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『ますたー、助けてよー。オブが取れないんだー』
オブが取れない。
なんだ、ソレは。オブとは一体何なんだ。虫か、シミか、酷い疲れか。
俺の記憶によると、オブは賢いスンとした表情の男の子だった筈だ。
『ますたー、おねがいだよー。来てよー』
ただ、そんな心底困ったような、頼りなさ気な声を出されてしまえば、マスターであり、彼の雇い主でもある俺が、行かない訳にはいかない。
「ぶっは!」
先程のインの声に、隣に居たヴァイスの笑い声が更に大音量になったのは言うまでもない。
俺はウィズとヴァイスを宥めすかし、黙って俺の隣をついて来るウィズ……そう、タオルのウィズを連れ立って、声のする、俺の向かい側の部屋へと向かった。
すると、確かにそこにはオブがインから取れなくなっている姿が見事に出来上がっていた。
まるで、先程までのウィズだ。
『オブ、もう離れて。俺、苦しいよ』
『…………』
『あ、マスター!助けて!ずっとこうなんだ。取れないんだよ』
俺はこちらを見て『助かったー』と安堵の声を漏らすインに、頭を抱えた。アレを俺に引きはがせというのは、なかなかに無理な話だ。
なにせ、あれはウィズから家出してきた家出少年のオブである。だとすると、やっぱりオブには俺の言霊は通じないのだ。
だとすると。
『はぁ、まったく』
俺がタオルのウィズにチラと目をやると、彼は肩をすくめて二人の元へと向かった。さすが、タオルのウィズである。何も言わずとも、俺の気持ちを汲んで、片手でインからオブを引きはがしている。
無理やり引きはがされたオブは、まるで先程のウィズのように、タオルのウィズへと食ってかかり始めた。
「だから、そういうのが気に食わないと言っているんだ」
「へ?」
「俺以外の俺と、勝手に分かりあった風でいるお前に、俺は今嫉妬で狂いそうなんだよ」
先程と違って冷静に言われるが、でもどうしてもそれは納得いかない。あれは俺の妄想の産物であり、そしてタオルのウィズの親は、そもそも目の前のウィズなのだ。
でも、きっとウィズにコレを言っても納得しないだろう。議論は平行線を辿るだけだと、俺は先程、学んだばかりだ。
さて、どうすべきか。
「じゃあ、ウィズがオブをどうにかしてよ。元々ウィズはオブでしょう?」
「無理だ。アレはもう俺ではない。そして、あんな奴はもういらん」
「自分を放棄するなよ!?」
「お前と違って、俺は狭量だからな。アイツを連れ帰ったり、無理に従わせようとすると、精神が崩壊するんだよ。俺は」
「は?」
まさか、自分自身の癖にそんなになる程、毛嫌いするとは。ウィズのオブに向ける、ハッキリとした迷惑そうな視線に、俺は心底戸惑ってしまった。
自分ってそんなに簡単に切り捨てられるものなのか?
「あぁ、アウトが戸惑ってるねぇ。そうだよね。アウトにとってはウィズの方が異端だろうね」
「ヴァイス」
ひとしきり笑い終えたのだろう。それまで床に転がりながら愉快に笑いこけていたヴァイスが、笑い過ぎて流れ出たと思われる涙を拭いながら近寄って来た。
「まあ、確かにアウトの思っている通り、ここまで生まれつきもっていた真名を簡単に切り捨てられるコイツは、ちょっと頭がおかしいね」
「お前が言うな」
「まぁ、まぁ。ここから少しだけお前を庇ってやるからさ、ちょっと待ってな?ねぇ、アウト」
ヴァイスが少しだけ真剣な声色で、俺の名を呼ぶ。そして、下から覗き込むように俺を見上げてきた。
「実際、もうウィズにオブを従わせるのは無理だ。というか、普通はそうなんだよ。複数の真名は一つの器に共には存在できない。一つの器に一つの真名。これが大原則だから、もし破れば、複数の真名は居場所を奪い合う為に喧嘩を始める。どちらか一方が勝ち残るか、全員で器から落ちるか、そのどちらかしかない」
「え、でも……俺は」
俺は自身の今までを思い出した。俺は皆で一緒にこうして一つの器で暮らしている。皆良い人たちだ。あの人たちのお陰で、俺はこの広い器の中でも寂しくないのだから。
「アウトはね、最早例外中の例外で、異端中の異端だから。少し自覚しな。こんな世界、外の世界のどこを見渡しても、そうそうあるもんじゃないんだから!」
「へえ」
全然ピンとこない。そもそも一つの器に一つのマナなのか。ちょっとくらい狭くても、皆でくっついていたらいいじゃないか。
「まぁ、今の顔でアウトが納得していないのは分かった。けど、本題はそこじゃないから一旦置いておくとしようか」
ヴァイスが俺の心情を的確に察する中、イン達の居る方ではタオルのウィズに向かってインがニコニコと何かを話しかけている。そして、そこからはまた言わずもがな。此方のウィズ同様、オブが烈火の如く怒り散らしている姿が見える。
「あっちも喧嘩が長引くと面倒だから、さっさと説明を済ませるね。ともかく、あのオブは、もうウィズのマナへは戻さない方が良い。きっとオブ本人も帰りたがらないだろうし、ウィズも戻したがらない。それが自身の生き残りをかけた、真名の本能だからね」
「でも、オブを家出させたままにしてたら、それでウィズは具合が悪くなったりしないの?」
「だから、逆だよ。オブを連れて帰ると、ウィズは死ぬ」
「え!?死ぬ!?」
「あぁ、死ぬだろうな。俺は」
何故そうもアッサリと頷けるのだろう。俺は全く持ってマナと器の云々は納得がいかないままなのだが、ともかくウィズが死ぬのは絶対ダメだ。
何故かって?俺はウィズをあいしているから、死んで欲しくないのだ!
「ウィズ、待ってて。俺が何とかするから」
「アウト?」
「まぁた、何かアウトが面白い事を始めようとしてるね」
「ウィズは俺が死なせない!」
俺はそう勢い込むと、激しいく声を荒げ始めたオブの所へと駆け寄った。