「オブ!ちょっと!」
どうやら、このオブは家には帰せそうにない。帰りたいと言って泣かないか心配だが、それは俺が説得するしかない。
『……なにさ』
『マスター、どうしたの?』
何故か、俺から気まずそうに顔を逸らすオブに、俺は心臓がキュウッと絞られる思いだった。マスターである俺がオブから嫌われてしまっては、俺が引き留めても『嫌だ、帰る』と言い出しかねない。
その時はインを使うしかないが、まずはマスターである俺が、この世界がいかに過ごしやすいか、いかに労働環境の良い場所かを説明してやらねば!
「オブ、そろそろ君は親離れをするくらいの年じゃないか?」
『は?なにさ、急に』
「ここで、住み込みで働きませんか!?」
『え、え?』
戸惑うオブに、俺は自身の両手をオブの肩に置く。ウィズの所に帰りたいって言わないでくれ!頼む!
「ちゃんと福利厚生はしっかりしてると思うよ!オブの家も作ってあげる!こういうのがいいなって思うのがったら、言ってくれたらその通りに作るしね!なによりインも働いているから、ここならインと一緒に居れる!俺はウィズから傍に居てって言われたから、ウィズの傍に居るし。そうなったら、オブにとっては家も近くで不安もないだろ?」
お願いだ。頷いて。いいよって言ってくれ!
ウィズの所に帰りたいって言わないで!家が一番だろうけど!
そう、俺が懇願するようにオブの肩に乗せていた手に力を籠めると、それまで目を丸くしていた美しい少年が、ポツリと呟いた。
『いいの?俺、ここに居て、いいの?』
「え!居てくれるの!?」
『え!オブも一緒に働けるの!?』
その言葉の意味が、俺にはイマイチよく分からなかった。
“いいよ”ではなく“いいの?”だ。まぁ、一文字違いで、意味合いは大いに変わるが、事コレに関しては「了承」と受け取って良い筈だ。
「ありがとう!オブ!君は俺のところで、大事にするからね!不安に思う必要はない!ずっと此処に居るんだよ?」
『わーい!オブがずっと一緒だ!一緒にお店もできるー!』
インも喜んでいる。ウィズも死なずに済む。これで良い。まずは一つの危機は去った。これから、オブがウィズの所に帰りたいなどと言いださないように、俺の所で大事にしてあげなければ。
「じゃあ、あとで色々と説明するから。待ってるんだよ。……帰らないでね?」
俺は胸を撫でおろしながら、この事をウィズに説明しなければ、とオブの肩から手を離した。すると、話した瞬間、オブが俺の片手を掴んで、ギュッと握り締めてきた。
どうしたのだろうか。やっぱり親元を離れるのは、不安なのだろうか。
「オブ?」
『あの、アウト』
アウト。
オブから初めて呼ばれるその名前に、何故か俺は非常に清々しい気持ちになっていた。この瞬間、俺はやっと心の底からウィズにもオブにも“アウト”として認められたと、そう思えたのだ。
『今まで、酷い事を言って。ごめん、なさい』
「ん?」
『ありがとう』
オブは言うだけ言うと、すぐに俺の手を離した。話して、今や喜び駆け回るインの方へと駆けていく。俺は、一体何を謝られたのだろうか。よく分からないけれど、帰りたいとは言われなかったので、もう何でもいいやと思えた。
ただ、オブに“アウト”と呼ばれた余韻が、今も心地よく風に乗って頬を撫でている。
「よかった」
俺は、またしてもインに抱き着くオブを横目に、ふふと良い気分でウィズの所へと向かおうと振り返った。すると、どうやらウィズは俺のすぐ後ろに立っていたようで、次の瞬間には俺の視界はウィズでいっぱいになっていた。
「ウィズ!オブは帰らなくてもいいって!俺の所でいいって言ってくれたよ!これでウィズも死ななくて済むな!」
「……アウト、お前って奴は」
あぁ、まただ。先程チラリと見たオブのように、ウィズも俺を抱き締めてくる。けれど、今度は痛いくらい力いっぱいではない。その腕は、今度はとても優しかった。優しくて、眠くなるような温かさだ。
「……ふあ」
あぁ、ちょっと本当に暖かくて、眠りそう。マナの住人は寝ないと思っていたけれど、ウトウトしてきた。
きっと、俺は今から少しだけ眠る。混在する全てを耕す為に。少し、眠る。そしたら、それと同時に、外の俺は目覚めるのだろうと、本能的に分かった。
「アウト、眠いのか」
「うん」
「疲れただろう。少し眠るといい」
「うん」
俺は“二人”の暖かさをその身に完全に享受しながら、はたと思った。そうだ、ウィズと俺の交わる事のない平行線を辿る議論に、終止符を打つ方法を思いついた。いらぬ理屈も、着飾った言葉も必要ない。
一言、言えば良かったのだ。
「ウィズ、愛してるよ」
「っ」
俺は頭の上から息を呑む声を聞くと、そのまま静かに目を閉じた。目を閉じて、深かった眠りから覚める為、明るい光の中へと飛び込んでいった。
〇
きみとぼくの冒険。第9巻 第5章
【サヨナラのめざめ】
『いっしょに、おとなになって』
キラリと光り輝くゆびわに、僕はとてもかなしくなった。
ぼくはわかっていたのだ。
この世界が、僕の夢の夢の世界だって。
ずっと此処に居たらいけない事くらい、僕もわかっていた。けれど、それでも僕はこわくて、ここから出たくなかった。
だって、僕の大好きな星の王子様はもうほんとうは大人だったのだ。
僕よりずっとずっと大人で、ぼくを暗いろうやに置き去りにした人だったから。
『でも、むこうに帰っちゃったら、ぼく13歳になっちゃう』
『うん』
王子様は大人の顔で僕に向かって小さくほほえむ。
13歳になったら、きっとたぶん、もう、王子様やファーには会えなくなる。だって、これまでだって、少しずつ少しずつ、もう夢は見なくなっていたから。
僕は、きっともうすぐ”おとな”になる。
『もう、こんどこそ、王子様にも会えなくなるかも』
『だいじょうぶ』
なにが大丈夫なんだろう。どうして王子様はこんなに平気そうなのだろう。
おとなだから?おとなは悲しいを感じなくなるの?
僕はそう思っていると、大人の姿の王子様の目からポロリと星みたいな涙が零れ落ちた。
『おねがい、おとなになって、ゆめを見なくなっても。俺のこと、わすれないで』
『おうじさま、かなしいの?』
僕の問いに王子様はポロポロと涙を零しながら頷いた。
なあんだ。大人も悲しいんじゃないか。
『わすれないで、きっと会いに来て』
『大人の僕が?大人の君に?』
『うん、そう。サヨナラはいやだけれど、サヨナラしなきゃ、また会えない』
そうなのか。また会うために、サヨナラをするのか。
『だから、俺に13歳の生誕の日のお祝いをさせて。かえろう』
『……うん』
僕はいつの間にか居なくなっていた、夢の夢の中の王子様の姿に、少しだけ胸がいたのむのをかんじた。
そして、やっと開いた両手で、僕はポロポロと涙をこぼす王子様の顔を、拭いてあげる。
大人なのにしかたがないなあと思いながら。
『僕、王子様をわすれないよ。きっと覚えているから。そして会いに行くから』
『うん』
『だから、手をつなごう』
僕は、大人の大きな王子様の手を握り締めると、指輪の光の差す方へと歩いて行った。
僕は目を覚ます。
目を覚まして、大人になった。