27:金持ち父さん、貧乏父さん(27)

 

 俺は凄く、物凄く機嫌が良かった。なにせ、昨日の夜は、ヨルといっぱい踊れたからだ。

 それに、いっぱいいっぱい話せた。昨日のヨルは、かなりやに恋なんかしちゃいなかった。ちゃんと“俺の”ヨルだった!

 

『ラララララー』

 

ずっと、ずっとやりたかった事が出来た!こんなに嬉しい事があるだろうか!いや!ない!

 

———あぁ、そうしよう。全部、今夜しよう。

 

 俺は今、世界一幸福な人間なんだ!

 

 村の中を歌い、そして、踊りながら駆け抜けた。本当はこんな事をやっていると村長に怒られるから、普段なら少しは我慢するのだが、今日ばかりはダメだ!無理だ!

今の俺の心と体は、俺自身の言う事すら聞かなくなってしまった。

 なにせ、いつもの言う事を聞かせようとする俺も、一緒になって歌って踊っているからだ!

 

 なのに。

 

『おいっ!スルー!ちょっと来い!!』

『っおわ!?』

 

 蝶のように軽やかだった俺の体は、急に不躾で乱暴な奴の手によって捕獲されてしまった。

 もちろん、村長ではない。村長はこんなに力も強くないし、俺の体をこうも簡単に捕まえる事はできない。なにせ、村長はただの爺さんだからだ!

 これは、

 

『オポジット!離せ!俺は今!蝶のようにヒラヒラと舞い踊りたい気分なんだ!邪魔をするな!』

『それを今、俺が網で捕まえたところだっ!行くぞ!遊んでばかりいないで手伝え!男手が要るんだっ!』

 

 俺は首根っこをひっつかまれ、オポジットの容赦ない力でズルズルと引きずられて行った。チラと引きずられて行く方向を見ると、そこには村の若い衆と、そして、

 

『いやだ!いやだ!俺は男なんかじゃない!自由に飛び回る蝶なんだ!ちょうちょ!俺はそう!ちょうちょ!』

 

 ヨルが居た。

 

 あぁ、そうか。今日からか。あの、『荒地の街道』の整備に取り掛かるのは。

 

 確かに春も極まった。もう雪が降る事もない。だとしたら、整備に少しでも早く取り掛からねば。夏が極まれば疾風の季節。

いくら今年、疾風が少ないと予想が立っていたとしても、全く0になんてならない。出来るだけ早く整備を進めておきたいのだろう。

 

 おきたいのだろうが!

 

『俺はちょうちょだから役に立たん!お前らだけでやればいいだろう!』

『ふざけんなっ!?何が蝶だ!馬鹿な事言ってないで、来いっ!』

 

 俺の首根っこを掴む手には、容赦という言葉が崖の下に放り投げられたかのように、加減が一切ない。これだからオポジットは嫌いだ!俺の兎だけじゃなく、俺にも乱暴だからだ!この乱暴者め!

 

『おい、オポジット。そんなの連れて行く必要はないだろ』

『どうせ、役には立たねぇよ』

『遊びに行くんじゃないんだぞ』

 

 無理やり連れて来られた先で、先に居た村の若い男達が、怪訝そうな顔で俺を見て言った。

そうだろ、そうだろ!こいつらの言う事は正しい!どうせ俺なんて役に立たないから置いていけばいいものを!

 

『まぁ、人手は一人でも多い方が良いだろう』

 

 パッと離された手に、やっと俺の首は自由に解き放たれた。あぁっ!自由に息が出来るって素晴らしいな!

 俺が自由に呼吸を出来る喜びを全身で感じていると、オポジットの言葉に、他の男達はやっぱり不満気な表情を浮かべている。

 

『とは言っても、近くで歌って踊って遊ばれたら敵わんぞ』

『コイツは一人前どころか、半人前にもならん』

『話も通じんしな』

 

 俺の横では、やっぱり不満の声が上がり続けている。俺も行くのはごめんだし、向こうも来て欲しくないみたいだし、こんなの単純な話じゃないか!

 “俺が行かない”

 そうすれば、この場は全て解決するのに、オポジットのヤツはどうしてこうまでして俺を連れて行こうとするのだろう。

 

『ふうむ』

 

 いじわるか!?

