根っこをぎゅんと掴んだ。俺の背中の皮がみょんと引っ張られて視界が高くなる。
あれれ、これはどういうことだろうか。
俺はおまわりさんの目の前まで持ち上げられると、おまわりさんの言う壊れた看板が、まさあかの先程まで俺とぼすが取っ組み合いをしていた真横にある事に気付いた。
『ちがうちがう!俺が看板をこわしたんじゃない!ちーがうー!』
「保健所につれていかるっぞ」
“ほけんじょ”とは何だろう。
と、そんな事を悠長に考えている暇はない。
俺はおまわりさんに持ち上げられて気付いたが、何やら俺とぼすの居たところの周りにはたくさんの人間が集まって来ていた。
こんなに一か所に集まった人間は初めて見るかもしれない。
どうやら俺はいつの間にか商店街の中の人間が注目する程の大騒ぎをしていたらしい。
そして集まった人間の視線は全て、おまわりさんに掴まれた俺に向けられている。
『あれを壊したのはしろだ!俺じゃない俺じゃない!』
しかも、その中にはあんなに目をギラギラさせていたアカとしろまで居る。
今やその目は呆然としており、口もあんぐり開いている。
こんな時まで俺を無視するなんて、なんてやつらなのだろう。
アカやしろだって喧嘩をしていたのに、どうして俺ばっかり。
『ううううううう』
俺は乱暴に掴まれた首根っことぼすとの喧嘩でついた体中の傷がジクジク痛み出すのを感じ唸り声を上げた。
右足のずきずきも止まらない。
止まらないどころか酷くなっている気がする。
俺はアカやしろを見た。
アカは俺を無視した。
しろも俺を無視した。
それにしろは今日は俺にふれんちとーすとを作ってくれるって言ったのに。
「くうううううう」
俺は腹の毛がバサバサなるのを感じながら、これでもかという位暴れた。
突然暴れ出した俺におまわりさんは「良い子にせんか!」と怒っているが、俺だってもう我慢ならん。
俺は人間からごはんを貰うから人間を噛んだり、引掻いたりしない。
けど、今日はもういやだ。
『くらえ!』
俺はおまわりさんの手首に爪をしまったまま左手で叩いた。
爪はしまっているが、今度こそ驚いたおまわりさんはとっさに俺の首筋から手を離した。
その瞬間、俺は地面に着地し勢いよく駆けだした。
着地した瞬間、右足のズキズキが酷くなった。
いつもより早く走れない。
だって体中痛くて痛くて仕方が無かったから。
けれど、俺はそのまま振り返らずに足を動かし続けた。
後ろの方で何か人間の声が聞こえるけど、俺は今もうれつにゆっくりしたかったのだ。
家に、帰りたかったのだ。
かみさま。
かみさま。
一度も会った事はないけれど、今日あった毛のとてもぶわぶわする話を聞いてください。
できれば、隠れてないで出て来てくれると嬉しいです。
みんな、みんな、無視をするから。
かみさま、かみさま。
俺はとても―――――。