 そうだ、意地悪に違いない!

 俺がオポジットを睨みつけていると、今は昼間なのに、夜のように静かな声が村人たちの隙間を縫って俺の耳に届いた。

 

『人手は大いに越した事はない。早く行くぞ』

 

 ヨルの声だ。

 今はまだ昼間で、月は見えず、太陽が爛々と輝いているのに、ヨルの声がこうもハッキリと聞こえるというのは不思議なものだ。

 

 そして、そのヨルの『行くぞ』という声が、まるで俺一人に向けられているような気がしてしまった。いや、分かっているのだ。俺に言った訳じゃない事くらい。

けれど、それまで全然行きたくなかったのに、俺は急に『行かなきゃ!』と思ってしまったから不思議だ。

ヨルの声は、言葉は、不思議だ。

 

好きだ。

 

『おら!行くぞ!これ以上、ガタガタ言いやがったら殴るからな!』

『オポジット!お前は本当に本当の乱暴者だな!人を叩く奴はサイテーなんだぞ!』

『人!?お前は蝶なんだろ!?なら問題ねぇだろうが!?』

『っそうだった!』

 

 そうだった!なんて思っても、やっぱり殴られたい訳ではないので、俺は急いでオポジットから距離を取った。

 

 まったく!まったくだ!オポジットの大きな拳で殴られでもしたら、俺なんかすぐに死んでしまうに違いないのに!

 まぁ、オポジットが俺を本気で殴って来た事なんて、ただの一度もなかったけど。

 

『お父さーん!いってらっしゃーい!仲間に入れて貰えて良かったねー!』

 

 村を出て行こうとする俺に、村の入口からインの声が聞こえた。振り返ると、どうやらオブと遊んでいたようで、二人して手を繋いで此方を見ていた。インは大きく手を振ってくれている。もちろん、オブはそんな事しない。

 

 あぁ、まったく。子供は良いよな。好きな時に好きな人と手を繋いで、好きなように遊んでも誰も怒らないんだから。

 

『インー!子狼には気を付けろよー!』

 

 本当は『いや、全然良くないし!』と叫び返したかったが、しっかりと繋がれたその手に、俺は大声でインに向かって、思わずそんな事を口にしていた。

 

 そうだ、イン。

 子狼はもう少ししたら大人の狼になる。気を付けないと、ただの子犬でしかないインは、簡単に巣に持ち帰られて、大事に大事に食べられてしまう事になるだろう。

 まぁ、別に、それもインが良いなら良いのだが。

 

 すると、インは何を勘違いしたのか、一瞬きょとんとした表情を浮かべると、俺に向かって手を振りながら笑顔で言った。

 

『じゃあお父さんは、大人の狼に気を付けてねー!』

『……わかったー!』

 

 そう言う問題じゃないのだが。

 俺が苦笑しながら、イン達に背を向けると、集団の前の方から『げほっ』と、急に誰かが咳き込む声が聞こえてきた。

 

 はて、今日は少し冷えるだろうか。

 

 

————-

———-

——

 

 

 荒地の街道

 

 

 いつから、この街道はそう呼ばれるようになったのだろうか。

 本当に街道だった時の事なんて、誰も覚えちゃいない。ただ、爺さんの爺さんの爺さんの、ともかく物凄く昔は、この道を使って様々な人やモノの交流があったそうだ。

それこそ、この村は北部と帝国の間にあるので、きっとそういった外国との交流もあったのだろう。

 

 あったのだろうが。

 

『……はぁ、やっぱり酷いモノだな』

 

 若い衆の集団の中から、ヨルの頭を抱えたような、静かな声が聞こえる。いや、きっと今頃、実際に頭を抱えているに違いない。

 そりゃあそうだ。目の前の余りにも酷い光景を前にして、誰が元気になれようか。今から俺達は、この山肌を大きな疾風が来てもがけ崩れが起きないように、補正しなければならないのだから。

 

『ここを補正なんか、できるのか?』

『できる。ただ、時間と労力が……どれ程かかるか』

 

 荒地の街道は、この俺達の村から一番近い街道部分のみを指す言葉で、この前後は綺麗な道なのだ。きっと、普通に使われているに違いない。

 ただ、この場所の前後だけは、無理やり山を削って作った道なのか、非常に山肌に近い。そして、この付近は夏になると、疾風の通り道になるのだから、これはもう土石流よ、起こってくださいと言っているようなものだろう。

 

『やっぱり補正なんて無駄なんじゃ』

『こんなの次の疾風までに終わる訳がない』

『また疾風でダメになるのがオチだ』

 

 普段はこんな場所には誰も近寄らない。そのせいで、久々に見た荒地の街道の“荒地”具合に、皆がやる気を失い始めていた。

 確かにこの荒れ果てた元街道と、そのすぐ傍にある山の斜面を見ればそうなるのも無理はない。

 

 無理はないのだが。

 

『終わるかどうかは俺達次第だろ!手をこまねいてると、ともかく終わらん!今日はひとまず、場所の把握と、役割を決めていくぞ!』

 

 オポジットのヤツはこういう時の指導がとても上手い。子供の頃からそうだった。皆、オポジットの声に従って走ってついて行ったものだ。

 

『そうだな』

『文句を言ってても始まらんな』

『何にせよ、金は出るんだ。やるしかない』

 

 そして、今ここに居るのは、“あの頃”オポジットについて走り回っていた、“元”子供達。

 あぁ、皆、大きくなったなぁ。

 

『…………』

 

 俺は、ふと、自分の足元にある体積した土を見た。

 そして、ゴロゴロとした山肌。木々は削れ、長年かけて道が削れてきた様子が見て取れる。

 

『ふうむ』

 

 おかしい。何か、気になる。

 こういう時は、何がどう気になるのかを探すところから始めないといけないのだ。闇雲に作業に取り掛かると、逆に無駄になる。

 

『おいっ!なにフラフラしてんだ!』

『ったく、だからあんなの連れて来る必要はなかったんだ!』

『土遊びなんか始めやがって!目障りだ』

 

 何か、周囲から俺に対して言っているようだが、一旦それは耳から排除する。

 気になる部分を探し当てないと。

 

『地面の土は固い』

 

 そう、固い。踏み固まったかのように、固い。

 なら、山肌の方はどうだろう。

 

『よっと!』

 

 俺は、狼よりは遅いが、村人の誰よりも早く、軽やかな足取りで、街道から最も近いデコボコの山肌へと近寄った。

 

『固い。それに』

 

 小さいが、草木が茂り始めている。すぐ傍にあるなぎ倒された大木の木は、腐り、けれど、そこからはまた新たな生命が生まれ始めていた。毎年、毎年、疾風のせいで土石流が起こるのに、こんな風になるものだろうか。

 

 この地は荒地の街道。危険だ、だから近寄るな。

 それが村人たちの間で定説となり、親から子へと言い伝えられてきた。まぁ、来ても得られるモノなんて何もない為、頼まれたって誰も近寄らない場所。

 

 それが、

 

『荒地の街道……それって本当か?』

 

 考えろ、考えろ。

 考えなければ始まらない。“当たり前”はまず疑う。昔から“そう”だから、と言うのは理由にならない。決まり事があるなら探した方が良い。同じ仲間、仲間外れ、あるなら分けた方が良い。

 

『おい、何やってんだよ。スルー』

 

 オポジットの声がする。別に今は怒ってはいないようだ。だって、俺の首根っこを掴んで無理やり引きずったりしないから。

 

『なぁ、オポジット。土砂崩れは、なんで起こる?』

『はぁ?そりゃあ、疾風が来るからだろ!』

『疾風が来ると、なんで土砂は崩れる?』

『そ、そんなの……雨が大量に降って、山肌が緩くなってなだれこんで来るからだ』

『緩くなると、どうして普段は崩れないものが崩れるんだ?』

『あぁぁぁぁ!もう知るか!まったくお前は昔っから訳わかんねぇ事ばっか言いやがって!……好きなだけ観察でも何でもしてろ!』

 

 オポジットは大声を上げて叫ぶと、ただ、俺は此処に居ていいと言って去ってくれた。良かった。本当に、少しだけ考えたかったのだ。ありがたい。

 

『……さて、』

 

 オポジットは昔からそうだ。考えるよりもまず行動。声を上げ多くの人間を導ける。人を率いる力を持ったヤツであり、そして、本能的に、相手が本当に望む事を理解できる者。そこに人望が生まれるのだ。

 

 未来の村長は、きっとアイツだろう。

 

『雨が続くと崩れる。けれど、崩れるには傾きが要る……傾きは、崩れる度に、ゆるやかになる』

 

 俺の問いに誰も答えてくれないなら、自分で答えるしかない。

 自問自答。その為に、もぐる、頭の中に深く、深く。

 土を触り、周囲を観察し、事実を並べ、仲間外れを探し、仲間を探し、決まり事を見つけ、昔からの理由なき当たり前を壊す。

 

『……帰って、試してみよう』

 

 そう、俺が一つの着地点に辿り着いた時、高かった日は物凄く傾き、夕暮れ時になっていた。

 

『こりゃあ、本気でやらんと終わらんな」

『だな。明日は早朝から来よう』

『ったく、やっぱりアイツは何の役にも立たなかったじゃないか』

 

 皆、泥にまみれだ。きっと、俺の知らない所で大変な作業をしていたに違いない。

 

『おいっ!スル―!置いて行くぞ!』

 

 俺に向かって叫び声を上げるオポジットに、俺は『分かった』と立ち上がった。出来れば、後から革袋を持って来て土を持ち帰りたい。暗くなる前に間に合うだろうか。

 

『だから、あんな奴連れて来る必要なんてなかったんだ』

『変わり者は、次からは置いて来よう。邪魔なだけだ』

『………』

 

 俺への文句を漏らす、若い衆の中心に立つヨルを、チラリと見て、俺は思った。

 

『ふふ』

 

 あぁ、まるで、夕まぐれのようだなぁ、と。

 

 

 

                〇

 

 

 

 その後、俺はあの山肌の土を持ち帰る為、急いで家に帰って古い革袋を取り出した。普段は畑用の道具をしまっておくヤツだが、まぁいいだろう。

 

 そして、きっと夕飯までには帰れない。

 いつもなら、こんな時間には腹が減って仕方がないのだが今日は違う。気になる事と、早く試してみたい気持ちが重なって、空腹なんてどっかへ行ってしまった。

 

『お父さん、おかえりー』

 

 そう、納屋でガサガサと布袋を漁っていると、その入り口からひょいと顔を覗かせてきたインの声が聞こえてきた。どうやら、今日のオブとの遊びの時間は終わったらしい。

 

『イン、お父さんは今日はまだ仕事があるから、夕飯は皆だけで食べてていい。お母さんにも伝えておいてくれ』

『そうなの?お腹空かない?』

『空かない。お父さんは気になる事がたっくさんある時は、お腹は空かないんだ』

 

 俺の言葉に『へー』という、インの何とも言えない返事が返ってくる。夕間暮れの時が来て、もうすぐ夜になる。子供の時間が終わったのならば、今度は大人の時間だ。

 まぁ、俺はインと違って一人で行くのだが。

 

『じゃあ、お父さんは行ってくるからな。……ん?』

『どうしたの?お父さん』

『イン、その首の……歯形?は、どうした』

 

 俺が革袋を肩に掛け、ふと目についた謎の歯形のような跡に、眉を顰めた。まるで何かに噛まれたような跡だ。まあるく、それは獣にでも噛まれたようになっている。

 

『あぁ!コレ!これね!オブが噛んだんだよ!急に!ガブって!オレ、びっくりしたよ!』

『……まったく。やっぱり、子供でも狼は狼だな』

『?オレはオブに噛まれたんだよ?狼じゃない。狼に噛まれたら大変だよ!』

『オブに噛まれても大変だと思うが』

 

 俺は最早苦笑に苦笑を重ねハッキリと笑ってしまった。

 

『ははっ』

『お父さん?』

 

 何も分かっていないインの顔が、なんとも可愛くて、俺はゴシゴシと頭を掻き交ぜるように撫でてやる。

 あぁ、なんて可愛い我が息子だ。

 ま、その可愛さは、俺の次くらいだけどな。

 

『じゃ、お父さんは行ってくるからな』

『うん。もうすぐ夜だから、本当に大人の狼に気を付けてね』

『わかってる』

 

 いってらっしゃーい!

 そんな元気の良いインの声に見送られ、俺は風のように軽やかに納屋を飛び出した。

 

 

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——–

—–

 

 

『ふんふんふんふん』

 

 俺は急いではいたが、なんだか春の夜間近の時間がとても気持ちよくて、風を切るように踊って走った。この時間は村の皆は夕飯の時間なので、誰も外には居ない。だから、俺がこうして歌って踊っても、昼間みたいには怒られない。

 

『ララララ』

 

 やっぱり俺は夜が好きだ。夜は俺を咎めない。自由にさせてくれる。

 だから、俺はヨルが、

 

『おい、スルー』

『ラララララン』

 

 おっと。俺が余りにもヨルの事を考えるものだから、ヨルが俺を呼ぶ声がした気がした。あぁ、良い耳鳴りを聞いたものだ。出来ればヨルと会う時間までには、気になる事の整理を終えたい。

 

『ルルルルー』

『おいっ!スル―!何故、無視する!』

 

 けれど、どうやらそれは俺の願望が生み出した耳鳴りではなかったようだ。

 

 次の瞬間。俺の耳鳴りだと思っていたヨルの声がはっきりと俺の耳に飛び込んでくる。

 しかも、飛び込んで来ただけでなく、俺の腕まで、ガシリとヨルのその美しい手に掴まれているではないか!

 

『……ヨル?なんで、ここに』

『……お前にとってはこの時間は、まだ昼間か?』

『いや、もう夜だ』

『だったら……何故、無視した』

 

 俺の腕を掴むヨルは心底不機嫌そうに俺に、そんな事を問うてくる。

 あぁ、ヨルだ。夜になったから、このヨルは俺が喋って良いヨル。そう、なのだが。

 

『ヨル!いけない!早くこっちに!ここは村の真ん中じゃないか!』

『そんな事どうでもいいっ!何故、無視をした!俺にとっては昼も夜も関係なっ』

 

 こんな村の中心で、こんな大声を上げて。

 いくら夜の入口で、夕飯時とは言え、村人が外に出てこないとも限らないのだ。そして、ヨルが俺の腕を掴んでいるところを目撃でもされてみろ。

 

 ヨルまで“変な奴”扱いを受けてしまう。

 

 

『ヨル!こっち!こっちに走れ!』

『おいっ!スル―!』

 

 俺は右手に革袋、左手にヨルの手を掴んで、村の中心から一気に走り抜けた。夜のヨルは俺と話してもよいヨルだけど、でも、それでも。

 

———ヨル?それってお父さんの夢の中のお友達だよね?

 

 絶対に、周囲に誰も居ない時でなければダメだ。

 それこそ、インが言うように、俺にとってヨルと言う人間は、夢の中の登場人物でなければならない。現実世界では、俺はヨルの迷惑になってしまうから。

 

『む?いや、それなら』

 

 あぁ、それじゃあ、逆じゃないとダメだな。ヨルにとって“スルー”が夢の中の登場人物でなければ。

 

 だから――。

 

『っスルー!ちょっ!とまっ!とまれっ!息がっ』

『もう少し!もう少し!』

 

 俺はヨルの呼吸が乱れるのを聞きながら、俺は昼間に見たインとオブのしっかりと繋がれた手を思い出していた。今は夜だ。夜は大人の時間。大人の時間だから、俺はこうしてヨルと手を繋いだっていい。

 

 誰も居ない場所に、早く行かなければ。

 

『もうすこし、もうすこし』

 

 俺は繋がれたその、ヨルの顔とは全く似合わない程熱いその手に、俺は力を込めると軽い足取りで、村の外へと飛び出した。

 

 もうすこし、もうすこし。

 ゆっくり走ればよかったなぁ。

 

 そしたら、もっとヨルと手を繋いでいられたのに!

 

 俺は俺の後ろでゼェゼェと激しい呼吸音を鳴らすヨルの息遣いを聞きながら、ちょっとだけ、残念な気持ちになっていたのだった。